第44話 刺客

 源郎斎が道場から出ていくのを将冴は見た。

 忌々しげな表情を浮かべて、将冴は唇を噛んだ。

 自分の考えを見透かすように、源郎斎の言葉は的確だった。

 だが、それを認めるわけにはいかない。

 なぜなら、それは己の敗北を認めてしまうことになるからだ。

 例え血の繋がった兄弟であっても、どんなに似ていたとしても、違う人間なのだから。

 そして、自分こそが強者でなければならないのだ。

 だから、彼は決意していた。

 師範代・修司は、将冴の首の傷にタオルを差し出す。

「師範。これを」

 差し出されたタオルを受け取りながら、将冴は首の出血に当てる。

「修司。《なにがし》に彼土かのどを出せ」

 将冴の命令口調に、修司は思わず目を丸くした。

 しかし、すぐにいつもの無愛想な顔に戻り、小さく首を横に振る。

「何を言うのですか。館長の許可もなく《なにがし》を葬るつもりですか。それに、彼土を出すなんて……」

 修司は反論するが、将冴はそれを無視した。

 この男は自分が決めたことを曲げない。たとえ、それが間違いだと分かっていてもだ。

 将冴は修司の肩に手を置くと、その耳元で囁く。他の誰にも聞こえないように、小さな声で。

「《なにがし》の始末は御老公からの、お達しだ。お前も知っての通り、あの方はこの国のあらゆるモノを金と権力で掌握していく方だ。

 いくら兄貴の裁量でと言われたところで。兄貴の一存で見逃してはならない。《なにがし》を生かしておくことは危険だという判断だろうよ」

 将冴の言葉を聞き、修司の顔色がみるみると青ざめていく。

 確かに、彼の言う通りだ。

 そして、それを理解している上で、将冴は修司に命じているのだ。

 彼土を出すように命じていること自体が、もう既に命令に等しい。

 修司にとって、この男の命に従うということは屈辱以外の何ものでもないが、言っていることは正しい。

 修司は、渋々と承諾する。

「分かりました。では、《なにがし》の追手に、彼土を出します」

 そう言って修司は、道場の外に出る。

「これで、俺が手を下すまでもないな」

 将冴は一人ほくそ笑む。


 ◆


 その頃、隼人は、麓へと続く山道を歩いていた。

 道なき道を進む彼は、言い知れぬものを感じていた。

 重苦しい空気が辺りに立ち込めているような感覚。

 根拠がある訳では無い。

 ただ、本能的に感じただけに過ぎない。

 何かがいると。

 そんな予感めいたものを感じつつ、隼人は歩く。

 その脚がピタリと止まった。

 山にはまだ日があるというのに、薄暗い闇に包まれていた。

 木々の葉が生い茂り、陽光を遮っているせいではない。

 それは、まるで森全体が息を止めてしまったかのような静寂さであった。

 先程までの静けさとは明らかに異なる異質な雰囲気。

 ―――来る!

 直感した瞬間だった。

 木陰から黒い影が飛び出してきた。

 人型をしたソレは、隼人に向かって襲いかかってくる。

 だが、隼人の反応の方が早かった。

 蔦が魂を宿したうに細い影が空を疾る。

(鎖!)

 隼人は、影の正体に気づくと同時に跳躍して避ける。

 間一髪で回避に成功するが、隼人の背後にあった大木が一瞬にして幹が爆ぜる。粉々になった木の残骸が宙を舞う中、着地した隼人はすぐに身構える。

 打裂羽織を羽織り、帯刀すると同時に刀を抜く。

 打裂羽織は伊達ではない。

 試斬において、稽古着をかぶせた試斬りがあるが、巻藁に稽古着をかぶせると、ほとんど刃が通らなくなる。

 鎖帷子とまで行かなくても厚手の着物や綿入れのようなものを着ていれば、実戦の中で一太刀で致命傷を負わせるのは至難の業となる。

 赤穂浪士や新撰組が腰まで隠れる羽織を着ていたのは、敵味方の判別だけでなく、このような理由からと言われる。

 隼人にとって打裂羽織は、闇に紛れる衣装だけでなく鎧でもあるのだ。

 目の前。

 木陰には、鬼面を被り全身黒装束に身を包んだ者が立っていた。

 右手には小刀を構え、左手からは鎖を伸ばしている。

 顔すらも覆い隠すほどの頭巾を深く被っており、その表情までは窺えない。

 その体躯は細身で小柄であはあったが、子供でも女でもない。れっきとした男の体躯をしている。

 しかし、その動きは常人のそれではなかった。

 素早い身のこなしで隼人との間合いを詰めると、彼は鎖を鞭のように振るってきた。

 いや、鎖が生き物のように襲い掛かってくる様は、まさに蟒蛇うわばみだ。

 隼人は、弾かれるように躱すと今し方立っていた地を鎖が薙がれて、鎖は男の元へと戻る。

 隼人は男の武器を確認する。

 鎖鎌かと思ったが、違う。

 約3.5mの分銅付きの鎖。

 その端は、脇差程の刀の柄頭に繋がれている。

 鎖鎌ならぬ、鎖刀とでも言うべき代物だ。

 そのような武器は聞いたことがなかった。

 何より男の気配そのものが異様だ。

「鬼哭館の剣士だな」

 隼人は問うが、男は答えない。

 この男こそが、将冴の放った彼土であった。

 彼土とは、あの世のことを意味する。

 本来の名前は、すでに捨てた。

 彼土は鬼哭館の剣士ではあったが、抗争における戦闘で顔を著しく損傷し、それを修復することが出来ずに、そのままの顔になっている。

 つまり、顔面が醜く歪んでいるため、日常生活及び正規の任務へ入ることができず、こうして裏のその又裏世界で生きることを余儀無くされたのだ。

 敵地へ入り敵の動向を探るなど正規の任務へ就けない以上、彼土にできることは限られている。

 そのため、この男に課せられた任務は暗殺。

 すなわち、要人の殺害だ。

 ただし、通常の暗殺者とは違い、対象の息の根を止めるのではなく、護衛を始末し、標的を孤立させれば良いというものだ。後は、正規の剣士で事足りる。

 彼土の仕事は、正規の剣士のサポートに徹しているが、一人でも十分にこなすことができる。

 むしろ、単独での暗殺が彼の得意とするところだ。

 その為、彼土は鬼哭館の剣に鎖分銅を加えた、独自の剣術を編み出していた。

 それが、鎖刀である。

 日本の武術はおよそ剣術が中心になっていると言われる。

 むろん、武士の表芸として尊重された歴史もあるが、刀が実現した

 ・汎用性

 ・即戦性

 ・携行性

 という利点が「最強の武術」という評価の根拠だ。

 同時にそれは

 この剣術をいかに破るか?

 というテーマが古来より存在し、各時代の武人たちが心血を注いだ結果、さまざまな対剣術戦用の武術が編み出されてきた。

 いわば「剣術キラー」とも呼べる技の一つに、鎖鎌術がある。

 鎖を剣にからめて鎌で攻撃するという戦法が基本だが、熟達すれば頭上や体側で鎖を振り回し、遠く離れた間合いから分銅を打ち込むという使い方も可能。

 アウトレンジから強力な一撃が見舞われるため、剣術者にとっては厄介な相手だ。

 また、接近しても鎖で捕縛したり、体術の技を併用するなど変化に富んだ技法を有している。

 彼土は左手の分銅を回す。

 分銅の内部には、鉛よりも比重が重い水銀が詰められており回転させることで水銀がぶつかり合うことで、さらなる遠心力が発生し、威力が倍増される。

 その恐るべき破壊力は、岩をも砕き、鉄板をも貫通する。

 放たれた鎖分銅が槍のように一直線に伸びる。

 隼人は、瞬時に間合いを見極め、最小限の動きで回避する。そのまま一気に間合いを詰める。

 彼土の鎖分銅は3mもの間合いを誇る。

 距離がある状態では、隼人は一方的に不利だ。

 しかし、間合いを詰めてしまえば、逆に有利となる。

 鎖の長さを活かすためには、ある程度間合いを広くする必要がある。

 だが、彼土は放った鎖を掴むと素早く引き戻す。

 隼人は、咄嵯に身を屈める。

 一瞬前まで隼人の頭部があった空間を、引き戻される分銅が通り過ぎる。

 彼土は、鎖の端を自在に操る。

 そこに目掛けて彼土は鎖で結んだ刀を横薙ぎで放ってくる。

 隼人は身を引く。

 打裂羽織の袖が裂ける。

 鎖を介した斬撃ではあったが、正確に刃筋を立てている。

 彼土の攻撃は止まらない。

 両腕を縦横に回し、鎖の両端にある分銅を刀が嵐に巻き込まれたように風となって舞い続けた。

 その空間に入れば一瞬にして、分銅で殴打されるか刀で斬られるかのどちらかだ。

 彼土が腕を振るうたびに、空気が切り裂かれ、突風が吹き荒れた。踏み込むことはできない。

 だが、隼人には飛刀術がある。

 脇差を左手で抜くと、彼土目掛けて放つ。

 その切先は、彼土の胸元を狙っていた。

 彼土は鎖を巧みに使い、その軌道を逸らす。

 弾かれた。

 それは武器の一つを失ったことを意味する。

 すると、彼土は右手に刀を握ると、彼土は隼人へと斬りかかってきた。

(早い!)

 彼土の攻撃は、それだけではない。

 鎖分銅が隼人の膝を狙って横から遅いかかって来る。

 隼人は、跳躍して避ける。

 しかし、彼土は読んでいた。

 彼土の放った鎖は、隼人の右脚に絡みつく。

 空中で体勢を変えることができずに、鎖が引かれると、そのまま地面へ叩きつけられる。

 彼土は、右手の刀で、さらに追撃を仕掛けてきた。

 隼人は地面に倒れたままであったが、逆に脚に絡んだ鎖を左手で摘むと、それを引く。バランスを崩した彼土が前のめりになる。

 隼人は脚に絡んだ鎖のテンションを解くと、素早く立ち上がる。

 彼土の体が引き寄せられ、隼人は、その顔面へ斬り込む。

 隼人は体を反らし、ギリギリで避けた。

 彼土の表情は鬼面で見えないが、口許が笑っているように見えた。

 隼人は、間髪入れずに踏み込みながら逆袈裟斬りを放つ。

 彼土は後方へ飛び退く。

 そして、着地と同時に鎖を鞭のように振るい、その先端の分銅で殴りつけてくる。その狙いは隼人ではなく、隼人の刀であった。

 隼人の刀に鎖が絡む。

 刀を封じられた瞬間であった。

 彼土が左腕を大きく引く。

 鎖が張った。

 刀を奪い取ろうとしているのか、彼土は右手と左手を使いながら徐々に引く。刀を奪われれば、丸腰になってしまう。

 隼人は、フッと笑う。

 彼土が怪しげな気配を感じ取る。

「お前。強いな。だが、俺が何者かを知らすぎた」

 隼人は告げる。

 しかし、彼土は冷静だった。

 隼人の言葉がハッタリだと見抜いたのだ。

 隼人は、あえて鎖に巻かれた刀をそのままにしている。

 刀を捨てても予備の武器となる脇差はもう無い。

 つまり、彼土は隼人が鎖に巻きつかれている以上、隼人からは攻撃できないと思い込んでいる。

 彼土は、そう判断していた。

 だが、隼人は刀を握る手に思念を送る。

 次の瞬間、彼土は後ろへとバランスを崩す。刀に巻き付いた鎖が突然解けた為だ。

 彼土は理解できなかった。

 見ても隼人が刀を手放していた訳ではない。

 だが、鎖は解けた。

 隼人は踏み込みながら刀を振り下ろすと、雁金に一尺五寸(約45.5cm)を斬り下げた。

 刃が抜けると、彼土の左肩から血飛沫が上がる。

 隼人は間合いを取っていたので、返り血を被らずに済んでいた。

 鎖刀という特殊な戦闘スタイルは、間合いを制することこそが最大の利点である。

 それを潰されてしまえば、ただの剣士と変わりない。

 相手は鎖という一種の飛道具であり、長柄武器であり、鎖で武器を絡め捕縛する格闘武器であったが、鎖で刀を使用できなくするアドバンテージを活かすための戦術を突如として失っている。

 その一瞬の隙が命取りとなった。

 肩口から噴き出す鮮血が、彼土の鬼面を赤く染める。

 鬼面の下の顔が苦痛に喘ぐ。

 彼土の表情が歪む。

 隼人は、刀を構え直す。

 一方、彼土は肩を押さえながらも、刀で隼人を刺そうと動く。

 隼人は驚く。

 人を即死させるには一尺(約30.3cm)必要と言う。それ以上にあたいする斬撃を受けても彼土は絶命していなかった。

 執念だ。

 だが、致命傷であることは明らかだ。

 それでも、彼土は刀を握りしめていた。

 彼土は、自分の死期を悟った。

 このままでは確実に死ぬ。

 ならば、せめてもの足掻きとして、目の前の少年だけでも道連れにしようと思った。

 彼土は、最後の力を込めて刀を突き出す。

 しかし、その刃先は隼人の体に届かなかった。

 なぜなら、二歩目で崩れるようにして地に伏したのは彼土の方であったからだ。倒れた衝撃で、鬼の面が外れ飛ぶ。

 流れ出る血が地を染めていく中、隼人は残心を決める。

 彼土は外れた鬼面を見つめる。

 その表情は、まるで子供のような無邪気さがあった。

 その瞳から光が消えると、そのまま息絶えた。

 隼人は、彼土が事切れるまで見守っていた。

 そして、彼土の顔を見て眉を歪めた。

 鬼の面に隠されていた素顔は、損傷があった稽古ではなく命をかけた戦闘でなったものであることが想像できた。顔の皮膚が裂けており、見るに耐えない姿となっていた。

 隼人は、鬼面を拾い上げると、彼土の素顔を隠すようにかぶせ直した。

「《なにがし》の《闇之太刀》を知らなかったのが敗因だ。俺は、この刀でありとあらゆる物を、すり抜けさせることができる。受けや防具は一切意味は無い。

 例えそれが、最新式複合装甲でもな」

 隼人は告げると、刃を拭って鞘に納める。

 その場を後にした。

 残されたのは、戦いに敗れた男の遺体だけであった。

 恐ろしい男だった。

 鬼哭館の修行場を見たが、正統派な剣術であったにも関わらず、あの男の剣はそうではなかった。

 剣術に忍びの技を加えたような独特のものだった。

 しかも、それは完成されたものであった。

 鬼哭館の中でも、おそらく暗部に位置する存在であろう。

 源郎斎という男は、恐ろしい剣士ではあるが正統派の武人でもあった。

 あのような男を刺客とするものを感じなかった。

「ということは、奴か……」

 隼人は、道場から出た後に、回転式拳銃ルボルバーを向けてきた男を思い出す。

 名前は知らなかったが、志良堂将冴だと判断できた。

「やってくれるじゃねえか」

 隼人は呟く。

 そして、口許が緩む。

 あの男と戦うことになるかもしれない。

 その時は、どうするか?

 隼人は、それを考えるだけで胸が躍った。

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