第20話 悪夢の撞球室



 場面は戻る。

 ジェイコブ王太子に誘われたコーデリアは、亡霊のような足取りで、二階の自室から一階の撞球室へ。


 言われるまま、機械的にナインボールをする。その二ゲーム目の途中、


「ランという毒見役の女がいる」


 キューを握って撞球台に身を乗り出した王太子が、自ら切り出した。


「……はい?」


 彼女は知らない顔をして聞き返した。しかし心臓は、激しく鳴っていた。

 王太子が冷たい目を彼女に向ける。


「珍しく、まだ父が手をつけていなかった。ほんの数日前に選ばれたばかりだからだ」


 ここで王太子は、奇妙な嘘をついた。

 ランが選ばれたのはこの日の昼であって、数日前などではない。

 このサディストの王太子は、自分が十四歳の少女に一目惚れしたことに動揺していた。

 それを認めるのが恥ずかしいーーという気持ちがあったため、ランは数日前から後宮にいたが、たまたま王がまだ夜這いに来ていないことを知ったため、興味を持った。というストーリーを作ったのである。


 どうでもよい自意識であった。

 ランが今日選ばれたことは、コーデリアはエリナから聞いて知っていた。事実、今日の昼までは、前任者が毒見役を務め、その場にコーデリアもいたのである。見え透いた嘘を平気でつく。それもまた、王太子の特徴であった。


 王太子は続けた。


「俺は前から願っていた。父が手をつけていない毒見役の女を自分のものにしたいと。その最大のチャンスが訪れた。あれを正式に俺の妻にしたら、もはや父も手は出せまい」

「ちょ、ちょっと、待って下さい、殿下……」


 鼓動が速くなりすぎて、切れ切れにしか声を出せなかった。


「どういうことでしょう。私はーー」

「婚約破棄だ」


 王太子の目がギラついた。


「俺は独裁国家の王太子だ。文句は言わせない。何ならお前は突然死したことにしてもいいんだぞ」

「教えて下さい、理由を!」

「飽きた。お前の濃い顔に。もうゲップが出たよ」


 この瞬間、コーデリアの中で何かが切れた。


(私の濃い顔に……ゲップ?)


 クソ野郎め。

 人を馬鹿にしやがって。

 王太子妃の座? フン。そんなものクソ食らえだ。

 あんたみたいなクズ野郎には、いつか絶対復讐して、ざまぁ見ろって言ってやっからな!


 と、心の中で吠えたものの、


「どうか命だけは」


 口ではそう懇願するしかない立場だった。

 王太子は唇だけで笑った。


「命だけはか。さあて、こういう場合父ならどうするか。自分に恨みを持つ者を、果たして呑気に生かしておくような甘い真似をするかな?」

「恨みません! どうぞ私に落ち度があったとして、婚約破棄なさって下さい! 家に帰って一生おとなしくしていますから!」

「お前が一生約束を守ると、どうしてわかる? やはり殺してしまったほうが気苦労がない」

「お願いです! お願いです!」


 コーデリアは土下座をした。王太子は非情にも、彼女の頭をキューで突いた。


「やめろ。お前の運命は決まったんだ。決まってないのは死に方だけだ。ピストル、ナイフ、ロープ、どれがいい?」


 返事をせず、ひたすら床に額をこすりつけるコーデリア。

 すると王太子は突然、


「そうだ。毒見役の女を妻にするんだから、お前が毒見役になればいい!」


 と、まるでたった今思いついたかのように叫んだ。


「そうだそうだ。これぞナイスアイディア。まさに万事が丸く収まる」


 芝居である。見え透いた嘘に、次から次へと嘘を重ねる。


「毒見役といっても、暗殺計画がなければ何の危険もない。俺たちと同じ物を食える特別な身分だ。たいてい数年で交代するが、父に気に入られたら、二十年くらい愛人でいられるかもしれないぞ。よし、そうしろ。これは命令だ。父には俺から話しておく。ただし、あくまでもお前が志願したことにするんだ。不満ならいつでも殺すからな」


 毒見役の少女の予言どおりになった。

 近いうちに、「お前を毒見役と交代する」と王太子に告げられるだろうと。


 無念だが、拒否する選択はなかった。

 この提案を呑むしかない。

 でなければ、ブラウン家一族全員が殺される。

 そして、コーデリアにはわかっていた。

 このクソったれの王太子は、毒見役をする一度目の機会で、必ずや彼女を毒殺しようとすることを……


「そうと決まれば早いほうがいい。明日の朝食から、お前が毒見をしろ」


 むちゃくちゃな話である。

 だが現実だ。

 うら若きコーデリアの命は、翌日の朝食までと決まった。


(こいつはきっと、できるだけ苦しんで死ぬ毒物を選ぶだろう。そういう男だ。だったらいっそのこと、この場で舌を噛み切って死んだほうがマシ……)


 本気で死にたい、と彼女は思った。

 しかし、そう思った次の瞬間、


(何で私が、こんなクソ野郎のために死ななきゃならないの?)


 馬鹿らしいにもほどがある、という思いが突き上げてきた。


(ランのところに行こう。私を救けると言ったんだ。残された道はそれしかない)


 コーデリアは、女官のエリナから教えられたとおりに言った。

 

「承知いたしました、殿下。それでは毒見役の心得を、ランさんから習っておきます」


 それを聞いたとき、王太子はこう思った。


(どうやら観念したな。でもお前が毒見をするのはたった一回だ。それで死ね)


 彼女がフグ毒で苦しみ抜いて死ぬ場面を想像して、込み上げる笑いを噛み殺しながら、「好きにしろ」とサディストの王太子は言った。


 コーデリアは一礼すると、撞球室を出て後宮に向かった。

 入口のところで声をかけ、エリナを呼んでもらい、ランにあてがわれた部屋に案内させた。


 このときエリナの心では、快哉の叫びが上がった。


(やった! 奥さんがランを信用してくれた!)


 エリナはドアをノックすると、弾んだ声で言った。


「ラン、お客様よ。奥さんをお連れしたわ。どうか約束どおり救けてあげてね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る