第42話 第四の古式剣術 魔傅流

 それは、喜びなのか悲しみなのか分からぬ表情だった。

 澄香の口にした言葉。

 それに対し、志遠の表情には驚きと感心があった。

「若い身で凄いものだ。よく、その名を知っている。……そう、北川魔傅流です」

 志遠は言う。全てを覚悟したかのように。

「北川? 坂田ではないのですか?」

 問いに志遠は言う。

「魔傅流は四代目から改名され、坂田から北川に変わっています。名を知っているというのなら、説明は必要ないかな?」

 問われて澄香は否定する。

「いえ。お願いします。父が口にしているのを聞いただけで……、名前を知っているだけで、一体どのような流儀なのか皆目検討もつきません」

 澄香に頼まれて、志遠は覚悟を決める。

「では、教えましょう。魔傅流とは何かを」

 志遠は、全てを覚悟したかのように語り始めた。


 【魔傅流】

 上野国は神の国。

 それは日本の古代世界における妖しくも不可思議なものを連綿と伝承してきた大変奇妙な地帯である。

 そして日本神代史本質とは神と魔物の相剋であり、古代世界は正に神魔の時代であった。両者は正に光と影の如く、それぞれに不可分なる存在として相互に妖しき働きをなしていたのである。

 上州こそは、かくした古代戦争の神や魔物たちの巨大な足跡が正しく刻まれてきた場所であり、その痕跡は随所に残る。

 彼の地から希代の剣聖・上泉伊勢守が出て、同地に伝わる神妙なる極意を抽出し、新陰流という絶後の剣術流儀を打ち立てて、後世の日本武術に膨大なる影響を及ぼした。

 また高崎藩の家臣、富岡肥後右衛門という戦国武士が、撃丸という世にも恐ろしげな異形の鎖秘武器を発明して戦場で暴れ回り、その豪勇を恐れられたという。

 その伝承は多少の彩りを替え、いまだに上州の地に氣樂流や荒木流で用いられる驚異の秘武器・乳切木として継承されている。その他両流で伝承される鉄鉾術や両分銅、丁器なども現在では他の地域では、ほとんど見られない上州独自の秘武器領域である。

 このような異形の秘武器類は神伝兵器というより確かに同地に根付く魔物たちから伝承された人外魔境の武器類を映したものだったではないかとされる。正しく氣樂流兵法や、また上州の名門剣術とされる、馬庭念流などの秘術は摩利支天尊の賜物とされ、神を流儀の守り本尊としているのである。

 そしてまた新陰流が神伝剣術であるとすれば、魔物から伝承されたという、より恐るべき魔伝剣術がいま一つ同地に伝承されていた。

 それは念流のような名門ではないが、正に上州の地に根付き上州を出ることなく密かに伝承された幻の秘剣術。

 その名は、北川魔傅流。

 流儀の開祖は坂田市之進という武士で、当時は坂田魔傅流と呼ばれていたが、四代目・北川六良四良から、北川魔傅流と改名された。

 秘伝中の秘伝剣術として、上州の地をでることなく、また僻地における秘密性故に『本朝武芸小傳』『日本中興武術系譜略』『撃剣叢談』『新撰武術祖録』といった江戸期におけるどの武術流儀解説文献にもその流儀の記載はない。

 しかし、師範家や周辺に残るいくつかの秘伝書群により、その驚異の秘伝剣術が確かに存在したことを証明することができる。それらの資料には北川魔傅流という奇妙な名称が記載され、同流儀が伝えた様々な秘術の内容を表している。

 このようなマイナー流儀などには大した資料も文化もある筈がないと思われるかも知れないが、現存する秘伝書の中には新陰流が形成した巨大な文化遺産、その一例として作製された新陰流絵目録に決して見劣りしないような優れた絵目録が現存し、秀逸なる絵図にて古代世界の驚くべき魔伝兵法の本質を映し出してくれている。

 絵目録には年代記載はないが添えられた目録は嘉永五年(1852年)に狩野主馬之助泰敏が高橋傳十郎に発行した伝書で、歴代継承者の名前が記載されている。幕末の伝書ではあるが当時すでに十八代目を数えていた。

 つまり魔傳流は、兵法三大源流である念流、神道流、陰流に匹敵する古い歴史のある古式剣術であることが伺える。

 ちなみに、兵法三大源流とは、剣術の源となる三つの流派。

 本格的な剣術流派が成立し始めたのは室町時代まで遡る。念流、神道流、陰流の、これら三つの源流として剣術は大きく発展し、後世にいくつもの流派を作り出し700以上にも及んだ。それ程多く派生した剣ではあるが、その祖先を辿っていくと、この三つのどれかから発生した剣術を言われる。

 つまり、剣術史における第四の古式剣術が魔傅流となる。

 魔傅流の技法が三十五図も描かれ同流の内容をある程度うかがうことができる。剣術を中心にとしながらも居合や薙刀、または鎖術も伝えられており、総合的な流儀であった。

 流儀の優劣というものは、その流儀の伝流の規模とは必ずしも関わらない。このような極小流派といえども驚異の秘技の数々が立派に伝承されていたことを広げられた流儀の絵目録から感じ取れる。

 魔傅流は極近年まで上州に継承されていたが、後継者に人を得ず、現在は失伝状態である。


「魔物から伝承したという剣術。北川魔傅流……」

 澄香の脳裏に、隼人の刀術が、ありありと思い込された。

 肝が冷える。

 死者の身体に触れた時に感じる、あのゾッとするような寒気。

 恐るべき刀術に澄香は身震いした。

 あれは、魔物の気配だったのだ。

「では、《なにがし》というのは魔傅流の分派、派生流派なのですか」

「違う」

 志遠は、澄香の予想を否定した。

「その逆」

「逆?」

 澄香は分かりかねて訊き返す。

「《なにがし》は魔傅流の源流となった剣だ」

「源流?」

「これは私の師や同じ上州出身の念流に口伝として伝わっている事だが、流祖である坂田市之進は、魔物より剣を伝授された。だが、魔物がただで教えてくれる程、気前が良いだろうか?」

「……対価」

「そう。坂田市之進は魔物から剣を授けて頂くにあたり、対価を払った」

 何を。

 澄香は訊かなかった。想像がついたからだ。

「捧げたんだよ。自身の妹を。にえとして」

 志遠は言う。

 その声は震えていた。

「自分の家族を、魔物に……」

 澄香は呟いた。

 その言葉は、恐ろしく冷たいものだった。

 人の血肉を喰らう魔物。

 その恐るべき魔物に剣を教えてもらう為に、自らの家族の命を差し出す人間がいるのか。

 澄香は理解できなかった。

「そして魔傅流が誕生した。だがその折、坂田市之進に思わぬことが起こった。何と、贄に捧げた妹が魔物の元から生きて帰ってきた。仔を孕んで」

「……誰の仔ですか」

 澄香は問う。

 恐るべき問いだと知りながら。

 答えを知りながらも、訊かずにはおれなかった。

 志遠は答える。

 悲痛に顔を歪めながら。

 そして、言った。

「贄に捧げた以上、相手は想像できる。魔物しかいないだろう。魔物の仔であることに恐れた坂田市之進は、堕胎させずに妹に生み落とさせた。

 坂田市之進は、その仔にいみなと名付けた。諱という漢字は、日本語では「いむ」と訓ぜられるように、本来は口に出すことがはばかられることを意味する動詞だ。魔物の仔に、うかつな名前をつけることで、それが魔性を帯びて人に害を及ぼすことを恐れたのかも知れない。あるいは、魔物の怒りに触れることを恐れたのかも」

 澄香は思わず吐き気をもよおし、口元を覆う。

 魔物と人間の女との間に行われた、おぞましい姦通。

 その忌まわしい出来事を想像するだけで、全身が粟立つ思いがした。

 そんな澄香の様子を察してか、志遠は済まなそうにする。

 嫁入り前の生娘には、刺激が強すぎる。

「少々、話が長くなったね。もう寝なさい。ケガは完治していないのだから……」

 そう言って、立ち去ろうとする。

 澄香は、慌てて引き留めた。

 それは、今ここで聞かなければ一生聞けなくなるような気がした。

「構いません。教えて下さい。私は知りたいんです《なにがし》のことが。お願いします。私は隼人と再戦することを約束しています。知る権利がある筈です。《なにがし》のことを知らなくては、私は戦えません」

 澄香は必死に頼み込んだ。

 志遠は少しだけ考え込むと、また腰を下ろした。

 それから、意を決したように話し始めた。

 それは、澄香にとってあまりに衝撃的な内容だった。

「初代・諱は、姿こそは人間と変わらなかったそうだが、生まれて一ヶ月もすると立って歩き、一年後には十歳の子供並に成長した。異様な成長に坂田市之進のみならず、周囲の人々も恐れた。

 だが、ある時諱は姿を消した。周囲が気味悪がっていただけに、諱の失踪に皆が安堵し、話の端にも出なくなった。それを見計らったように諱は帰ってきた青年と見間違う程の成長を遂げて。坂田市之進が尋ねると、諱はこう答えた。

 『父に剣を教わってきた』と」

 澄香は、息を呑んだ。

 それでは、あの剣は……。

「……それは、つまり。坂田市之進に教授した魔物ということ」

「そう。その日を境に、初代・諱は魔傅流とは異なる魔伝剣術を振るうようになった」

 志遠は続ける。

 その口調は淡々としていた。

 まるで他人事のように。

 だが、その声音からは、抑えきれない怒りが感じられた。

 ある武家の奥方が待望の男児を出産。家族が世継ぎに大いに喜ぶ最中、父親が産湯で洗われる我が子を腕にすると、目の前で子の首が転がった。

 またある者は、痛みもなく体中に口が開き血が流れ続け、おれの体を糸で縫い続ける奇行を行い、最後は己の目、鼻、口まで縫って死んだ。

 またある者は、一寸にも満たない刀傷から延々と血が流れ続け、止めることもできず血を失って死んだ。

 またある者は、身体が腐り果てていく中で魂だけは生き続けるも、やがて肉体とともに朽ちて消えた。

 そのような恐ろしい病が次々と人々を襲っていった。

 原因は分からず、治療の方法もない。

 人々はただ怯えるしかなかった。

「つまり、それが《闇之太刀》」

 澄香の言葉に、志遠は首肯する。

「その恐るべき剣術を使う諱を討とうと、多くの剣士が挑む為に、剣士達は彼を探した。

 だが、自分の流儀の名を持たない諱を、人々は言うしかなかった。

 《なにがし》とかや云う剣とは、何なのだと」

 その志遠の目に、涙はなかった。

 志遠は、静かに語る。

 その目には、ただ静かな悲しみがあった。

「そして、人々はその魔伝剣術を《なにがし》と呼ぶようになった」

 その言葉を澄香は、染み入るように聞いていた。

 まさか《なにがし》に、そのような歴史があるとは思わなかった。

 しかも、それが隼人の先祖であるなど。

 澄香は、複雑な思いに囚われた。

 確かに、あの剣技にはどこか禍々しいものがあった。

 あれは人を殺す為のものだ。

 命を弄ぶ、邪悪なものだった。

 しかし、その剣が、人の血肉を食らう魔物から伝授されたものだとすれば、それも当然のことだろう。

 魔物は、人を喰らい、生きるのだ。

 だからこそ、魔物は人の生命を奪うことを厭わない。

 《なにがし》は、まさしくその魔性を帯びていた。

 魔物の剣だ。

 だが、誕生はどうあれ、剣術の祖とも云うべき兵法三大源流である念流、神道流、陰流に匹敵する流派の存在だ。

 その剣の歴史は、尊敬と敬意を示される由緒ある剣であることは間違いなかった。

「私は、そんな歴史深い剣の祖に対し、礼儀をわきまえず挑もうとしている訳ですね」

 澄香は自嘲じちょうするように言った。

 そして、ふと気がつく。

 隼人に三大欲求が無いことに。

「ひょっとして、隼人に三大欲求が無いのは、魔物の血が流れているからでしょうか」

 澄香の問いに、志遠は答える。

「おそらく。というより、間違いないだろう。三欲を持たない隼人の心は、歴史に名を残す宗教家と同等かそれに匹敵する心の持ち主。

 彼の今の生き方ではなく、その心のありようを僕は尊敬している」

 そこまで言われて、澄香は理解した。

 以前、志遠が言った言葉を。

「……完璧な心の持ち主。霧生さんが、隼人のことをそう言っていたのは、そういう意味なんですね」

 志遠は、それを聞いて微笑んだ。

「そう。隼人には、一切の欲望が存在しない。それは金という存在もそうだ。彼にとっては、100円も100万円も生きるための糧ではなく、物や情報を得る為の数字でしかない。それは、人としては寂しいことかも知れないが、同時に羨ましいことだ。僕もまた同じだからね」

 澄香は思う。

 この人は、きっといい人だと。

 澄香は、隼人と志遠の間に流れる信頼関係を感じた。

「だが、魔物の血は同時に呪いもある。諱の血筋は、人と交わりながらも、決して消えること無く受け継がれてきたのだから。その呪いは、今も生きている」

 志遠は断言した。

「呪い?」

 澄香は訊き返す。

 答えを聞き、同時に恐怖した。

「諱の家系は代々男児しか生まれず、身籠った女は男児を生むと必ず死んだ。これは、呪いに違いない。

 そして、隼人の母親も、隼人を生んで亡くなっている」

 澄香は絶句した。

 なんと残酷なことか。

 隼人の母親が隼人を生んで亡くなっていることは、隼人と話した時に聞いていた。だが、まさか代々続く呪いだとは聞いてはいなかった。

 隼人は、自分が母親を殺したと言っていた意味が理解できた気がした。

 女の命と引き替えに生まれた子が、隼人だった。

 それは、どんな気持ちだったろうか。

 澄香は想像もつかなかった。

 澄香は涙を流していた。

 何の涙か澄香自信も分からない。

 ただ、自然と溢れ出た。


 女は斬らない。


 隼人の言った言葉の意味を、今更ながらに思い知った。

 彼は、ずっとその苦しみに耐え続けてきたのだろう。

 澄香は思った。

 隼人は、人を斬る。

 だが、優しい人なのだ。

 澄香は、そう確信していた。

 そして、志遠は続ける。

「これで分かったかな。《なにがし》というものが。そして、隼人が《なにがし》であるが故に狙われるのか。挑んでみたいだろう日本最古の流派にして、歴史に隠遁された幻の第四の流派・魔傅流の源流となる魔物の剣。

 あまたの剣士を屠った、幻の剣術。それは時の権力者も、欲した」

「権力者も?」

 澄香は、なぜ権力者が欲したのか分からなかった。

「そう。《なにがし》は金を天まで積んでも手に入らないものをもっていたからね。……いや、それは知らない方がいい。

 命が二つあるなら、僕も挑んでみたいものだよ。勝って、その名誉を手にしたい」

 志遠の澄んだ目には、確かな意志があった。

 金を天まで積んでも手に入らないもの?

 澄香には、想像もつかない。

 だが、澄香には今思いあるものがあった。

 それは、なぜ父が《なにがし》に戦いを挑んだかだ。 

「父がなぜ《なにがし》と果し合いをしたのか、分かった気がします。私の使う戸田流高柳派を教えて頂いた、高柳又四郎先生の人生はある日を境に歴史から消えています。

 父は酒の席で口にしていました、魔傅流に先生は殺されたのだと。先生の無念を晴らすと同時に、自分も《なにがし》に勝ちたかったのでしょう」

 澄香の言葉に、志遠は静かに首肯する。

「そうでしたか。高柳又四郎は《なにがし》と戦って亡くなっていたのですか。教えを受けたものならば、その無念を晴らしたい。角間さんの気持ちはよく分かります」

 志遠は理解をした。

 その声音には、静かな悲しみが含まれていた。

 澄香は、志遠の言葉を噛み締めるように聞いた。

 父も私と同じ思いなのだ。

 父は、高柳又四郎の無念を。

 澄香は、父の無念を。

 そして、志遠は続けた。

 そこには、先程までの穏やかさはなかった。

「これが、僕が知る《なにがし》の全てだ。だが、僕の知り得るのは、ほんの一部に過ぎない。

 なぜなら、僕はまだ一度も奴と刃を交えたことがないからだ」

 志遠の声は、重く響いていた。

 その言葉は、澄香の胸に突き刺さり、心を揺るがす。

「君は、それでも《なにがし》に挑もうとするかい? 命を捨てる覚悟はあるかい?」

 志遠は問うた。

 澄香は、その問いに答える。志遠の目を見据え、力強く答えた。

「私の気持ちは変わりません。尊厳と敬意を示す由緒ある剣であっても、私は負けたくありません。父の最後の言葉は、《なにがし》と隼人に対する怨みでした」

 彼女の決意は固かった。

 後悔などしない。それが、澄香の選んだ道だった。


 (次回、第43話 斎)へ続く……。

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