2023-3-16
日記書いてるんですー。と話してみた。別に自慢するようなことでもないので、この話題は一年以上書いてきたが初めて出した。多分相手が話しやすいとか深夜だったとか色々要因はあるだろうが、はっきりとこれと断定できるような理由はない。相手の反応は、「三日坊主?」だった。当たり前だ。日記と筋トレは三日坊主の二大巨頭だと思う。別に自慢するようなことではないと書いたが、三日坊主というマイナスなことを言われると急に一年も書いている自分が特別で高尚なものに感じた。一年前の1/1から書いてるんですよー。と答えると「え、すごい!」と言われた。やっぱり私は凄いのかもしれない。話を流しても良かったが、今日はこのこと書こうかな。と冗談ぽく言ってみた。これは半分自慢だったとおもう。それに気づいてすぐに日記の話題は流した。冗談ぽく言った言葉が本質になっているのは、終着点が決まったものに対しての行いである気がした。サルトルがそのような言葉を残していたな。とぼんやりと考えたが、意味が違うことにすぐに気づいた。私は話が上手いと思う。これは日記を書いているからかもしれないが、日記を書く以前からそうだったかもしれない。今となっては分からないことだが、この命題もサルトルが言及していたな。と考える。私なんかが抱く疑問は全て偉大な先人が通ったあとの道であり、彼らより先に産まれていたら、などと少しでも考える自分が恥ずかしい。別にりんごが落ちたからって私は何も感じないのだから、その道を道とは認識できなかっただろう。どういう意味でも偉大な先人への敬意を欠く人間は、想像力もかけていると思う。
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