外伝 もう一度、明日を
今日は土曜日、昨日は金曜。なので盛大に夜更かしをした俺は、あくびをしながらリビングへ向かう。何やら甘い匂いがするのは、ライアンが菓子でも作っているのだろう。ライアンは毎週土曜の朝は必ず焼き菓子を作る。もはやルーティーンだ。
「おはよー」
今日はなんだろうか。俺はそわそわしながらリビングへと続くドアを開ける。
「おはよう、ホマレ」
太陽よりも、星の輝きよりも目映い笑顔を向けてライアンが俺へと言った。ふぁ、と再びあくびをして、寝ぼけ眼を擦りながら甘い匂いのもとへと吸い寄せられるように歩いていく。「今日は何?」と当然のように俺が尋ねれば、ライアンは「レモンパイだよ」と笑顔を崩さずに答えた。テーブルにはそのレモンパイが置かれており、焼けた跡のあるメレンゲがふわふわしてて美味しそうだ。俺、そもそもにレモンパイ食べたことない。
「冷ませば完成だから、少しだけ待っていてくれないかい? その間に紅茶を淹れるよ」
「それぐらい俺がやるよ」
そこまで至れり尽くせり――というかライアンにやらせっぱなしもよろしくない。ライアンがなぜか俺の食の好みを熟知しているとは言え、それがやってもらう理由にはならない。ライアンに先回りされないように戸棚から茶葉を取り出し、さらに先回りされないようにティーポットとコップを出す。そしてライアンに手伝われないうちに、ちゃちゃっと二人ぶんの紅茶を淹れた。
「ほい。熱いから気ぃつけてな」
ライアンにそう言ってから、俺は四本のスティックシュガーをコップへと入れる。牛乳を注げば、俺好みの甘めの紅茶が完成だ。ず、と音を立てて飲んでいると、いちごのジャムのように溶けた瞳でライアンが俺を見ていた。え、なに、怖いんですけど。今までのどこにそんなうっとりする要素あったん?
「ありがとう、ホマレ。大切に飲むよ」
「冷める前に飲め」
冷えた紅茶は不味くはないが美味くもない。ライアンは猫舌でもないんだし、紅茶を淹れた身としては温かいうちに飲んでほしいものである。
「そうだね、せっかく君が淹れてくれたんだ。温かいうちに飲むとしよう」
そう言ってライアンは優雅にコップに口をつける。その様子はさながら絵画のようなのもだった。立って、ただのコップで紅茶を飲んでいるだけなのにこうも絵になるのはなんでだろう。
やっぱり顔か? 顔がいいからか? 俺はそんなことを考えながらライアンを睨む。
「さて、こちらはそろそろ冷めた頃かな」
我ながら理不尽な理由でライアンを睨みながら紅茶を飲んでいると、ライアンはレモンパイへと視線を移した。じゃあ今度は皿とフォークの準備を……と動こうとしたところ、それらは既に用意されていた。ライアンが台所から包丁を持ってくると、ふわふわのメレンゲへ包丁を乗せる。焼かれていたメレンゲは、サクといい音を立てて切られていく。
「さぁ、召し上がれ」
ライアンは微笑みながら切り終えたレモンパイを差し出す。たいして洒落な皿でもないのに、それに乗っているレモンパイは高級洋菓子店で売っているようなケーキに見えた。紅茶をもう一口飲んだあと、俺は「いただきます」と言ってレモンパイを頬張る。
「うまっ」
どこにレモン入ってんのかわかんないけど、ほんの少しのすっぱさと甘さがちょうどいい。メレンゲも味ねーんじゃね? って思ったら心なしか甘くてそれも美味しさを増す要素だった。
「君に美味しいと言ってもらえて嬉しいよ。
それでだ……。その、ホマレ……」
美味い美味いとレモンパイを食べていると、ライアンが目を伏せながら俺の前へ跪いた。おっ、嫌な予感がするぞ。それでも俺はレモンパイを食べることをやめない。
「わたしと、結婚してくれないか?」
ほれ見たことか、嫌な予感は的中だ。そこで俺はようやく手を止めて、大きくため息を吐いた。するとホマレの表情はみるみる涙目になっていった。俺はうるむ目に怯むことなく、再度息を吐く。はー。まったく困ったちゃんだなこの娘は。
「ライアンさぁ、それ何回目?」
『それ』とはプロポーズのことである。
「さぁ? ホマレはわかるかい?」
すると立ち上がったライアンが思いきりのいい笑顔で言った。そうだよな、だってお前はあきれるほど毎日俺にプロポーズしてるもんな。
「なんで俺が覚えてなきゃなんねーんだよ」
少なくとも毎週土曜日はしているが、それもいつから始まったことかわからないし、数える気も覚える気もない。それぐらい俺たちにとって、ライアンからのプロポーズとは日常的なものだった。
「さぁ、これを」
あきれ混じりの顔をしていると、ライアンがまーたあの趣味の悪い指輪を取り出して俺へと差し出した。これもプロポーズをしたらライアンがするいつものことだ。だからいらねぇって、ダセェ、死んでもつけたくねぇ。
「いらん」
その指輪を受け取ったが最後、きっとライアンにはプロポーズを受けたととられかねない。なのでダブルの意味で俺は断ると、ライアンがまた涙目になる。しかしすぐに涙を拭い、にっこりと笑った。
「では、また明日」
明日もプロポーズするんかい。
「明日も断るの確定ガチャだからな」
たかだか一晩で自分の変わるもんか。俺は念のためにそう言っておくと、ライアンは清々しい顔でこう言った。
「それなら、明後日も」
俺だって、明後日になっても変わるもんか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます