第22話 「ムラムラするだろ」

「きみと恋愛する人は苦労するだろうな。彼女にキレられたこと、あるだろ」


「彼女というのが過去の恋人を指すのならば、キレられたことはない。なぜならば恋人がいた経験がないからな。ティラミスを追加で」


「うそだろ。恋人がいた経験がないだって? あ、ホームレスだったからか。見た目が熊だったもんな」ぼくは納得して頷いた。「あ、すいませーん、ティラミスひとつ追加で」


「住む家を失ったは三か月前だ。見た目が激変したのは確かだが、きみが言う熊に似た姿でいたのは、ここ一か月半ほどだ」


「まてまて。……その見た目でモテないのはおかしい。恋人はいたがフラれてばかり、が真実だろ」


 頭髪は爆発しているが顔面はイケている。背も高いし頭もいい。つきあいだしてから、その性格の悪さゆえにフラれてきたということだろう。


 丹野はわずかに小首を傾げて、ぼくの瞳を不思議そうに見つめた。


「告白されたことはある。だがつきあったことはない。恋人というものを必要と思ったこともない。面倒だろう」


 まるで服についた埃を払うように言い捨てた。

 ぼくは周囲をうかがい、声を潜める。


「……身体が求めるだろ。ムラムラするだろ。そういうときはどうしてるんだ?」


「なぜそんな質問になる。答えなくてもわかることだろう」


「……したいとき、あるだろ。そのたびに彼女がいたらいいのに、と思うだろ」


「自分で処理すればいい。性欲はコントロールできる。性欲と恋愛が直線的に繋がるものでもない。野田の場合はセックスがしたいから彼女がほしいのか。恋愛感情と性的欲望はまったく別ものだと思うが。まあ、おれはどちらも不要だ」


「恋愛とセックスは、そりゃ、別だよ。男同士だからぶっちゃけて言うけど、たいして好きでもない女の子と寝ることは男なら簡単にできるしな。むしろ気楽だと感じることもある。でもさ、丹野の場合は恋愛感情自体に価値を感じていない口ぶりだよな」


「置いてない。価値を感じられない。それに、たいして好きでない相手と身体接触をするのは考えられない。なるべく他人に触れたくないし触れられたくない。その感覚は異常か?」


 アンチ恋愛シールドでも張ってるのか。人が触れると火花でも散るのか。それとも生まれたときから何かが欠落しているのか。


「そういう人も、まあ、いるよな。じゃあさ、セックスのことはいいや。きみだって小さい頃からそうだったわけじゃないだろ。誰かを好きになったときのわくわくどきどきって覚えがあるだろ」


「わくわくどきどき……?」


 丹野は眉を寄せて首を傾げた。


「独特の効果があるじゃん。それまでの価値基準が一変する不思議な感覚。自分よりも彼女が重要で、自分を犠牲にしてでも、守りたい。新しい価値観に抗えなくなるにもかかわらず幸福を感じる。自分の成長を信じられる。肯定感で満たされる。人を好きになるのは、自分でも止められない」


 彼女いない歴3年で、しかも直近の恋愛では浮気された身が、こんなことを力説するのは虚しい。滑稽だと思う。だが丹野の言葉を否定しなくてはならないという使命感でぼくはしゃべり続けた。

 それは、ぼくの根幹を踏みつけられた気がしたから。


「まるで宗教の話だな」


「宗教? 恋人同士にとってはお互いが唯一無二の神みたいなものだから、丹野の指摘はあながち間違ってはいないのかもしれない。だけど人間ってのは一人で生きていくには不完全な生き物だろ。欠けた部分を補い、助け合うことで限界を超えることができるんだ。それが恋人でもいいし家族でも友人でもいいけど、そういう仲間を求める回路が進化の過程で愛になったんだと、ぼくは信じたいよ」


「きみがロマンチストだということは理解した。だから恋愛に過大な期待をしてしまうことも」


「きみはモテすぎて感覚がマヒしてるんだよ」


「そのことに今日初めて気づいた。野田の指摘のおかげだな。今までじろじろと見られてきたが普通のことだと思い込んでいた。おれはイケメンすぎる。ホームレスのときもじろじろ見られることはあったが、おれと目が合うと、あわてて逸らす。今は視線が合うと女は微笑む、男は睨む。感情がもつれている。くだらない。おれを巻き込むな」


「きみは恋愛を無価値だと思い込んでいる。ぼくみたいな凡作と違って焦っていない。いつでも手に入れられるという余裕があるんだ。性欲はコントロールすればいいって言ってたけど、どうせセックスに飽きただけなんだろ」


 僻みだと思われてもしかたないことを口にした。だが、こちとら3年間も彼女いないんだぞ、と心中で愚痴る。


「セックスはしたことがない」


「うそつけ」


「うそをいう理由がない」


 丹野の表情はとくに変わらない。卑下するでも自慢するでもなく、淡々と事実を述べているのだと無表情が語っている。必要性は感じていないようだ。


「もったいない。あんな立派なものをぶらさげといて」


「望んだわけではない。自然に生えたんだ。譲れるものなら譲ってやる」


「キノコみたいに言うな」


「あれが充血すると脳細胞に充分な血が回らなくなる。頭の回転が鈍る。だからいらないんだ、おれには」


 そこでぼくは納得した。納得するのはおかしいが、この男ならではの理由だと思えたし、信じられた。いつでも脳細胞を活性化させていたい、性的な興奮状態は脳力の性能を妨げる、だから必要に応じて自分で最短で手間をかけずに処理すればいい。


「でもさ、誰かを好きになることくらいあるだろ」


 丹野は、こんな話はうんざりだと言いたげな顔で大きな溜息を吐いた。





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