ファンデア・テイル

八架

第1話 スタートボタンのその先に

 おかしい、おかしい。絶対おかしい。


「いいか、アオ。一族の掟に倣い、お前にも浄化師の修行を始めてもらう。まずは一年、住み込みでミネフに行ってこい」


 私のおじいちゃん、まだこんなに髪少なくない。



       ◆ ◆ ◆



 まるで意味不明なこの状況に陥る直前の記憶は、とあるゲームのタイトル画面で止まっている。

 その名も『ファンデア・テイル』。小出しにされる事前情報を二年前から生きる糧とし、待ちに待った発売日の本日、予約していたコンビニで受け取ってきた代物だ。朝一で購入できたおかげで、今日一日ニマニマニマニマ不気味だったのは申し訳ない。

 『ファンデア・テイル』とは、ファンタジーの世界でスローライフをベースに、冒険や恋愛も楽しめるごった煮ゲームである。大昔に神様同士の戦争が勃発し、生き残った七神に創られた七国の一つ──ヘールハインツという国を舞台に、ハーフエルフの主人公を操作して生活したり戦闘したり恋愛したり。やれることの多さに嬉しい悲鳴が上がる、約束された時間泥棒ゲーというのが売りだ。

 一応メインクエストはあるが、その進行も強制ではない。サブクエストを先にこなすも良し、ダンジョンに篭るも良し、もちろんひたすらスローライフに明け暮れるも良し。この自由さこそが、何かと忙しない現代人をワクワクする非日常へと誘ってくれるのだろう。

 そんなわけで、例に漏れず現代日本の社会人である私──花村はなむらあおいも、日々の癒しと解放を求めてプレイを始めたわけなのだが。


「聞いとるのか、アオ!」

「ぅえっ、はいぃ! す、す、すみませんもう一度! もう一度お願いします!」

「なんじゃ、目かっぴらいたまま寝とったのか? 相変わらずヌケとる孫じゃのう……」


 片眉を上げた白髭のお爺さんがボリボリ頭を掻く。やはり毛髪量も顔つきも声も口調も全然違う。私を孫だと言う彼は、

 おかしいといえばこの景色もだ。壁にはハマッているアイドルのポスターではなく杖や乾燥した草花のようなもの、磨かれたローテーブルには買ったばかりの漫画ではなく文字の書かれた紙と皮の中間のようなもの。ここまで違えば後は言うまでもなく、私が座っているのも布張りのふっくらとしたソファだ。奮発したゲーミングチェアは一体どこに行ってしまったのだろう。

 更に、私はこれらに見覚えがあった。『ファンデア・テイル』のトレーラーでわずかに流れた、主人公の祖父──ニエマの家の中の光景。繰り返し繰り返し、何十回と視聴したので記憶に焼きついているのである。

 であればこの御仁はニエマ氏に他ならない。あまりにリアルな夢にゴクリと喉が鳴った。キャラクターを作成し、スタートボタンを押しただけでこんな疑似体験ができるとは。昨今の成長著しいゲーム開発事情を考慮しつつも、なぜか冷や汗が止まらない。


「前から言うとるが、今年の修行者が正式に決まった。年齢、初級基礎魔術の習得、後はまあオマケで生活能力かの。全て満たしたお前が浄化師見習いとして、依頼のあったミネフに行く」

「は、はい」

「そこで一年修行し、ミネフ周辺の浄化が完了すれば晴れて浄化師となる。お前も知っとるだろうが一族ウチは常に人手不足! キリキリ働いてもらうからきっかり達成してくるんじゃ、いいな? ……もー儂は説明せんぞ! 顎が疲れた!」

「はい、ありがとうございました……浄化師……ミフネ、じゃなかったミネフ……」

「……アレ、何かいつもより物分かり良くない? いや心配だったらわかるまで説明してやってもいいがな? お前はヌケとるがカワイイ孫だしな?」

「ブツブツブツブツ」

「アオちゃん聞いとる?」


 目の前にあった羊皮紙らしきものの文字の羅列を追う。これもまた滑らかでしっとりした手触りだ。

 あまつさえ、記号みたいな不思議な文字そのものも読める。違和感が次第に現実味を帯びて、内容なんて全然頭に入ってこない。もう背中が汗でびっしょりだ。


「ふうぅぅ…………とりあえず、私はこのミネフというところで修行してくればいいんですね。わかりました、細かいところは後で確認しておきます」

「お、おお……口調が変わるほどか……エラい気合い入っとるな……」


 一瞬ドキッとしたが、ニエマ氏は都合良く解釈してくれたようだ。怪しまれないためにも会話は最低限にした方がいいかもしれない。

 こっそり胸を押さえていると、彼は「そういえば」と身を乗り出した。


「連れていくのはユーンでいいな?」

「当然だろう、ニエマ。俺はアオのお守だぜ?」


 すぐ後ろから中世的な声が聞こえた。

 反射的に振り向いた視界に茶色い影が飛び込んでくる。丸くころんとしたフォルムのマグカップに似た何か。持ち手の部分につけた飾り紐をなびかせ、それはふわふわと宙を漂っている。

 マグカップが喋った──と思いきや、中から小さな人間がひょこっと顔を出した。


「逆に俺以外の誰が世話できるのか、是非知りたいもんだ」

「なっはっは! 愚問だったな、ユーン! いや失敬、失敬」


 ユーンと呼ばれた小人が「フフン」と胸を張る。くりっとした大きな瞳が印象的な人物だ。一人称がなければ女の子と間違えたかもしれない。

 ユーンくんはマグカップを漕ぐようにして近寄ってくると、私の肩にちょこんと腰掛けた。思わずぎょっとしたが、本人はにこにこと上機嫌に笑っている。

 このマグカップマン──ユーンくんも、『ファンデア・テイル』のトレーラーで紹介されていたキャラクターだ。確か妖精の一種で、主人公が幼い頃から一緒にいる。ストーリーが進めば様々な魔物を仲間にできる本作で、彼だけは開始前からの相棒なのだ。

 ああ、本当によくできたげんじつだ。そろそろ目を逸らすのも限界かもしれない。


「ふむ、特段問題はなさそうじゃな。では出発は一週間後、四月一日。二人とも準備しておきなさい」



       ◆ ◆ ◆



 ニエマ氏の家から出ると、そこには別世界が広がっていた。

 辺り一面、生い茂る森の中だった。緑の天蓋から差し込む陽光に、大木をくり抜いた家々が厳かに照らされている。木と木の間には幹の橋がかかり、人々が慣れた様子で往来していた。

 彼らの抱える籠には見慣れない形の実が盛られている。自分が知らないだけかもしれないと考えたが、その背にある弓を目にして、とうとう確信せざるを得なくなってしまった。

 ──ここは『ファンデア・テイル』そのものだ。どういうわけか、ゲームだと思っていた世界に私は存在している。


「楽しみだなあ、アオ! 美味いものや楽しいことがたくさんあるといいなあ、……アオ?」


 シナモンブラウンの髪を揺らし、ユーンくんがカップから腕を伸ばした。ぺち、と頬に触れた小さな感触に例えようのない感情が溢れてくる。


「どうした、何かあったのか? また腹を壊したか?」


 心配そうな八の字眉にぐっと胸が詰まった。

 足裏の大地、草の匂い、柔らかな風。錯覚ではないと、全身で感じるのだ。部屋着でない服も、染めた覚えのない白銀の髪も全部。


「…………ユーン、くん」

「えっ、なっ、なんだ君、急に『くん』付けなんて……というかさっきから何か──」

「話しておきたいことが、あります」


 ぱちくりと瞬くヘーゼルの両眼。今から彼に打ち明けることが、鮮やかなそれを曇らせてしまうかもしれない。けれどこれ以上一人で抱えていられそうもない。

 疑いを抱かせてしまうならいっそ、始まる前に。心の内で謝って、私は震える指先を強く握り締めた。

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