第三章 推論

 依頼受諾後、一時間の休憩をとる事となり、榊原たちは別室に案内されていた。こちらは来客用の小さな部屋である。黒羽たちは研究室で準備をしているようである。

「期限は今日を含め二日。それ以上は瑞穂ちゃんにも学校があるし、何よりそこまでやって何も出ないなら何日やったところで同じだ」

 榊原はそう宣言していた。

「でも、まさか古代人の殺人を解決してほしいなんてそんな依頼が来るとは思いませんでしたよ」

「私もこんな依頼は初めてだ。まぁ、やる事はいつもと変わらないがな」

「……すみませんね。こんな話に巻き込んで」

 唐突に部屋の隅からそんな声がして、二人は思わず振り返った。

「あ、網田警部。いつからそこに?」

「最初からずっといます」

「影が薄くてわからなかった……というか、何も喋らないから途中から存在自体忘れてた……」

 瑞穂が何気に失礼な事を言うが、この網田と言う男の影が薄いのも確かだった。実際、常に一緒にいたにもかかわらず、瑞穂としては最初に黒羽の研究室に入った辺りから、この男の存在は頭の片隅に消えていたのである。

「それが彼の特技でもあってね。その存在の薄さで、いつの間にか重大な情報を聞きこんでくる事もあった。これはこれで一種の才能かもしれない」

 榊原が苦笑気味に答える。

「だがまぁ、網田警部、あなたが私を紹介したのもわかりますよ。こんなの、県警では対処できないでしょうからね」

「私もあなたが適任だと思います。ところで、この後仕事があるので、私はここで失礼します。すみませんが、後はよろしくお願いします」

「わかりました。依頼が済み次第、一度県警にも立ち寄って結果をお知らせしますよ」

 網田は無言で頷くと、そのまま部屋を出て行った。最後まで本当に影の薄い男である。

「それで、勝算はあるんですか、先生? あの大学院生たちは信用していなかったみたいですけど」

「まぁ、それなりにね。犯人を明らかにする必要がないなら、あとは普段の犯罪捜査とそう大差はない。ある程度の情報までなら明らかにできるかもしれない」

「でも、先生なら犯人も明らかにしそうで怖いです」

 瑞穂が冗談交じりに言う。

「さすがにそれは買いかぶりすぎだ。第一、犯人を指摘したところで逮捕する事はできないしね」

「一五〇〇年以上前ですからねぇ。私には想像もつきません」

「……さて、そろそろ時間だ。行こうか。その一五〇〇年前の事件とやらを再現しにね」

 そう言うと、榊原は立ち上がって部屋を出た。瑞穂もその後に続く。先程の保管庫に入ると、先程の全員がそろっていた。すでに準備は整っているようだった。

「言われたように、マネキンを準備しておいた」

 津嘉山がそう言って床を指す。そこには被害者と同じサイズのマネキンが置かれていた。

「じゃあ、始めましょうか。黒羽さん、津嘉山さん、ご協力お願いします」

 榊原が頭を下げる。いよいよ、前代未聞の推理劇の幕開けである。

「まず状況を整理しましょう。被害者……ここではあえてそう呼ばせてもらいますが、とにかく彼女は首を絞められて殺害された可能性が高い。遺体の首の骨、特に喉の付近に圧迫による骨折が見られるのがその根拠です。また、後頭部には頭蓋骨の陥没が見られ、これらに関しては土砂崩れによる損傷ではなく、生前の傷であると判断されています。もっとも、こちらの傷は見る限り致命傷と呼べるほどのものではないようですが」

 榊原はそう言いながら、話を進める。

「したがって致命傷は首を絞められた事によるものと推察する他ないでしょう。ここで問題になるのは、被害者がどのような体勢で殺害されたか、という事です」

「どのような体勢、というのは?」

「一口に絞殺と言っても様々な種類が存在します。紐のようなもので首を絞めるのが通常の絞殺。紐のようなもので吊し上げるのが縊死。そして、腕や手で直接相手の首を絞め上げるのが扼殺です。被害者の死因がこの三種のどれに該当するかで、殺害時の状況も大きく変わってきます」

 榊原は遺骨を見ながら告げる。

「この遺骨のように、喉の骨が圧迫されて広範囲に骨折している場合、一番可能性が高いのは扼殺です。紐による絞殺や縊死の場合、その圧迫面積は非常に狭くなるため、このように広範囲を圧迫された形での圧迫骨折にはなりにくい。マフラーのような柔らかくて面積のある布のようなもので首を絞められたら話は別ですが、この時代にそんなものはないでしょう。つまり、彼女は腕、もしくは手によって扼殺された事になります。そして、死因が扼殺であるとするなら、犯人の性別がある程度特定できるのです」

 その言葉に、院生たちはざわめいた。

「犯人の性別の特定って……そんな事ができるんですか?」

「あくまで予想ですがね。この手の扼殺による犯行は、主に男性によるものが多いんですよ。私は今まででいくつもの事件を見てきましたが、女性で扼殺を選んだ犯人は私もあまりお目にかかった事はありません。何しろ手や腕で相手の首を絞め、そのまま人間の息の根を止めるんです。人が首を絞められて死ぬのには五分程度かかりますから、これは相当な力がないとできる事ではない。少なくとも、女性の力ではまず無理です。仮に女性だったとしても、相当に力の強い女性でない限りは難しいと思います。スポーツも何もなかったこの時代、そんな女性はまず存在しないでしょう。つまり、犯人はかなりの確率で男性という事になります」

「な、なるほど……」

 あっさり言われて院生たちも納得する。

「そして、扼殺だとするならもう一つの問題は、絞め殺すまでの相手の抵抗です。さっきも言ったように直接絞めるタイプの絞殺は最低でも五分以上の時間がかかります。最後の方は相手も意識が朦朧としたり気絶したりしているとはいえ、最初の方に激しく抵抗するのは免れられないでしょう。つまり、この抵抗に耐える事ができるかという問題点です。そこで気になるのが、後頭部の傷です」

 榊原は頭蓋骨の後ろの方を指さした。

「わかった、あらかじめ相手を殴って気絶させておいて、その後でゆっくりと首を絞めたんだ!」

 曽部がそのように推測するが、榊原は首を振った。

「もしこの傷が犯人に殴られたもので、犯人の目的が最初から殺害であるなら、わざわざ首を絞めたりせずにその鈍器でそのまま殴り殺した方が早いと思います。それに、この傷があるのは後頭部。通常、鈍器で相手を殴った場合、その傷ができるのは頭頂部か後頭部のやや上です。後頭部そのものを直接殴って気絶させるのは意外に至難の業なんですよ。つまり、この傷は何かで殴られたものとは考えにくい」

「じゃあ、一体?」

「この傷ができる条件として考えられるとすれば、相手に突き飛ばされて後頭部を地面に強打した、というパターンですね。もっとも、打ち付けたのが地面だったら頭蓋骨陥没などという事は普通起こらないので、おそらくその場にたまたまあった何か……この形状なら例えば石などに偶然後頭部を打ち付けた、と考えるのが妥当でしょうね」

 開始数分で次々と明らかになる事実に、その場にいる人間はただただ唖然とするばかりだ。

「そして、倒れた被害者の首を絞めるとなると、腕を使って首を絞めたとは考えにくい。おそらく、気絶した被害者の上に馬乗りになって、そのまま手を押し付けるようにして相手を絞殺した……。そう考えれば、この遺骨の状況には納得がいくと思います」

 そう言うと、榊原はマネキンの方に歩み寄った。

「以上の一連の状況から、とりあえず犯行状況を推察してみましょう。まず、犯人は男性。突き飛ばしてから首を絞める余裕があった事を考えると、被害者の女性と二人きりになったところで犯行が起こったと考えられます。ちなみに、犯行現場は屋内ではなく屋外でしょうね」

「なぜそこまでわかるんですか?」

「この時代の屋内に、このような傷を残す頭を打ち付けるような何かがあるとは思えないからです。あくまで推測ですが、屋外の石が点在するどこかが犯行現場だったのでしょう。ただ、犯行は計画的なものではなく、偶発的なものだったと思われます。最初から殺人を計画していたなら、突き飛ばしてから殺害するなんていうお粗末な行動はとっていないはずだからです。おそらく、何か話でもしていたんでしょうね。その最中に男が何らかの理由でカッとなって被害者を突き飛ばし、被害者はそのまま仰向けに転倒して背後にあった石に後頭部を強打。この段階では被害者は死んでいませんが、気絶したと考えるべきです」

 榊原はそう言いながらマネキンを突き飛ばす。マネキンは床に倒れ、派手な音を鳴らした。

「犯人はそれを見て青くなった。このまま彼女が生き返れば、自分が突き飛ばした事がばれてしまう。そこで、犯人はおそらく突発的に被害者を殺害する事を思いつくと、こうして仰向けになった被害者の上に馬乗りになり、手で相手の首を圧迫するように絞めて殺害した」

 榊原が実際にマネキンでその動きを示す。誰からも反論はなかった。大学院生たちの表情も真剣なものになっている。

「以上から考えられる犯人像ですが、まず、被害者と親しい男性であるという事は確実です。この当時の男女関係がどうなっていたのかはわかりませんが、おそらく家族か恋人、夫婦といった線が妥当でしょうね。少なくとも、被害者と二人きりになれ、対等に話せる関係であったはずです。……まぁ、この辺がこの遺骨の傷から推察できることでしょうかね」

 しばし誰も口を開けずにいた。正直、何かわかればいい程度にしか思っていなかったので、まさか榊原が遺骨の傷からここまで詳細に事件の様子を明らかにするとは予想外だったのだ。逆に言えば、たった二つの遺骨の傷からここまでの情報を引きずり出してしまった榊原の推理力が桁外れであるという事にもなろう。もっと手がかりがあればどこまでわかるか、末恐ろしいものはある。

 もっとも、たった一人、瑞穂だけは「さすが」と言わんばかりの得意げな表情で院生たちを見つめていた。

「いやはや……何ともはや……」

 黒羽はそう言うので精一杯だった。これに対し、榊原は謙遜気味に言う。

「もちろん、これは私の推測に過ぎず、直接的な証拠はどこにもありません。反論があるなら、遠慮なく言ってください。そうした方が、より真実に近づけると思いますので」

「反論……君たち、何かあるかね?」

 黒羽は学生たちに呼びかける。が、学生たちも互いの顔を見合わせるだけだった。

「だが、この推察が正しいとすれば、次に問題になるのは……」

「被害者の身分。それがわかれば、犯人の身分も明らかになるでしょう。少なくとも、被害者と犯人がほぼ同じ身分なのは間違いなさそうですから。それを知るための手掛かりは……」

「副葬品、ですね」

「問題の原田山13号遺跡からでた埋葬品は、どのようなものがあったんですか?」

 榊原の問いに、院生たちが慌てて棚の方へ走っていく。しばらくすると、三人はいくつかの段ボール箱を抱えて戻ってきた。

「これで全部です」

 段ボール箱にして三箱。その中に、原田山13号遺跡から発掘された遺物が保管されていた。

「随分少ないようですね」

「そうなんです。この遺跡、盗掘はされていなかったんですが、それにしては他の遺跡に比べると副葬品の数が少ないんです。その点もまた疑問でして」

 金沢が代表して答える。と、瑞穂がおずおずと手を挙げた。

「あの、素人の私が言うのもなんですけど、本当に盗掘されていなかったんですか? 副葬品が少ないなら、実は盗掘されていたという可能性もあるんじゃ……」

「それはないと考えています。この手の遺跡の場合、盗掘されていたら遺骨が無事であるはずがありませんから」

 その答えに瑞穂は首をひねる。

「どういう意味ですか?」

「こういう古代の遺跡の場合、遺体そのものにも副葬品がつけられている事が多くて、それらにもかなりの価値があります。例えば首飾りや腕飾り、高貴な人の場合だと着ている服そのものも価値の高いものになります。で、盗掘されていた場合、これら体につけられている副葬品も盗まれますから、中にあった遺骨も無茶苦茶になってしまう事が多い。むしろ、そういう副葬品の方が高価なので、盗人は積極的にそちらを狙います。今回の遺骨は、そこまでひどい事にはなっていませんでした。したがって、盗掘の可能性は低いと考えています」

「では、この中で遺体に直接つけられていた副葬品はありますか?」

 榊原が確認すると、金沢は手袋をして慎重にいくつかの遺物を取り出した。

「腕飾りに……衣服の切れ端ですか」

「えぇ。もっとも、衣服に関してはかなりボロボロで遺骨の下の部分のみわずかに残っていただけですし、腕飾りも土砂崩れのせいで腕からは外れた状態での発見でしたが」

「これで彼女の身分を特定する事は可能ですか?」

 榊原の問いに、黒羽は渋い表情をした。

「難しいでしょうな……ただ、腕飾りをつけていたとなると、それなりに身分の高い人物だという事は想像がつきます。もっとも、この時代は女性を埋葬している古墳自体が珍しいので、彼女が一般人である可能性は非常に低いでしょう。仮にこの遺跡が三世紀後半から四世紀にかけてのものだとすれば、今までの例から考えれば埋められているのは司祭者か武人と考えられます。現在のところ、副葬品から我々は前者……司祭者関係だと考えていて、そこから先ほどお話しした卑弥呼の墓説も生まれてきています」

「そうですか……その辺の解釈は専門家であるあなた方にお任せするしかありませんが……」

 榊原はそう言いながら、他の副葬品をとりあえずチェックしていく。確かに、銅鏡や勾玉など祭司的なものが多い。これが武人なら刀剣や甲冑などがあるはずだ。もっとも、遺骨が女性である以上、被葬者が武人である可能性は限りなく低いのだが。

「実は、原田山ではかつてよりいくつか遺物が何度か出土していましてな。まだ何かあるのではという噂はあったのです。ただ、これまで本格的に調査がなされた事がなくて、今回の発見に至っています」

「一年くらい前にここの研究室にいたある先輩があの山をかなり突っ込んで調べていたんです。もっとも、結局何も発見できずに失意のまま大学を辞めていきましたけど。そういう意味でも、この遺跡は俺たちにとっては特別なんです」

 金沢が補足する。

「という事は、それまで見つかった遺物もここに保管されていると?」

「はい。全部で十二個。あの遺跡は原田山における十三番目の発見なので『13号遺跡』と名付けられています」

「それも見せてもらえませんか」

 再び学生三人が段ボール箱を持ってくる。よく見るといくつかの箱には発見者のところに同じ名前が書かれている。薄汚れているが『松浦茉奈まつうらまな』と読めた。

「この人物が?」

「ええ。一年前まで我が黒羽研究室に在籍していました。原田山で最初の遺物を見つけた人間でもあって、原田山の研究をテーマにしていたものです。あそこで見つかった遺物のうち半分以上を彼女が見つけています」

「連絡は取れますか?」

「いいえ。発表した論文を他の先生方に相当に馬鹿にされてしまいましてな。結局、そのまま気を落として大学を辞めてしまったのですよ。風の噂でどこかの博物館にいるらしいとは聞いていますが……今はどこで何をしているやら。今この場にいてくれたらと思うと、残念でなりません」

 黒羽が本当に残念そうな表情で言う。

「最初に見つかったのは?」

「これです」

 差し出したのは古い鏡だった。

「三世紀から四世紀頃の鏡でしてな。原田山のフィールドワーク中に松浦君が見つけたんですよ。以降、彼女はあの山に夢中になりました」

「なぜそこまで?」

「さぁ。何か琴線に触れるような事があったのでしょう」

「ふむ……」

 榊原は遺物を一つ一つ確認していく。

「……どうやら、先生方の言うように、現状では司祭関係者と考えるのが一番妥当なようですね。この時代、身分の高い女性がいる数少ない職でもあるでしょうし」

「となると、彼女を殺したのも同じ司祭関係者ですか?」

「もしくは、彼女に司祭を頼む上流階級の人間でしょう。いずれにせよ、かなり的は絞れたようです」

 榊原はそう言って、黒羽を見つめた。

「とりあえず、この場でわかる事はこの程度ですね。あとは、明日にでも現物の遺跡を見て考える事にしましょう。それに、一晩かければ考えももう少しまとまるかもしれませんし」

「そうですか……わかりました。それで結構です」

 黒羽の返事に、部屋に漂っていた緊張した空気が緩む。

 それが、榊原によるこの依頼への最初の検証の終了を告げる合図となったのであった。


「先生、凄かったです。よくあれだけの事がわかりましたね」

 控室に戻ると、瑞穂が嬉しそうに言った。

「たまたまいい条件がそろっていただけだ。普通はああはいかない」

「でも、学生の人たちもみんな目を丸くしていましたよ。いい気味です」

「瑞穂ちゃん、それ、本人たちの前で言わないようにね」

 榊原は呆れ気味に言う。

「でも、これで依頼のほとんどは果たせたと言ってもいいんじゃないですか?」

「そうかもしれないが、依頼を受けた以上は期限一杯までやりきる事にする。それが私のやり方なものでね」

「この後どうしますか?」

「そうだな……とりあえず、原田山をずっと調べていたという松浦茉奈という人物に話を聞いてみたい。話を聞けなくても、彼女が持っているであろう資料を見られるだけでも充分なんだが……この辺は後で黒羽教授に相談してみよう」

「その後は?」

「今日はもう宿に行く事にしよう。駅前のビジネスホテルに二部屋予約を入れてある」

「えぇ……もっと観光したかったのになぁ。この近くだったら東大寺とかあるのに」

「もう夕方だ。閉館時間も近いし、のんびり見ている時間なんかないぞ」

 そう言いながら榊原は腕時計を確認する。すでに時間は午後五時を回ろうかというところだ。

「それじゃあ、挨拶してホテルに行くとするか」

 榊原と瑞穂は部屋を出ると、先程の資料保管庫に入った。黒羽がいるかと思ったのだが、中には大学院生の曽部が資料のリストを確認しているだけだった。

「あ、どうも」

「黒羽さんは?」

「さぁ。自室にいないんだったら、大学に戻ったのかもしれません。何か用ですか?」

「いや、ホテルに戻るから挨拶でもと思って」

「何だったら僕から伝えておきますよ」

「あぁ、それは助かる」

 そんな会話をしながらも。曽部は資料のチェックをしていく。

「大変そうだね」

「これが僕の仕事ですから。ここの資料の管理は全部僕に任されているんですよ。もちろん今回の遺骨や遺物も、です。大変だけど、やりがいがあります」

「君はずっと黒羽研究室に?」

「そうです。昔から歴史が好きで、こうしてこの世界に飛び込んでしまいました。大学のゼミ時代から、こうして資料の整理をやらせてもらっています」

 曽部は照れくさそうに言う。

「他の二人もそんな感じなのかね?」

「そうですね。金沢さんは根っからの遺跡マニアって感じだし、福原さんはお父さんが歴史作家だそうで。ま、変り者たちの巣窟ですよ、ここは」

「昔いた松浦って子も?」

 榊原は何気なく尋ねる。

「あの人は実際に自分で遺物を発見して、原田山に取りつかれていましたからね。そういう意味では、こんな変な話を引き受けたあなたも充分変わり者ですけど」

「自覚はしている。邪魔したね」

 そうして榊原が部屋を出ようとした時だった。

「あ、この後研究室に行くんだったら、そこの段ボールを持って行ってくれませんか? 今、ちょっと手が離せなくて」

「構わないが、素人の私が扱ってもいいのかね?」

「入っているのはガラクタばかりですよ。申し訳ありませんが、お願いできますか?」

「まぁ、そのくらいは別に構わないが」

 そう言うと、榊原は段ボール箱を持ち上げた。

「すみません。お願いします」

「別にいいよ。それじゃあ」

 そのまま榊原は資料保管庫を出た。

「何か、変な事を頼まれましたね」

「隣の部屋に持っていくだけだ。大した仕事じゃない。すまないが、ドアを開けてくれないか?」

「はーい」

 瑞穂が隣の部屋のドアを開け、榊原が中に入る。中には残る二人の大学院生……金沢と福原がいた。

「あれ、探偵さん。どうしたんですか?」

「曽部君にこれをもっていってくれるように頼まれてね。ついでに黒羽教授に挨拶したかったんだが」

「教授なら、学会がどうとか言って大学に戻っています。あと三十分ほどで戻ると思いますけど」

「そうか……。なら、伝言だけ残して帰るとしようか」

「あ、段ボール、お預かりします」

 福原がそう言って段ボール箱を受け取ると、そのまま部屋の隅に持って行った。

「それにしても、さすがは本職の探偵さんですね。あの遺骨からあれだけの事を推測するなんて、俺には真似できませんよ」

「いや、こっちとしてもかなり必死だった。やはりいつもと勝手が違う」

「やっぱりそんなものですか?」

「私は歴史学者じゃないんだ。ああいう事は当時の風習なんかを知っておく必要がある。それはそっちの方が専門だろう。私はあくまで探偵として、犯罪捜査の側面から指摘をしたに過ぎない」

「それでも凄いです」

 そんな話をしながら、榊原は何気なく机の上を見た。そこにはいくつかの写真が貼られたアルバムのようなものが置かれていた。

「あぁ、これですか。原田山での発掘を記録した写真です。さっきの指摘があったんで、引っ張り出してきたんですけど」

「という事は、松浦という子も写っているのかね?」

「もちろん。ええっと、これですね」

 金沢は一枚の写真を取り出す。そこには山の中腹でスコップ片手にピースをしている長髪の女性の姿があった。

「俺の一年先輩です。一年前時点で博士課程二年生。これは、最初に原田山で遺物が見つかった時の発掘風景ですね」

「彼女、どうしてそこまでこの山に?」

「調べていた文献の中に、原田山に関する事が書かれていたらしいです。明日香村にも近かったですし、ずっとフィールドワークをしていたって聞いています。本当に見つかるとは誰も思っていなかったみたいですけど、先輩は諦めずに見事遺物を探し当てた。今でも尊敬していますよ」

 そこで榊原の目が光った。

「その文献とやらは今どこに? あの遺跡の事を少しでも調べておきたいんだが」

「すみません。地元の古本屋で見つけてきたものらしくって、現物は今ないんです。ただ、遺物を発見した時に先輩が書いた論文があって、その中にその文献の内容も書かれているはずです。見ますか?」

「ぜひ」

 金沢は研究室の片隅ある本棚に近づくと、一冊の論文集を取り出して榊原に手渡した。ページをめくると、その中程に『松浦茉奈』名義の論文が掲載されていた。

『原田山一号遺物の発見と考察~原田山遺跡の存在の有無に関して』

「これ、借りても?」

「いえ、差し上げますよ。同じものは何冊もありますから」

「あのー、地元の古本屋って、松浦さんどこの出身だったんですか?」

 瑞穂が興味深げに尋ねる。

「東京ですよ。確か高円寺の辺りだったかな。例の文献は神保町にある古文書専門の古本屋で見つけた物らしいです」

「へぇ、神保町でそんな重要な古文書が見つかる事があるんですね」

「……彼女、大学を辞めたって言っていたね?」

 榊原の言葉に金沢も微妙な顔をする。

「まー、何て言うか……その論文がかなり馬鹿にされましてね。個人的にはいい論文だと思うし、実際に遺跡はあったわけだから当時の先生たちの見解が間違っていたんでしょうけど。ある日、共同研究室の机の上に置手紙を置いて、そのまま……」

「今、どこで何をしているのか……私たちもよく知りません」

 福原が後を続けた。榊原は、それを黙って聞いていた。


 その夜、奈良駅前のビジネスホテルの一室。榊原がどこかに電話をかけていた。

「そうだ。名前は松浦茉奈。実家は高円寺にあるらしい。明日までにちょっと調べてくれないか。本人がいたら、私が連絡を取りたがっていると伝えてくれ。遺跡について色々聞きたいのでな。そう文句を言うな。いつも情報をやってるだろう。たまにはこれくらいしてもらうぞ。じゃあ、また」

 電話を切ると、榊原は小さく息を吐いた。一方、ベッドにはなぜか瑞穂が興味深げな顔をして腰かけている。

「どうしてわざわざ私の部屋に押し掛けてくるんだね。色々誤解されると思うが」

「まぁまぁ、心配しなくても寝るときにはちゃんと自分の部屋に戻ります。というか、先生がその手の話題に全く関心がないのはよく知っていますので」

 榊原は深いため息をつく。そんな榊原を見ながら、瑞穂は少し真面目な顔で言った。

「ねぇ、先生。どこに電話をかけていたんですか?」

「知り合いの新聞記者だ。松浦茉奈の現在の所在を調べてくれるように頼んでおいた。やはり依頼を遂行するにあたって、原田山遺跡にすべてを賭けていた彼女の話は聞いておきたい。本来なら私が調べるんだが、今回はいかんせん東京まで戻って調べている時間がない」

「でも、凄いですよねぇ。まだ若いのに、たった一つの文献からあれだけの大発見をできるなんて。普通はできない事ですよ」

「その分、挫折も早かったようだが」

 榊原は容赦ない。

「論文、読みましたか?」

「ま、一通りは。それなりに興味深かった。自身が発見した遺物……最初に発見した古代の鏡といくつかの文献を主軸に、あの山にさらに何かの遺跡が眠っているのではないかと結んでいる。見つかった鏡は、かつて近隣の明日香村にある大型の古墳から大量に見つかったものとほぼ同じもので、そこから原田山にもこの古墳に近い何かがあると判断したようだ」

「へぇ。で、その古本屋で見つけた文献は?」

「論文で読む限りだと、『大和国覚書』という平安時代中期の書物だな。著者は藤原春平ふじわらのはるひらという大和近辺の荘園領主。この中に、原田山に古代の墓が眠っているという伝承が書かれていて、彼女はこの記述と問題の鏡から原田山に眠る三~四世紀頃の遺跡の存在を確信している」

「聞いた限りだと正当な主張だと思いますけど」

「そうともいえない。さっき電話した記者だが、一時期文化面の担当だった事があってな。この手の話に詳しいから、ついでにこの文献に関して聞いてみたんだが、この『大和国覚書』の著者とされている藤原春平はかなり胡散臭い人物らしい。名前からして藤原氏の人間のようだが、彼に関する史料はほとんど存在しない。はっきり言えば存在そのものが怪しい人物とされていて、必然的にこの『大和国覚書』も怪しい文献とされてしまったようだ。仮に本物だとしても、時代が平安時代とかけ離れているから、そちらの面でも信憑性は怪しいんだがな」

「はぁ、なかなか難しいですね」

 瑞穂は大きく伸びをしながら言った。

「原田山から見つかった遺物は、今回のものを含めても十三。このうち半分以上に当たる七つを彼女が発見している。これが、原田山と各遺物が見つかった場所を示した地図だ」

 そう言うと、榊原はベッドの上に大きな地図を広げた。

「こうしてみると、彼女が見つけた遺物は山のあちこちでまんべんなく見つかっていますけど、9号遺物から12号遺物までは今回見つかった13号遺跡から離れた山の裾の辺りでまとまって見つかっていますね」

「彼女が退学した後でこの辺を中心に何度か調査があったみたいだな。9号遺物以降はその調査の過程で随時見つかっている。やはり山全体を調査していた彼女の探索力は並のものじゃない、という事になるんだろうが……」

「問題は、ここから何かわからないか、ですね。主に問題の遺骨関連で」

 そう言いつつも、瑞穂はうーんと唸った。

「……っていうか、これ全部13号遺跡の副葬品関連ですよね。つまり死後の話であって、遺骨の殺害状況とは一切関係ないんじゃ……」

「そういう事だ」

「ちょ! それ、考えていた私が馬鹿みたいじゃないですか!」

 瑞穂が思わず絶叫する。が、榊原は小さく肩をすくめただけだった。

「確かに殺害状況には直接つながらないかもしれないが、それでも当時の生活状況や被害者の身分を知る重要な証拠にはなる。もっとも、その辺は何度も言うように歴史学の範疇で私の管轄ではないがな」

「じゃあ、一体?」

「いや、少し気になってな。最初に見つかった1号遺物の鏡だが、彼女……松浦茉奈は、どうしてこの場所に埋まっていると思ったんだろうな」

 榊原は鏡の出土場所を見ながら呟く。そこは今にしてみれば、13号遺跡からはやや離れた場所である。

「文献を頼りに山中を探し回った、って事じゃないんですか? というか、それしか考えられません」

「問題の文献が手元にないのが痛いな。彼女がこの場所に行きついた根拠でもあれば一歩前進だったんだが」

「他には何かりますか?」

「そうだな。遺物の発見場所がバラバラになりすぎているのも気になる。いくら昔の遺跡とはいえ、元は13号遺跡の副葬品だった物品がこんなにバラバラの場所で見つかるものなのか?」

「それは……確かにそうですね」

 瑞穂も頷いた。

「……もしかしたらこの遺跡、黒羽教授たちの見解とは違って本当は盗掘されていたのかもしれないな。で、副葬品の一部が周囲にばらまかれる事になった」

「でも、そういう場合棺の中も荒らされて遺骨も残らないはずじゃあ……」

「だから、墓荒らしも棺の中に手を出せない人物が遺体の主だった、と考えればどうだ?」

「いや、その発想は思いつきませんでしたけど……そんな人いますか? せいぜい天皇家の人間くらいだと思いますけど、副葬品や墓の規模から考えるとどうも天皇家の人間とは思えないんですよねぇ」

「うーん、やっぱりこういう歴史的な作業は専門外だな。私がやるとどうしても犯罪捜査的な思考になってしまう。それ以前に、何かずれているような感じがしないでもない」

 榊原はそう言って天井を仰いだ。

「やむを得ない。ちょっと頭を冷やすとしようか。一晩寝れば何かいい考えも浮かぶかもしれない」

「そうですね。じゃあ、私は部屋に戻ります。明日はどうします?」

「言った通り、一度問題の遺跡に行ってみよう。朝の七時半に一階ロビーで待ち合わせてレストランで朝食バイキング。八時半にここを出よう」

「わかりました。じゃあ、お休みなさーい」

 そう言って、瑞穂は部屋から出て行った。騒がしかった部屋に静けさが戻る。

「いつもこれだけ素直ならいいんだがな……さて」

 そう呟くと、榊原の目が急に真剣になった。

「何となくだが……今回の依頼、その姿がしっかり見えてきた。明日には決着をつけようか」

 その厳しい口調の言葉を聞く者は、誰もいなかった。

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