第3話 「おはようございまーす」
宅配便の仕事は朝が早い。
野田透和が勤めるアカブタ運送は、早朝6時に第一便のトラックが到着し、当日配達分の荷物を下ろす。トラックは日に5回、下ろしては積み、積んでは下ろして、ピストン輸送をする。早朝のアルバイトが配達コースごとに荷物を仕分けする。それが終わるころ、おそくとも8時までには、配達員が出社してくる。男性用更衣室は制服に着替える配達員で満室だった。
「おはようございまーす」
野田は隙間を縫うようにして自分のロッカーに辿りついた。私物をロッカーに放り込み、同僚と身体をこすり合わせるようにして着替える。
「おう、野田っち。今日も元気だね」
野田の頭をわしゃわしゃと掻き乱すのは同僚の荒川だ。
「ちょっ……! やめてくださいよ」
「子供のころ飼ってた犬を思い出すんだよ。毛艶が悪くてちっこくて、よく似てる」
「荒川さんがでかすぎなんですよ」
野田の身長は168センチ。標準体重。背は高い方ではないが、常に重い荷物を抱えて走り回るおかげで、細身にもかかわらず筋力はそれなりにある。
「おれはまだまだよ。さあ、今日も頑張って仕事上がりにプロテインで乾杯しようぜ」
「ぼくはいいです……」
荒川は中高でバスケにハマって190センチ近いのっぽだ。身長が伸びなくなってからは筋肉を増やすことを趣味にしている。ロッカーにはプロテインを常備している。仕事を終えて飲むプロテインはビールより美味いという脳筋である。
配達員全員でラジオ体操をしたあとは朝礼。今日の訓話当番は後藤所長。所長の話は長くてくどい。全員が身構える。ちなみに荒川が当番のときは「今日も元気にいきマッチョー!」の一言で終わるので大歓迎されている。
「えー、何度も言いますが、わたしたちアカブタ運送は小口運送業というサービス業です。ただ荷物を運べばいいというわけじゃありません。今日はアカブタ運送の制服について語りたいと思う」
「いよ、待ってました」同僚のひとりが合いの手を入れる。
アカブタ運送の制服は赤い。赤のポロシャツに赤の作業ズボン、赤のキャップ。赤といってもボルドーの渋みを含んでいる。渋赤にピンクの細ストライプが斜めに入ったデザインは迅速さをイメージしていると聞いたことがある。そんな話をするのだろうと思っていたら。
「この会社の創業者は歴史好きなんだよ。『過去をみつめることで未来に生かす』がモットーなんだ。制服が赤いのも創業者のアイデアだ。戦国時代の甲冑の中には緋縅の鎧ってのがあってな、つまり赤色が効いている鎧だ。総大将が重傷を負ったと知れ渡った場合、味方の士気が下がり総崩れになるかもしれないだろ。赤い鎧ってのは、たとえ血だらけになっても目立たないんだ。つまりな」
後藤所長は一拍置くと、満面の笑みで続けた。
「アカブタ運送の社員は、たとえ血だらけになったとしても、満身創痍でも死に瀕していても、平気な顔で平常どおりに配達をしなきゃいかんのだよ。ではみんな、今日も一日がんばって働いてください」
所長はいい話をしたかのような満足げな顔で朝礼をしめた。
比較的短めの朝礼だったためか、みなほっとしたように笑顔になった。昨夜の熊男が言っていたこともあながちデタラメではない。社員の誰一人として訓話の内容にツッコミをいれることはなかった。
朝礼後は各自配達車の点検と荷物の積み込み。積み込みとデータ入力はある程度アルバイトがやってくれているが、配達員にはそれぞれのやり方がある。回る順番に積み込むのが野田のやり方だ。ただ住所通りに並べるのではない。配送ルートは届け先の生活スタイルに合わせて組んでいる。たとえばAさんは子供の送り迎えで不在の時間がある、Bさんは昼食後に犬の散歩に行く、Cさんは午前中寝ている、D社は休憩時間に届けてはいけない、などなど。3年も従事していると他人の生活に嫌でも詳しくなる。
並べ替えを終えて準備万端整った。今日も忙しくなりそうだ。やる気がむくむくと頭をもたげてくる。
出車点呼は運行管理の資格を持つ日比野響子がうけもつ。彼女は内勤事務員の花、配達員の心のオアシスである。
「はい、本日も安全運転でお願いします。行ってらっしゃい」
笑顔で次々とドライバーを送り出す。彼女の笑顔を見るだけでのテンションがはね上がる。心待ちにしていた野田の順番になったときに、「あ」と顔を上げて彼女は笑顔を消した。二階を指さす。
「お客様がいらっしゃってますよ」
「客?」
「所長が先に対応してます。点呼終えたら野田さんを呼んでって言われてて」
「お、クレームかなんかか? じゃ、おれがさきね」
荒川に弾かれるようにして列から離れ、事務所と所長室がある二階を見上げた。
薄暗い階段をのぼると事務室からぼそぼそと低い話し声が聞こえてきた。所長の声のようだ。
まいったな。
事務所の扉を開けながら心中で吐息をついた。
午前中は一日でもっとも忙しい時間帯だ。野田の配達担当地域は8割が住宅地、残り2割が会社と川沿いの倉庫群。会社関係は午前中のなるべく早い時間に納品をして夕方定時に集荷をするのが決まり事になっている。遅れるとクレームになるのだ。
そんな客のひとりがクレームを言いに来たのだとしたら、午後にゆっくり話を聞くからといって、一度お引き取り願えないものだろうか。
「あ、来ました。彼です」
所長が野田の顔を認めて手招きをした。
そのそばにはスーツの男性がふたりが立って、野田をじっとみつめていた。いかつい顔の中年男と爽やか系の若い男だ。ふたりとも眼光が鋭い。
「あなたが拓真町3丁目を担当している方ですか」
「はい、野田といいます」
「我々は、実はこういう者です。少々お話をうかがいたくてまいりました」
男たちは懐からバッジを出して見せた。いかついほうは田西刑事、若いほうは井敬刑事と名乗った。
「刑事さんって実在したんですねえ」
刑事が来るほどのクレームってなんだろう。ぼくは初めて見る本物の刑事ふたりをまじまじと見つめた。
「ふっ」
後方から鼻で笑う声がきこえてきた。今まで気づかなかったが事務室にはもう一人の来客がいた。壁の黒いシミがのそりと動き出したような異質な姿だった。
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