第11話 少女の殺気
学生が自転車で通学し、サラリーマンが電車で出勤する時間帯の早朝。
だが、そのラッシュアワーは終息に至っていた。
それはつまり、始業時間が近づいているということだ。
隼人は、黒布に包んだ刀と脇差を背に担いで走っていたが、腕時計を見て走るのを止める。
それは、徒歩であっても充分に学校に間に合う時間だったからだ。
「始末屋の手を借りなくて正解だったな」
隼人は、今朝のことを思い出して呟く。
《鎧》の三人組剣士を全員を斬ろうと思えば斬ることはできた。
しかし、それでは死体を始末しなければならない。
だから、一対三の状況でも、あえて手を出さなかったのだ。
始末屋とは、その名の通り様々なものを始末してくれる者たちである。
リサイクルに困った家電製品から、人間の死体までジャンルの幅は広い。緊急性を求めれば連絡一つで携帯電話の発信場所を逆探知し、警察や消防に匹敵するレスポンスタイムで現場に到着。
状況によっては道路工事を偽装し現場を封鎖。あるいはインフラを一時的に凍結させて外部からの干渉をシャットアウトする。
そして、彼らは迅速に依頼された仕事を遂行するのだ。
隼人がこの世界で最も世話になった裏稼業者であり、今もなお、お得意様として関係が続いている。
死体なき殺人事件の立証は、難しい。
死体がないと一番困るのは、死んだことが立証できないことだ。死体がないと自ら失踪したということもありえる。
次に問題になるのが殺害方法。被疑者が死に関与したとしても、殺意があったどうかは分からない。
もし、仮に被害者が死亡したとき犯人が近くにいて目撃していれば、目撃者の証言だけで殺人が確定することだってあるだろう。
だが、どんな場合でも必ず証拠が必要になる。
ならば、証言もなく、死体もなければ殺人そのものを立証できないという理論になる。
その為、始末屋の仕事は徹底的だ。
現場にある血液は、医療現場で使用される血液洗浄剤を使用し痕跡を消去する。アルカリ剤で血液のアミノ酸結合を分解切除し、酵素・プロテアーゼによってタンパク質のペプチド結合を切り、分子量の低い化合物に変える。
その間に死体を積み込み、現場から撤去し完全に死体を始末するのだ。
始末された死体が最終的にどのように始末されるかは、隼人は知らない。臓器売買のブローカーに払い下げられるとも、動物園のエサになるとも、肉屋の棚に並ぶとも、火葬場の燃料が二人分になっているとも噂されている。
隼人にとって大事なことは、死体が発見されないことだけなのだ。
死体さえ発見されなければ、後はどうでもいいこと。
今回の場合だと、数胴に仲間に死体の始末をみさせた。
だから、わざわざ始末屋を呼ぶ必要はなかった。
そんなことを考えながら、隼人は緩やかな勾配のある坂を登っていく。
校門が見えた。
「ん?」
隼人は、いつも校門前に居る体育教師の姿がないことに疑問を感じた。
入学時には、隼人が刀を所持していることに驚いていたが、刀というのは銃砲刀剣類登録証があれば、例え学生でも持ち歩けること。
隼人が真剣で物を斬る武道・抜刀道しているという、正当な理由があることを伝えた。
それでも教師が納得できないでいるので、隼人は弁護士に連絡をするという一幕があり、学校側としても対応せざるを得ない状況になった。
そのおかげで、入学式に入れなかったことがあったものの、今ではスルーされることになった。
それは、隼人が暴力団組長の息子という、かなりヤバイ生徒だというデマが発生し、学校内に広まってしまったせいもある。
今となっては、登校してくる生徒たちは、隼人の姿を見ても何も反応しない。
今日は校門の前には竹刀をもった生徒会役員の姿があった。
それを見て、隼人は思い出す。
例の体育教師は、数日前から体育の授業中に骨折をし入院していることを。
そのため、代役として副会長である、その男・
崇は、隼人に気づくことなく挨拶をする。
「おはよう」
隼人はその声を聞いて、会釈を返す。
しかし、そのまま通り過ぎようとすると、崇の視線が隼人の背後に移った。
崇の顔が強張る。
隼人が気に入らない様子なのは、一目瞭然であった。
玄関に入ると、始業を知らせるチャイムが鳴る。
教室までは少し時間はかかるが、トイレに行っていたと言い訳すれば良い。
隼人は、そう考えていた。
すると、校門前で一人の女子生徒が、生徒会役員に呼び止められていた。
肩を大きく上下させていることから、走って来たことが窺える。
どうやら、遅刻したらしい。
少女は見知った顔であった。
同じクラスメイトの
セミロングの髪を、レイヤードスタイルにしている幼顔の少女だ。
身長が低いため、クラスの席も最前列に座っている。
生徒会副会長・崇の激が飛んだ。
「何回言えば分かるんだ! 高遠、今週で3回目の遅刻だぞ!」
早紀は、頭を下げながら謝っている。
崇は竹刀でアスファルトを叩くと、衝撃で竹刀の一部が弾けささくれる。
早紀は、ビクッと身体を震わせて怯えた表情を見せた。
そんな早紀に、崇は追い打ちをかけるように言う。
それは、隼人が聞いたこともないような言葉だった。
崇は、眉間にシワを寄せ、怒りの形相で言ったのだ。
まるで、汚物を見るかのような目をしながら……。
そして、吐き捨てるように言う。
それは、あまりにも残酷な一言。
「──死ねよブス」
そう聞こえたのは気のせいではないだろう。
隼人は目を細める。
「ほら。生徒手帳を出せ」
崇は、早紀に向かって怒鳴る。
早紀は学生鞄から、慌てて生徒手帳を取り出すと、崇は強引に奪い取る。
崇は、生徒手帳の中身を確認すると、今日の日付に遅刻の件を書き込む。書き殴っていると言っても良いほど乱暴な字で。
そして、それを早紀に投げて渡す。
「高遠、後ろを向け」
「えっ?」
早紀は、戸惑った顔をする。
崇は、再び竹刀で地面を叩いた。
その音に、びくっと震える早紀。
「三回遅刻した奴は、罰として竹刀による尻叩きの刑だと決まっているんだよ。さあ、早くしろ」
それは、とても理不尽極まりない内容だった。
それは、生徒会長が決めたルールだからという理由があるからだ。
「嫌です……」
早紀は小さな声で反抗する。
崇は、またアスファルトに竹刀を叩きつける。
今度は二回。
そして、もう一度強く叩く。
すると、バチンと音が鳴り響く。
その瞬間、早紀は悲鳴を上げた。
「なら仕方ないな。正面からのスパンキングで我慢するか?」
崇は、竹刀を軽く振るう。
それがどういう意味なのかは、明白だった。
その痛みを想像したのか、早紀の顔が青ざめていく。
それでも、歯を食いしばり、恐怖を押し殺して抵抗している。
崇は竹刀を大きく振りかぶって、早紀の頭を殴打しようとしたが、崇の意思に反しって竹刀は動かなかった。
崇が驚いて後ろを振り返ると、竹刀の先を隼人が掴んでいたからだ。
隼人は、冷たい視線を崇に向ける。
それは、まるで虫ケラでも見るかのように。
崇は、竹刀を振り払おうとするが、隼人の手から逃れることができない。
隼人は、崇が持っている竹刀を投げ飛ばすように引っ張ると、つられて崇も引っ張られた。
崇はバランスを崩しそうになるが、なんとか堪える。
視線を戻すと、早紀の前に隼人が立っていた。
「そこまでにしてやんな。こいつは俺のクラスメイトなんだ」
隼人の言葉に、崇は納得できない様子だ。
「良い度胸じゃねえか
崇の言い分は間違っていない。
だが、それは一般論に過ぎない。
崇は良いことを思いついたのか、他の生徒会役員に竹刀を渡すように言う。二本の竹刀を手にした崇は、一本を隼人に向かって投げる。
隼人は竹刀を受け取った。
「諱。お前、抜刀道をやってるんだってな。俺は剣道をやっていてな、ここは一つ勝負といこうじゃないか」
隼人は無言のままだ。
しかし、それで構わない様子で、崇は勝手に話を進める。
崇は、竹刀を正眼に構える。
「逃げんなよ。俺の竹刀が、どこに行くか分からねえぞ」
その言葉に隼人は、背後に居る早紀を見る。
理解する。
逃げたり引いたりすれば、早紀が殴られることになるのだ。
隼人は、竹刀を正眼に構えた。
隼人は左足を前に出し、竹刀を右脇に抱え込むようにして持つ。
対する崇も、竹刀を正眼に構える。
二人は、お互いを見据えながら間合いを詰めて行く。
崇は隼人の間合いに入った瞬間、素早く竹刀を振るった。
隼人は引く躱すことができない為、竹刀で受け止めた。
重い一撃だ。
受け流すことができず、そのまま押し切られてしまう。
崇は続けて竹刀を振るう。
隼人は後退しながら避けるが、体勢が崩れてしまった。
そこに、崇が踏み込んでくる。
素早い打ち込み。
その攻撃を隼人は、辛うじて防ぐ。
崇の攻撃は止まらない。
何度も隼人に打ち付ける。
それは、まるで嵐のような攻撃。
隼人は、その猛攻を防ぐだけで精一杯だった。
崇が攻めているのに対し、隼人は守勢一方である。
隼人は、竹刀で相手の攻撃を受け止めるが、反撃することができない。
崇は竹刀を振り上げ、隼人の頭上に振り下ろす。
隼人は後ろに下がって避けようとしたが、間に合わない。
竹刀で受けるしかなかった。
崇の竹刀は、隼人の竹刀を叩く。
そこから鍔迫り合いの状態になる。
その瞬間、隼人は背後から真剣で斬られるような感覚を覚えた。
背筋に寒気が走る。
それは一瞬のこと。
そこに向けて、先に仕掛けたのは崇だった。
竹刀だけでなく拳と鍔元を使って崩しにかかる。隼人は、その力によって崩される。
隼人の拳を上から巻き込んで、下ろすように打つ引き面が、隼人の右側頭部に入った。
「!」
早紀は思わず口元を抑えて驚く。
なぜなら、隼人の側頭部から血が頬を伝って流れたからだ。
竹刀は指導という名の下に地を叩き、ささくれ立っていたのだ。その為に皮膚が裂けて血を滴らせた。
「副会長!」
生徒会役員の一人が叫ぶ。
いかに試合形式にしての勝負とは言え、流血は流石にマズイと思ったようだ。
崇は、舌打ちをする。
そして、竹刀を下ろした。
崇が竹刀を下ろしたことで、張り詰めた空気が緩む。
鼻を鳴らして崇は凄む。
「真剣持ってても、大したことねえな」
崇の言葉に対して隼人は、無表情のままだった。
ただ黙って、崇の顔を見る。
「ああ。俺の負けだ」
隼人は竹刀の柄を崇に向けて返却すると、早紀に呼びかける。
「ホームルームが始まっている。教室に行くぞ」
そう言って歩き出す。
早紀は鞄を胸に抱いて隼人の後をついて行く。
崇とすれ違いざまに早紀は立ち止まり、崇に視線を向ける。
そして、睨みつけた。
崇は、その視線を受けて、顔を歪める。
隼人が、早紀に声をかける。
早紀が隼人の方を振り向くと、彼は優しく微笑んでいた。その笑顔を見て、安心したのか、早紀の目に涙が浮かぶ。
それから隼人は、校門の外に目を向けた。
そこに黒いセーラー服に真紅のスカーフを身に着けた少女の姿があった。
ラクロスケースを肩に掛けた少女。
風花澄香であった。
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