第40話 「やめろ、へたくそ!」
「裏の駐車場に回り込ませろ」そう言って、丹野は走行中の車からひらりと飛び降りた。参道を追いかけていく。言われたとおりに車を走らせる下村先輩の目が血走っている。むふーむふーと鼻息が荒い。
下村が駐車場に車を停めた。「野田くん、怖いからアタシはここで待機するよ」
「もちろんです」
野田は車をおりた。人影はない。ストーカーはまだ境内にいるようだ。参道から来る丹野と挟み撃ちできる。野田は駆けだした。本堂の周囲に目をこらしたが誰もいない。参道の階段を駆け上がってくる丹野の頭が見えた。
「丹野!」
「ストーカーは?」
「見てない」
「気をつけろ、どこかに隠れて──」と言いかけたそのとき、社務所の影から何かが飛び出した。ストーカーだ、と思う間もなく体当たりされ、玉砂利に倒れこんだ。油断した。
「近づくな、こいつを殺すぞ」
男はカッターナイフを野田の首筋にあてた。男の手はがたがたと震えている。駆け寄ろうとしていた丹野は数メートルの距離でピタリと止まる。
「もっと、後ろに下がれ」
「わかった」丹野はじりじりとバックする。
「もっと、下がれ。早く」
「玉砂利が滑るもんでね」
「バカにしやがって」焦れた男は野田を引っ張って立たせた。背後からカッターを上下させて後退していく。男の背に社務所のカウンターがあたったのか、ぎしと軋んだ。
社務所の窓は閉まっている。御用の方はブザーを押してください方式のエコな神社だ。ブザーまでの距離は約1メートル。
背後を社務所で防御した男は少し安心したのか、小さく息をはいた。だがすぐに気づいて野田の腕をきつくひねり上げた。
「う」
「動くなよ」
ガシャン。すぐ近くでガラスの割れる音。足下に破片が散った。社務所の窓が砕けたのだ。何事が起きたのかと顔をあげると、丹野が何かを投げる仕草をしている。彼の右手に光るものは──ダーツだ。
「うわ」
二投目は野田の頭上ぎりぎりを通過した。
「やめろ、へたくそ!」
野田は首をすくめた。
ストーカーは野田を盾にしているのだから、野田に当たる確率はストーカーよりはるかに高い。しかもストーカーは身を縮めてますます野田の陰に隠れようとする。丹野は三投目の構えをしている。投げるならダーツよりも玉砂利にしろと野田は心の中で叫んだ。
「くそう! 愛してたのに、あの女、裏切りやがって!」
ストーカーは野田を弾き飛ばした。逃げる気なのだ。
野田は倒れながらもとっさに男の足を蹴った。男は玉砂利に顔面から倒れこんだ。カッターはどこかに飛んで行った。形勢逆転だ。野田はすぐさま男の背にまたがった。男の頭を地面に押しつける。男は足をばたつかせ、両手で野田の手を払いのけようとするが、野田の腕力のほうが勝った。
丹野は容赦なかった。駆け寄るや、男の頭を足で踏み押さえ後ろ手に男の両手を縛った。その際使用したのは野田の制服の作業ベルトである。野田のウエストに手を伸ばした次の瞬間にはするりとベルトが抜き取られたのだから、ほとんど掏摸の手際である。
頭を踏まれたストーカーは玉砂利を3つほど飲み込んだところで観念したらしく、すっかりおとなしくなった。「……ぼくはやはりストーカーだったんだな……」と呟き、すすり泣きだした。
なんと返していいかわからなかった。
「3投目は絶対にはずさなかったのに!」という丹野の遠吠えも野田は当然に無視した。
被害女性を伴って警察に連れて行き、事件は幕引きとなったらしい。野田はすぐに仕事に戻ったので、これはあとから聞いた話である。
駐車場の配達車両の中では下村が熟睡していた。これこそがぼくの日常だ。野田は小さく嘆息した。
荷台を確認すると荷物が荷崩れを起こしていた。積みなおしていたら、その中に故人の名前をみつけた。橋本さゆりさんあての荷物。衣類の通販の箱だ。生前に注文していたものだろう。もうこの衣類を身に着ける人はこの世にはいない。
時間指定は19~21時。この時間を指定することは珍しい。生前は日中の指定が多かった。
『妻あての荷物があったらすべて届けてください』と言っていた橋本氏。届くたびに妻を思い出して辛くはないんだろうか。
もし無理をしているようすだったら、受取拒否ができることを伝えよう。お届け先の要望であれば、出荷荷主に伝えたうえで返品することができる。そういった事務処理は日比野は嫌がらずに引き受けてくれるだろう。
「先輩、配達に行きましょう」
「あれ、もう終わったの?」
「よだれ、よだれ。ハンドルにつけないでください。鼻水も」
運転を変わることにした。ハイリスク、ノーリターンの探偵の真似事による不可解な高揚感で眠気はすっかり飛んでいた。時間帯指定配達がおしているので急いで配達担当区域に戻る。通常モードに戻らなければ。
「じゃ、こっち側の配達お願いします。ぼくは反対側やりますんで」
「はいはーい」
配達車両は小刻みに移動させるのが原則だ。駐車違反の切符を切られないようにするためである。台車にたくさん積んで順番に走って回っていったほうが本当は効率がいいのだが、長い時間、車を放置することはできない。
だがツーマン体制なら融通がきく。交代で車の番ができるし、実働の配達時間も半分で済む、理論上は。
下村には少ない方を、いや、三分の一の荷物を持たせたのに、案の定、車に戻ってくるのは野田のほうが早かった。
「四分の一にすべきかな。待機時間が長くなるかもしれないけど……」
その間にいくつかかかってきた再配依頼の電話を受けて、荷台を整理しながら待つ。それでも手持無沙汰になった。
「はーお疲れーー。コンビニでスイーツ買ってきたから一緒に食べよ」
「どうりで遅いと思った。いただきます。……ん、これ、美味しいですね」
「秋の新作、マロンカップケーキだよ」
丹野が気に入るかも。買って帰ろうかな。今日は活躍したし。
野田はしみわたる甘さを堪能しながら思い出した。稼ぎはプロテイン1缶だということを。しかも社務所のガラス代がまるまる赤字じゃないか。
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