第5話 スカベンジャーズ・チャレンジ

 青い空と照りつける太陽。アツアツに焼かれた砂浜。波の音と潮の香り。

「うーみーだああああああ!!」

 先輩の絶叫。

 僕らは海にやってきた。大学から南に十分も自転車を走らせれば、すぐ海岸にぶつかるのだ。行きたいと思ったらすぐに来られるのがいい。砂浜を歩くだけでもいいし、座って地平線を眺めるもよし。海なし県出身の僕にとって、海のある生活は憧れだった。まあ、海のそばに住んだからって、毎日ここへ足を運んだりはしないのだけど。

 先輩は荷物を放り出して砂浜を疾走していった。あっという間に波打ち際に到達して一人ではしゃいでいる。

「あいつ、小学生か?」斎藤さんは付き合いきれない、という顔をしている。

「ぜんぜん混んでないですね」

「海水浴場じゃないからな。海の家もシャワーもねえし」

 ジョギングしてる人とか、手を繋いで波間を歩くカップルとか、砂で遊んでいる家族とかがチラホラといるくらいだ。僕と他のメンバーは荷物を持ってゆっくりと進んだ。適当な場所にかばんをおろしてシートを敷く。

 先輩が戻ってきた。

「ビーチバレーをやるぞお! ボールどこ?」

「気がはえーよ! 落ち着け」

 斎藤さんが先輩を静めようとするが、先輩は服を脱ぎ始めていた。

 本日の先輩は布の面積が少なく、惜しげもなく肌を露出している。白Tシャツとデニムのショートパンツという格好で、それすらポイポイッと脱ぎ捨ててビキニ姿になった。先輩らしい明るいオレンジ色で、花の模様がアクセントだ。

 雑誌の巻頭グラビアみたいなスタイルの良さだ。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。そして先輩がいちいち大袈裟な動きをするせいで……めっちゃ揺れるのである。女友だちなんて何年もいない僕にとって、水着の女子大生は刺激が強すぎた。やばい……自重しろ僕。あまりじろじろ見ると変態だと思われるぞ!

「ボールなら今から膨らませるっすよ」

「石橋くん、私はもう準備できてるんだけど?」先輩は腰に両手を当てて頬を膨らませた。自分は荷物を放り出して行ったのに、よく言えたものだ。いっそすがすがしい。

「じゃあコートでも描いといてください」

「喜んで~!」

 鼻歌を歌いながら流木を使って砂浜に線を引く先輩。……今日もテンション高いなぁ。

 石橋さんが小さい空気入れをシュコシュコ動かしてビーチボールを膨らませる。他の人たちは特にやることもないので着替え始めた。

「渡辺くん」

 上着を脱いで上半身裸になったとき、いきなり先輩が目の前にいた。豊満な二つの丘を直視してしまい、慌てて視線をそらす。先輩の存在はまぶしすぎて毒だ。目のやり場に困る。

「ど、どうしたんですか」

「見てこれ」

 先輩が手を出した。きれいな貝殻でも拾ったのかな?

「フナムシ捕まえたよ!」

「ですよねー! うわっ……」

 先輩の指から逃げようともがいているのは、ゴキブリとダンゴムシを足して二で割ったような生き物。羽はないけど足がいっぱいある。フナムシって、近づくと一斉にダッシュで逃げていく姿がゴキブリみたいで苦手なんだよな……。

「フナムシ食べたことある人?」

 誰も食ったことはないらしく、手は挙がらない。

「まずは素揚げですかねー?」

「殻の食感がパリパリしてうまいかもねぇ。磯の風味があればエビかカニに近そうだけども」教授の真面目なコメント。食べる気満々である。

「おまえ、よく素手で捕まえられたな。そいつ、むちゃくちゃ逃げ足速いだろ?」と斎藤さん。

「そっと近づいてガバッと行ったら捕れた」

「とりあえずこの袋にでも入れとけ」

 先輩は斎藤さんからビニール袋を受け取った。

「みんなの分も捕まえとくね」

 先輩はフナムシ採集に向かった。たぶん大学に帰ってから試食会をするのだろう。ビーチバレーのコートは未完成のままである。

「渡辺さん」

 今度は凜ちゃんに呼ばれた。

「どうですか?」

 凜ちゃんは水色のビキニだった。スカート風になっていて、波打つひらひらが可愛らしい。先輩ほど主張が強いものは持っていないが、スレンダーで魅力的である。すらりと伸びた脚やお腹のくびれなど、モデル顔負けだ。僕にとってはこちらも猛毒だけど。

「うーん、発展途上だな」なぜか斎藤さんが腕組をして残念そうに評価を下した。

「斎藤先輩に聞いてないのですが」冷たく突き放すような目でにらむ凜ちゃん。「渡辺さんに聞いています。きちんと見てください」

「え、あー……いいと……思います」

 じろじろ見られるわけがない! だからそんなふうに答えるのが精いっぱいだ。

「普通にいいという意味ですか? いい意味でイカれてるという意味ですか?」

「最初のほうだよ! 水着の感想が後者になることってあるの!?」

「では、いいというのは猪俣先輩よりですか?」

「へ?」

「大きいのがお好きですか?」

「いっ……いやいやいやいや!? 凜ちゃん、何言ってるの!?」

「先輩のことを、なめまわすように見ていましたので」

「ちょっ!? 僕そんなふうに見てないよね!?」

「そうですか? じゃあ、そういうことにしておきます」

 凜ちゃんはスタスタと歩いていく。いつの間にかボールに空気が入って、みんなビーチバレーをやる気になっているようだった。

 一方、先輩だけ砂浜に打ち上がったゴミのところに這いつくばってフナムシに夢中である。

「おい、フナムシ女。バレーやるぞ」



 ビーチバレーをしてから、ちょっと海に入ってキャッキャとはしゃいで、岩場へ行って生き物の観察をして、僕らは研究室に帰ってきた。

 いつもの手順で海の掃除屋(スカベンジャー)ことフナムシたちは素揚げにされた。熱湯での加熱殺菌。水気を拭き取ってから、油の中へ。ごく簡単な調理である。

 揚げフナムシをお皿に並べて、途中のスーパー『マム』で買ってきたお菓子や餃子も広げて、試食会は軽い飲み会の様相だ。まだまだ日は高いのに、先輩や斎藤さんはお酒の缶を開けている。いつも何かしら飲むための口実を探しているのだ。

「ではみなさん、いただきましょう! そしておいしかったら来年もまた食べましょう!」

「おまえ卒業してんだろうが」

「あ、確かに! 来年はいないじゃん!」

 みんなが笑って、試食会が始まった。

 僕以外はフナムシに興味津々で、じっくりと匂いを嗅いだり見た目を楽しんだりしている。僕はみんなが毒見をした後に食べるつもりだ。

「微妙に磯くせえな」

「なんか臭うっすね」

「そう? 私、臭くないけど」

「おまえも磯臭いんだが?」

「だってまだシャワー浴びてないし! 仕方ないじゃん!?」

 僕らは海から研究室に直接来たので、みんな服の下に水着を着ている。先輩の白Tシャツにオレンジ色の水着が透けていて、目のやり場に困る。

「絶食してフンを出させてからのほうがいいみたいだねぇ」

 わざわざそういう手間をかけることもあるらしい。食材をおいしく食べたいという人間の欲望の深さは計り知れない。

 匂いの評価はあまり良くないようだ。では、味はどうか。

「苦いなこりゃ」

「苦いっす」

「にがっ!?」

「うーん、この味はエグいねぇ」

「まずいです」

「微妙にエビの風味があるな」

「でもうまくはないっすね」

「食感は好きだよ、私」

「内臓取らなきゃダメだねぇ。いつまでも苦いのが口の中に残ってるよ」

「これは人間の食べ物じゃないです」

 ダメじゃん!! 誰も高評価の人いないじゃん。全員渋い顔してるよ……。

「渡辺は食わないのか?」

 斎藤さんがギロリと僕を見た。

「い、いや~、まずいなら遠慮しておこうかと……」

「いらねえなら、残りも全部食っちまうぞ?」

「低評価してるのにまだ食べるんですか?」

「そりゃそうだ。食えないほどまずくねえからな。食いながら、うまく食う方法を考える」

「まずい命にも感謝だよ、渡辺くん」

 間違ってはいない。称賛に値する精神だけど……。

 斎藤さんはひょいと揚げフナムシをつまんで口に放り込み、咀嚼しながら「焼いたら香ばしいエビ感が増してマシになるかもな……ちょっと試してみっか……」とつぶやく。おもむろに立ち上がってフライパンを準備し始める。

「斎藤くん、私も焼きで食べたい!」

「僕も焼きで一匹味わいたいねぇ」

 今までの虫料理はどちらかというとおいしかった。『あまり味がない』とか『まずくはない』という評価も含めてだけど。それはたぶん先輩たちが経験的においしい虫やその虫に合った調理方法を知っていたからであって、未知に挑戦するときはいつもこんなふうに手探りなのかもしれない。

 挑戦、失敗、改善。トライアル・アンド・エラー。試行錯誤。

 そうやって前に進んでいくのだ。みんな、そうやって。

 それなのに僕は、挑戦すらしていないじゃないか。何もしないで済まそうとしているじゃないか……。

「んじゃ、これ全部焼いちまうぞー」

「お願いしまっす」

「斎藤さん……!」

 僕はフナムシをフライパンに投入しようとしている斎藤さんを止めた。

「なんだ? いきなり」

「焼いちゃう前に、一匹ください」

「いや、別に無理して食わんでもいいんだが」

「いいえ、食べておきたいです。そうじゃないと、焼いたらどう変わるのか分からないです」

「ほら」

 僕は一匹だけ斎藤さんからもらって、匂いを嗅いだ。うん、磯臭い!

「まずいって分かってるのに食べようとする渡辺くんに、私は感動してるよ!」

 これから食べようとしてるのに、まずいって言わないでほしい。見た目は正直、気持ち悪い。見るからにまずそうだ……。

 僕は意を決して口に入れた。

「……どう?」

 オエッ……マッズ……。サクサクした食感と、ほのかに感じるエビっぽい風味は悪くないんだけど、それを遥かに上回る強烈な苦味が口の中を支配している。

「ひ、ひどい味でした」ちょっと涙が出た。

「だよねー!」

 そんなことをしているうちに、焼きフナムシが出来上がってきた。見た目はさっきとそれほど変わっていないけれど、香ばしい香りが漂う。

「改めていただきます!」

 先輩が一番乗りで焼きフナムシにチャレンジした。次々と他のメンバーも続く。僕も今度は他の人の感想を待たずに食べてみた。

 うん、まずい! でもさっきよりはマシ。焦がして香ばしさをUPしたおかげで、臭みと苦さが少しだけ打ち消されている。でも何度でも言うけど、まずい。まずすぎる。

 メンバーの意見も同じようなものだった。ちょっとマシになったけど結論は苦い。まずい。以上。

 でもみんな、そんなことは気にしていないみたいだ。今回のように食べてみたらまずかった、という経験は何度もあるのだろう。だからこそ、たくましい。

 僕らは捕まえてきたフナムシの命を完食した。

 食後、おのおのくつろいでいるメンバーを見ていたら、一つの疑問がわいてきて、どうしても聞きたくなった。実際は前から思っていたのだけど、なんとなく聞くのをためらっていた疑問だ。

「そもそもなんですが、みなさん、どうして虫を食べるんですか? すごくおいしいなら兎も角、おいしいかどうか分からないものまで……」

「いい質問だね」と先輩が身を乗り出したので、胸の辺りが強調されて気まずくなった。

「私は日本に虫食い文化を広めるための研究と実践です!」

 先輩はドヤッという顔で言い放った。

「そういえば猪俣さん、サークル作ったばかりの時はだいぶ壮大なこと言ってたよねぇ」

「もちろん今でも初心を忘れてませんよ、私は」

「僕も昆虫食を日本の素晴らしい文化として伝えていきたいという気持ちかなぁ」

 須藤教授も真面目な理由を挙げた。他の人もそんな感じだったらどうしよう、と不安になる。なんせ僕は先輩に一目惚れしたから虫を食べてる、という不純すぎる動機しかないのだから。

「俺は虫っていうより、食ったことない食材、スーパーとかコンビニじゃ売ってない食材に興味があるだけだな。虫にこだわりはない」

「え、斎藤くん、昆虫食への愛情、そんなに薄いの?」

「あと楽しく酒が飲めれば正直何でもいい」

「それはある!」

 うんうんと頷く二人。

「石橋さんは?」

「話のネタのために面白半分で参加してみたら勧誘されたっす。まあ、昔はカブトやクワガタを探して走り回ったこともあるんで、虫を捕まえるのは少年時代みたいで好きっすね。それだけっす」

「石橋くんも愛情薄くない!?」

「最初はかなり抵抗ありましたけど、一度食べちゃえば全然イケるって分かったんで。そのままなんとなく継続してる感じっすかね」

「惰性ってやつじゃん! そのうち倦怠期が来て不倫するよ!?」

「サークルならここ以外も三つほど入ってるっすけど」

「もう不倫してたよ、この男!?」

 先輩、知らなかったらしく、ショックを受けている。聞いちゃまずかったか……。でも複数のサークル入るのは大学では普通のことだと聞いたことがあるから、そんなものなのかもしれない。

「凜ちゃんは……教授がいるからだよね?」

「はい、暇なので」

 部活とかやってないんだろうか。変な女子高生だ……。

「渡辺さんは猪俣先輩に一目惚れしたからですよね」

 ブフ――ッ!! 僕はお茶を噴き出した。

「ななな、なにを言ってるのかな!? 凜ちゃんは」

 白黒する目で周りの様子をうかがうと、先輩はちょうど冷蔵庫のほうへビールを取りに行っており、聞いてなかったらしく、「渡辺くん何やってるの!? うけるんだけど!」と大笑いしていた。

「冗談なのですが……?」

 凜ちゃんはホントに冗談のつもりで言ってみただけなのか、不思議そうに首をかしげている。

「ぼ、僕は、入るときにここで話した通り、あの写真を見て、いいなって思って」

「そうでしたね」

 心臓が飛び出たかと思った。

 凜ちゃんは発言が予測できなくて怖い。まるで爆弾だ。

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