第14話 武と農

 学校の裏手には林が広がっていて、その奥には川が流れている。

 その川は、あまり大きくはなく水深は浅いものの、水の流れは緩やかで、魚の姿がよく見えることから、写真部や美術部などの撮影スポットになっていた。

 そのため、よく人が出入りしているのだが、今は下校時刻を過ぎ、人通りは少ない。

 また、学校の七不思議の一つにも数えられる場所で、夜中に一人で行くと神隠しに遭うという噂もある。

 早紀は、そこに隼人がいるのではないかと考えた。

 なぜなら、放課後に隼人がそこに居るとの話を写真部や美術部の生徒達から聞いていたからだ。

 早紀は、そのことを説明する。

 すると、澄香は納得したようだった。

「なるほど。早紀、少し私とつきあって。案内して欲しいの」

 それから、早紀の手首を掴んで走り出す。

 突然のことに驚く早紀だったが、すぐに澄香の意図を理解して、抵抗することなくついて行った。案内して欲しいと言いつつも、やっていることは半強制的だ。

 二人は走る。

 だが、早紀の足では、澄香に付いていくことはできなかった。

 だから、早紀は叫ぶ。

「あの。私、そんなに脚が早くないんです」

 澄香の背中に向かって。

 澄香は、そのことに忌々しく思いつつも、ペースを落としてやる。

 早紀もそれに合わせて速度を落とした。

 それから、早紀は言った。

「すみません。こんなことになってしまって」

 すると、澄香は振り向かずに答える。

「いえ、気にしないで。元はと言えば、私が強引に連れてきたんだから。謝るのはこっちの方よ。ごめんなさい」

 彼女は、そう言って謝罪した。

 早紀は校舎裏に出ると、川へと続く林の小道を示す。

「あそこから。川に下りられます」

 すると、澄香は小道を指差して言った。

 その先には、確かにコンクリートブロックでできた階段がある。

 澄香は早紀の手を握る。

 まるで、迷子にならないように、しっかりと繋ぐ。

 そして、言う。

「この先ね」

 真剣な声は、緊張を含んでいた。

 二人は林に踏み込む。

 夕方に近いこともあってか、林の中は薄暗かった。木々の間からは、わずかに光が差し込んでいる。

 だから、歩くのに支障はなかった。

 澄香は、どんどん進む。

 早紀は先ほど、澄香が言っていたことを思い出して気になった。


「かけがえのないものを。取り戻すためよ」


 それは、澄香が口にした言葉だ。

 だが、なぜ彼女はこんなことをするのかが、分からない。

「あの。澄香さんが言う、かけがえのないものって、何ですか?」

 早紀が訊くと、澄香は時を止めたように脚を止めた。

 それから、ゆっくりと振り返る。

 彼女の顔には、悲しげな笑みがあった。

 その表情を見て、早紀は悟った。

 自分は何かを間違えたのだと。

 澄香は言う。

「どうして、そんなことを訊くの?」

 訊かれて早紀は、少し言葉に詰まる。

「それは……。隼人くんが悪い人には思えないからです。本当にそうだとしても、きっと理由があったんじゃないでしょうか……」

 澄香は、早紀の言葉を聞いて黙り込んだ。

 それから、しばらくして口を開く。

 澄香の瞳は早紀を見つめていた。

 だが、その視線は早紀を捉えていない。どこか遠くを見るような目だった。

 澄香は呟いた。

 とても小さな声で。

 独り言のように。

 それは、澄香が心の中で思っていたことだ。

 でも、それを口にすることはしなかった。

 できなかった。

 もし、自分の考えを口にしたら、現実になってしまうかもしれないから。

「早紀は、両親が居るの?」

 突然の質問に早紀は驚く。

 だが、すぐに答えた。

 澄香の問いかけの意味も分からずに。

 それが、どんな意味を持つかも知らずに。

「……離婚はしていますが、両親は居ます。今は母親と弟、妹と一緒です」

 澄香は続ける。

 今度は、早紀の顔を見ながら。

 澄香は言った。

「例え離れて暮らしていても、どこかで生きているのと、二度と会えないのとでは違うのよ。そうじゃない?  何か理由があるなら、許される。早紀が言っていることは、そういうことなのよ?」

 早紀は、その問いに何も返せなかった。

 早紀が黙っていると、澄香は話を続ける。

「私だって、本当は分かっているの。隼人が何をしたのかを。それを認められないだけ」

 それから、彼女は歩き出した。

 前を向いて。

 林の出口へと向かって。

 早紀は、澄香の後ろをついて行く。

 澄香の表情は見えない。

 それでも、早紀は思った。澄香が抱えている悲しみと苦しみが少しでも和らげばいいと。

 二人は林を抜けると小川に出た。

 川は浅く、流れは緩やかな川だ。

 澄香は、その川を覗き込む。

 すると、水面には空が映っていた。

 夕焼けの赤が水に溶けて、赤い空が広がっているように見える。

 澄香は、その景色に見惚れるように立ち止まった。

 だが、それも一瞬のこと。

 周囲を見渡しても人影が無いことを確認すると、澄香は表情を歪めて舌打ちをする。

「ここには、居ないようね」

 澄香は言った。苛立った様子で。

 だが、その場を後にしようとして、岸辺に奇妙な物が視界に入った。

「何。あれ?」

 澄香が近づく中、早紀も遅れて近づく。

 岸に近い所で四本の棒が川の中に突き立てられており、四角い赤い布の端が四本の棒に結び付けられていた。

 布は濡れており、水が滴っていた。

 見れば近くに柄杓があった。

 澄香は早紀に訊く。

「これは?」

 訊かれるが、早紀にも分からない。

「さあ。魚を取る仕掛けかな? でも、それにしては川の中じゃなくて、川の上にあるのは変ですけど」

 澄香は柄杓を手にする。

 赤い布が濡れているのを見て、柄杓を見る。

「何かは分からないけど、状況から考えたら、こういうことね」

 澄香は柄杓で川の水をすくうと、赤い布に水をかけた。

 すると、赤い布の中心に水が集まり、水が布地を抜けて落ちていく。ボタボタと音を立てて。

 水は川の上で弾けた。

 早紀は訊く。

「水の濾過ろかですか?」

「……それにしては、下に濾した水を受けられるようにしていないわ。何か分からないけど、儀式的なものかもしれないわね。

 けど、一つ分かった。この布が水に濡れていたということは、これを濡らした者が居るということ」

 澄香は、早紀を見た。

 その顔は真剣だった。

 彼女は言う。強い意志を感じさせる声で。

「近い」

 澄香は、そこから見える林の上を見た。

「聞こえる」

 澄香の言葉に、早紀は驚く。

 耳をすますと確かに何か聞こえた気がした。土に何かを打ち込む音。木に何かをぶつける音が。

 早紀は辺りを見渡す。

 だが、どこにもそれらしいものは見当たらない。

 だが、澄香は違った。

 彼女は、林の先にある丘の方角を見る。すると、その頂上付近に目を向けて言った。

「あの向こう。上」

 澄香の声は、どこか緊張しているようだった。

 彼女は林の坂を駆け登る。

「澄香さん」

 その後を早紀は追った。

 林を抜け、丘の上に出ると澄香は、そこに広がる光景をみた。

「ここは……」

 澄香は広がる光景に目を奪われる。

 それは早紀も同じだった。

 早紀は呟いた。

 広い、土地があった。

 広さにして、25mプールくらいだろうか。

 そこにあったのは夕日に照らされた畑。

 そこは一面の畑が広がっており、作物は植えられていなかった。

 赤く染まった土と、耕された湿った土が見えるだけ。

 そこに一人の少年がくわを持って、土を耕していた。

 隼人であった。

 鍬を振り上げ、振り下ろす。

 鍬を引き、土を掘り返す。

 彼は無言で作業を続けている。

 早紀と澄香の存在に気づいていないのか、それとも気づいていながら無視をしているのか。

 澄香の視線は隼人に注がれている。

 早紀も澄香と同じ気持ちだった。

 二人は声をかけることもできず、ただ見つめ続けた。

 それからどれぐらい時間が経っただろう。

 日は沈みかけ、空には一番星が見え始めていた。

 それでも隼人は動きを止めなかった。

 ひたすらに土を掘っては、また掘り返しては、鍬を振るう。

 その姿は、まるで何かに取り憑かれたかのように見えた。


 【武と農】

 一見無関係に見えて両者には深い関係があるとされる。

 というのも農作業において右脚を踏み出し半身になって鍬打ちをする格好と剣術、柔術などの構えの型がまったく同じだからである。

 そして、剣術では大事になる。

 なぜなら、左袈裟斬りをした際、右脚ではなく左脚を踏み出した場合、自分で自分の膝を斬ってしまうことに繋がるからだ。

 同様に、舞踊の世界でも右半身が最も重要と言われ、右脚を踏み出した踊りの所作を特に、ナンバと言い習わしている。

 ナンバとは、右手と右脚、左手と左脚をそれぞれ同時に出す歩き方である。ナンバ歩きとも呼ばれる。

 近代以前の日本人の労働の多くの基本姿勢は半身だったといわれている。

 江戸時代以前の日本ではナンバ歩きが一般人の間で広く行われていたが、明治以降、西洋的生活様式の移入とともに失われたとする説がある。

 民俗学者の高取正男は商人が天秤棒を担ぐ姿から半身の姿勢は農民に限らず日本人にとって最も自然で基本的な労働姿勢であったとしている。

 ただし、近代以前の日本人の歩行方法について厳密な確証が得られているわけではない。


 隼人は額の汗を拭うために手を止めた。

 ふと顔を上げると、そこには二人の女が居た。

 一人は澄香。もう一人は早紀だった。

 二人の存在には気がついていたが、邪魔をして欲しくなかったので、無視をしていたのだ。

 だが、それも相手側が痺れを切らしたようだ。

 澄香は歩み出る。

「おい。貴様!」 

 呼びかけられ、隼人は顔を向ける。

 澄香は鋭い目付きで、隼人を睨み付けていた。

 鋭い眼だ。

 眼の奥がひかっていた。暗闇の中であっても、その双眸が見えるのではないかと思う程の鋭いそれだ。

 蒼い光を宿した瞳。

 その視線に隼人は射抜かれた。

 地に立てていた鍬が、何の前触れもなく倒れる。

 澄香はその音を聞いて、ハッとなる。

 隼人の眼を見て、自分が何かに魅入られたような感覚に陥ったことに気がついた。

 彼女は頭を振って、我を取り戻す。

 そして、隼人に言った。

 それは問いというより詰問に近い口調であった。

「《なにがし流》。いみな隼人だな」

 隼人は黙ったまま答えない。

 澄香はさらに言う。

 彼女の言葉は止まらない。

「答えろ!」

 澄香は、隼人に向かって叫んだ。

 その声は気合に近く、近くにいた早紀は心臓が止まりそうになった。

 だが、澄香は気にしない。

 隼人だけを睨めつける。

 澄香の視線に気圧されながらも、隼人は答える。

「違うな」

 否定の言葉に、澄香は眉間にシワを寄せた。

 しらを切っている。

 嘘をついているようには見えない。

 しかし、彼女は確信していた。

 目の前にいる少年が《なにがし流》であるということを。

 澄香は一歩前に出る。

 その目はさらに鋭くなる。

 そして、口を開いた。

「諱隼人ではないのか?」

 訊かれたので、隼人はあっさり答える。

「それは認める」

 澄香は目を細める。

やはりそうか、と思った。

 だが、なぜ隼人が否定したのか分からなかった。

「一つ言っておく。俺は《なにがし流》じゃねえ。《なにがし》だ。もっとも、人が勝手に言い始めたことだがな」

 言い切る隼人に、澄香は思い出す。

 それは《流》という名が無いことだ。

 剣の流派に限らず、日本におけるありとあらゆる武術には、例外なく《流》という名前が付けられている。

 その理論で、澄香は聞いてはいたが《なにがし流》と言ってしまったのは、条件反射的なものだった。

 隼人は澄香をじっと見つめる。

 その表情からは何を考えているのか読み取れない。

 沈黙が流れる。

 先に口を開いたのは、澄香の方だった。

「ならば、もう一度問う。《なにがし》の諱隼人とは貴様のことか?」

 問に隼人は答える。

「……そうだ。それがどうかしたか?」

 彼の声は小さかった。

 だが、澄香には聞こえていた。

 彼女は、隼人の言葉を耳にする。

 そして、彼女は言った。

「私は、風花澄香だ。私と立ち合え」

 澄香はそう言い放った。

 その眼は、挑むように真っ直ぐに隼人を見つめる。

 一方、隼人は表情を変えることなく聞いている。

 突然の対戦の申し出。

 早紀は驚いていた。

 なぜ、こんなことを?

 どうして、いきなり戦いになるのか。

 早紀は困惑していた。

 しかし、澄香は真剣だった。

 隼人がどう思っているのか分からないが、自分としては戦うしかないと思っている。

 澄香は、ラクロスケースから刀を取り出す。

「抜け」

 澄香は隼人に促す。

 隼人は畑の隅にあった上着と黒布に包の側まで行くが、それを担いで澄香の側を通り抜ける。

 澄香は隼人の背中に問う。

「臆したか。何故、刀を取らない!」

 隼人は答えなかった。

 代わりに、振り返って口を開く。

「……俺は、女を斬らねえ。だから、刀を抜かないだけだ」

 それだけを言うと、隼人は再び背を向けた。

 澄香は、怒りを感じた。

「ふざけるな!」

 この男、どこまで自分を馬鹿にすれば気が済むのか。

 彼女は、鞘から刃を引き抜く。

 早紀は、慌てて止めに入るよりも、状況に萎縮し動くこともできなかった。

 すると、隼人は刀を包んだ黒布を投げ放った。

「な!」

 澄香は驚きの声を上げた。

 放り投げられた黒布が宙を舞う。それは武器の放棄を意味していた。

 そして、隼人は言った。

「お前、甘いな。武器を持たない相手が斬れないなんてな」

 隼人は、地面に落ちた黒布を拾い上げながら澄香の方を見る。

 澄香の顔は、驚愕に染まっていた。

 隼人は言う。

「さっきも言ったように、俺は女は斬らねえ。もし、俺を斬るというなら、俺は今のように刀を捨てるだけだ」

 澄香は、唇を強く噛む。

 隼人は、そんな彼女の様子を横目に見つつ、背を向けると、その場から去っていった。

 早紀は、去っていく隼人の姿を見ながら、どうして良いのか分からないでいたが、澄香に一礼をすると、隼人の跡を追いかけていた。

 刀を手にした澄香が、一人残され言いようの無い屈辱感を感じていた。

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