111 ルルカも同じだった



「……お母さん、少しは伝わった?」


 亡骸と化した魔導人形を抱き締めるハリエットさんに、ルルカが一歩近づきながら問いかける。

 って、なんか敬語が取れているな。別にどうでもいいことかもしれないが。


「お父さんはちゃんと、お母さんのことも大切に想ってくれてたことを」

「えぇ……とても」


 こうして傍観している俺でさえ、親父さんの気持ちの強さが分かる気はした。

 人生の全てを費やした結果を目の当たりにした。本気で取り組む――言ってしまえばそれだけかもしれないが、それをここまで実践できる人が、果たして世の中にどれだけいることか。

 ただ一つ、どうしても残念な部分があるとすれば――


「……でもやっぱり、この人はバカよ」


 ギュッと抱きしめる力を強めながら、ハリエットさんは声を震わせた。


「こんな……冷たくて固い体になって……そこまでする力があるなら、もっと他にできたこともあったはずよ!」

「それは無理だろうね」

「えっ?」


 ここまで肯定も否定もしてこなかったルルカが、ハッキリと否定してきた。それを純粋に驚くハリエットに対し、ルルカはどこまでも無表情だった。


「お父さんは生粋の魔法研究者だよ? 研究以外に何の取り柄もない。普通に生きることさえも不器用な人。お母さんの願いが叶う可能性は、どうあがいてもゼロに等しかったと思う」

「そ、そんなことは……」

「お母さんがそれを分からないとは思えないよ」


 今度はルルカから、まっすぐと見つめられることとなった。ハリエットさんは、言葉を出せず、視線を右往左往させる。何か言いたいのに出てこない。もしかしたら逃げ出したいとすら思っているのかもしれないな。

 どちらにせよ、今のルルカは容赦するつもりはないようだけど。


「むしろ分かっていたからこそ、言ってもどうにもならないと思った。そんな諦めの気持ちを拗らせた結果が、逢い引きからの駆け落ち……私にはそう見えるけどね」

「あ……あぁっ!」


 恐らく正論――もしくはそれに限りなく近しい言葉だったのだろう。感情をコントロールできなくなったらしく、ハリエットさんは泣き崩れる。


「ごめんなさい、あなた……私のほうこそ、本当にごめんなさいっ!」


 そして動かなくなった魔導人形の冷たそうな体を、改めて強く抱き締めた。


「私はあなたたちのことを! 大切だったはずの家族を……裏切ってしまった!」


 その言葉に、ルルカの眉がわずかにピクッと動いたように見えた。しかし変わらず言葉を発することなく、父と母をジッと見つめている。


「本当は……本当はずっと後悔していたわ! 今の夫の仕事を手伝いながら、各地を転々とすることで、クライドやルルカのことを忘れようとした……けど!」


 ハリエットさんはギュッと目を瞑り、そして思いのままに叫ぶ。


「忘れようとすればするほど忘れられなかった! 夢にもしっかりと出てきて、どうして忘れさせてくれないのと苦しんだ! 自分でしでかしたことなのに!」

「……お母さん」


 ここでルルカが口を開いた。


「お母さんもただ、ずっと逃げていただけだったのかもしれないね。辛い現実から、必死に目を逸らし続けていた……結局はお父さんと同じだよ」

「ルルカ……」


 なんともまぁ、率直に突きつけてくるもんだね、ルルカさんも。これまでずっと、他人行儀を貫いていたというのに……いや、もはやそうする必要もなくなったという一種のサインなのかもな。

 父親が本当の意味でいなくなった今、娘として言ってやる番なのだと。

 ルルカなりに、そう思っているのかもしれない。


「えぇ、そうね……ルルカの言うとおりだわ」


 観念したかのように、ハリエットさんは力なく頷いた。


「新しい夫との間に、子供も授かった。けれどどこかで、フワッと浮かんだ気持ちでいたのも、また確かだった」

「夢を見ていた、と?」

「……もうとっくに断ち切ったつもりだった。けれど……そうじゃなかったわ」


 そしてハリエットさんは、改めてまっすぐと親父さんの顔を見つめる。


「私は今もなお、後悔している。自ら捨てたはずなのに、こうしてまだあなたたちのことを想ってしまう……切り捨てたはずの人を前に、涙が止まらないの」

「お母さんが目を逸らしてきた報いだよ」

「分かっているわ。ちゃんと……真正面から向き合ってさえいれば……うぅっ!」


 謝っても謝りきれない。涙を流しても流しきれない――そんな複雑な気持ちが、ハリエットさんのすすり泣く声となっている。

 見ている俺たちも、複雑な気持ちとならずにはいられなかった。


「なんか……やるせないね」


 ここまでずっと黙っていたカノンが、ポツリと呟いた。


「ハリエットさんの気持ちはよく分かるよ。つい逃げ出しちゃったことも、なかなか向き合えなかったことも」

「その結果は、あんな感じだけどな」

「うん。だから私も、ちょっと色々と考えちゃうかなって」


 カノンが俯きながら苦笑する。その言葉の意味はもはや考えるまでもなかった。

 その頭にポンと手を乗せてやりながら、俺も笑って見せる。


「そうやって考えられるだけ、まだマシなほうだろ。少なくとも、カノンとハリエットさんは、全然違うと言えるんじゃないか?」

「お兄ちゃん……うん、ありがと」


 カノンも軽く吹っ切れたように笑う。一応の整理はついたみたいだ。そして俺たちは改めて、ルルカたちのほうに視線を戻す。

 動かなくなった魔導人形の体を、ハリエットさんがゆっくりと横たわらせていた。


「クライドさん……ここまでお疲れさまでした。後はゆっくり休んでください」


 そんなハリエットさんの横顔には、かすかな笑みが宿っていた。元旦那さんだった人の顔を数秒ほど見つめ、やがてその視線は娘に向けられる。


「……ルルカ。急にこんなことを言うのもなんだけど……もし良かったら、私たちと一緒に暮らさないかしら?」


 突然の申し出に、俺は軽く驚いてしまった。それはルルカも同じだったらしく、軽く目を見開いている。

 そんな自分の娘に対し、ハリエットさんは一歩近づいていく。


「今の夫と息子には、私から説得するわ。もう一度あなたと……娘のあなたと、一緒にやり直していきたいと思うの。お願いルルカ! お母さんにどうか……どうか最初で最後のチャンスをちょうだい!」


 必死だった。これを逃すわけにはいかないというハリエットさんの必死さが、周りの空気を伝って俺たちのほうにも響いてくる。

 まぁ、そうしたくなる気持ちは分からんでもないけどな。

 もしかしたらルルカも、喜びを示すかも――って、なんかちょっと寂しそうな笑みを浮かべているな。

 どうかしたのだろうか?


「お母さんの気持ちは、本当に嬉しいよ」

「なら――」

「でもそれは、残念ながら無理。どうしても……できないんだ」


 視線を逸らすルルカは、今にも泣きそうに見えた。そして俺にはその姿が、何故か今しがた目の前で見た光景と重なった。


「……まさかとは思うが」

「えっ? なに、お兄ちゃん?」


 カノンの驚く声が聞こえるが、俺はそれどころではなかった。

 突拍子もないし、根拠も何もない。だが、あり得ないわけでもない。首元から足元まで全てを隠している服装は、至って自然なものだが――それ故にその可能性に気づくこともまるでなかった。

 いや、そもそもこんなこと自体、普通ならば考えつかないだろうさ。

 俺は意を決して、ルルカに尋ねてみる。


「ルルカ――お前さんも、親父さんと『同じ』だったりするんじゃないのか?」


 単なる思い違いであって欲しい――そんな願いをも込めていた。しかしその表情は変わらず、それが正解だと判断できてしまう。


 今ここにいるルルカもまた、親父さんが作り上げた魔導人形だったのだと――


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