第10話 「おまたせー」

『よかった~。野田さんが一緒だと心強いもの。では30分後に第一倉庫の前で会いましょう』


 第一倉庫は廃工場の手前の倉庫群だ。ローカルバスを降りて5分歩く。ここから廃工場まで、さらに5分ほど離れている。


 初めてのデートが死体遺棄現場か。デートだと思っているのは今の時点ではぼくだけかもしれないけど。思わずニヤニヤと笑みが浮かんでしまう。嫌いな人物をプライベートで誘うことはまず考えられない。ミステリ好きというのは単なる口実で、その実、ぼくと交際したいと願っている、という想像もあながち外れてはいないのではないだろうか。


 それに、ぼくは事件についてほとんど知らない。知れば防衛の手立てが見つかるかもしれない。現場を見に行くのは必要なことだ。

 そう、自身に言い聞かせる。


 熊男の風呂上がりを待たずに、『ちょっと出かけてくる』と書いたメモだけ残して、野田は出かけることにした。行きがけに集合ポストを覗いたが、自分宛の郵便は入っていない。小さなピンクチラシが数枚、埃に埋もれているだけだった。




「日比野さん、おまたせー」


「お疲れ様で~す」


 手を振って迎えてくれる日比野。華奢な手にドキリとする。

 自身が小柄なせいか、小さくて細い女の子に弱いのだ。


 現場までの道のりで話題に上がったのは、職場のこと。

 午後休になったぼくの代わりに、マッチョ荒川が人二倍頑張って穴を埋めてくれているそうだ。明日は引退間近の大先輩と所長まで駆り出される予定だ、などなど。申し訳ないという思いと、なんで休まされてるんだろうという疑問がない交ぜになっている。

 所長はおそらく、最悪のケースを考えて指示したのだろう。リスク回避は経営サイドの必須能力だが運送業に余剰人員はない。早く容疑者の汚名を返上しなければ、同僚たちに本当に血染めの制服を着せることになってしまう。


 そんな話をしているうちに現場に着いた。通用門には立ち入り禁止の規制テープが張られ、風に吹かれてもがいている。どこからか猫の鳴き声が聞こえてきた。


「わあ、ここですか~。でも遠くて中が見えませんね」


「ほんとに怖くないの? ここで死体が見つかったんだよ」


「しかも犯人はまだ逮捕されてないんですもんね。私、サスペンスも好きなんですよ」


 思わず左右を見渡して怪しい人影がないか探してしまう。


 門から工場の建物まで5メートルほど距離がある。規制テープがなければ門の隙間からすり抜けて通れそうだった。操業中は整地されていたのだろうが、かつての駐車場と思しき場所は雑草が繁茂し、建物には蔓性植物が絡みついている。

 街灯が乏しいこのあたりは、深夜は真っ暗になるだろう。

 冷たい風が吹いた。

 曇りガラスで工場の中は見えない。なにか禍々しい物を封印しているような陰鬱な光景だった。

 ふいに被害者の顔が脳裏に蘇った。優しくて笑顔が魅力的な女性だった、と改めて思う。首を絞められて苦しんで、こんなわびしい場所にゴミのように遺棄されたのか。早く犯人が捕まればいいのに。相応の罰を受けさせたい。


「廃墟感すさまじいですね~。人間が絶滅したあとの光景みたい。錆びた鉄材に蛇みたいに蔦が巻きついてますよ。実は私、SFも好きなんですよ~」


「読書家なんだね。今度おすすめの本があったら貸してくれないかな」


「私、図書館派なんです。あ、草むらに猫ちゃん発見。猫といえば、下村さんが大の猫好きだって知ってます?」


 規制線の下を子猫が駆け抜けていった。

 姿は見えないが草むらから複数の鳴き声が聞こえてくる。


「下村先輩? 退職間近の?」


 下村はベテラン配達員だが見た目はどこにでもいそうな陽気なおじさんである。いつも大口を開けて大声で笑う。笑顔はちょっとサルに似ている。明日は自分の代わりに頑張ってもらうことになっている。

 日比野はスマホを取り出して画像を開いた。


「これ、下村さんが撮影した猫だそうですよ。自宅では奥さんが猫アレルギーで飼えないらしくて画像コレクションで我慢しているとか。写真撮るの上手いですよね」


「下村先輩と親しいんだね」


「え」日比野は手を激しく振って否定した。「いいえ、ちっとも。ただの猫好き仲間なだけですよ。だってあの人、問題ありありじゃないですか。お客さんからの苦情数はダントツの一位。仕事は遅いし字は汚いしセクハラ発言はするし声大きくてうるさいし。この間なんか、配達区域外の牛丼屋にお昼ご飯買いに行って駐禁切られちゃったんですよ。所長がカンカンになってました。この画像は荒川さんが送ってくれたんです。ほら」


 スワイプして現れた画像は『野良猫を撮影する下村先輩を背後から撮影した写真』だった。

 荒川と画像のやり取りをしているのか。聞き逃せない情報だ。だがそれよりも目に飛び込んだ情報に気を奪われた。


「え、下村先輩、制服着てる。ってことは、これ、仕事中?」


「そうですよ。下村さん、仕事遅いじゃないですか。仕事中も猫を追っかけているからなんです。それで、サボってる下村さんを見かけたら証拠写真を取るのが荒川さんの趣味なんです」


「荒川には筋肉育成以外の趣味があったのか。構内や事務所にいるときは、下村先輩、いっつも忙しそうに走り回ってるよね。さも立て込んでますって雰囲気で。『どうしよう間に合わないよー』ってよく叫んでるし。だから所長がたまに配達を手伝ってるよ」


「それが彼の作戦なんです。彼はアカブタ運送勤続30年のベテランですよ。キング・オブ・ブラックのアカブタで過労死せずに生き残ってるには理由があります。今度、注意して見てみてください」


 にこやかな笑みと闇深い言葉の間にあるギャップ。日比野は下村本人に言えない不満を抱えていることがうかがえた。

 

「まあ、下村さんに関してはみんな諦めモードではありますけどね。時間指定も無視しまくりで荷物の扱いも粗雑でクレーム濫造してくれますから、内勤事務員も困ってるんですよ。荒川さんや野田さんみたいに優秀な人が増えてくれると事務員は嬉しいんですけどね~。あ、この規制テープはがれそう」日比野の声が弾む。「ちょっと入ってみませんか」

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