第4話『聖王国side:無知は罪』

「まったく、無知とは罪なものだな。王族のもてなし方も知らぬとは」


 この俺、ラムエル・トネール・グランテーレは辺境の山奥にやってきていた。

 勇者の役目として荒ぶる精霊を鎮めるためだ。


 荒ぶると言っても、何十年も昔の大地震を精霊のせいだと決めつけただけの迷信に過ぎない。

 貴族院の老人共を安心させるためとはいえ、王都から十日も離れた地にやってくるとは面倒で仕方がなかった。



 俺は深いため息をつきながら酒をあおる。


「――不味い」


 歓迎の宴とやらに最初から期待はしていなかったが、貢物が全くないときた。

 その上たいした食事もなければ酒も不味い。年寄りばかりで若い女がいない。

 これなら王都で貴族と交流するか、戦場で武功を上げたほうが有意義だ。


 すぐに村の者を退出させ、俺は従者たちを前にため息を漏らす。


「ふん。カビの生えた迷信を守るなど、無駄ではないか? 老人共を満足させるよりも優先することはいくらでもあるだろうに」


 従者たちも一様にうなずく。


「左様にございます、殿下」

「ラムエル殿下は戦場こそが相応しきお方。このような下民の村など『雷霆らいてい』の二つ名が悲しみましょう」


 彼らの言う通りだ。

 ここにいるのは大地の精霊という話だが、ローランあの下民が契約していた話は聞かぬ。どうせ戦闘に使える類の精霊ではあるまい。

 おおかた地震の原因をその精霊そいつのせいにしただけだろう。



 その時、部屋の隅で足音が響いた。


「そのご発言はここだけになさって下さいませ。勇者様に言われてしまわれては、村の皆さんが落ち込んでしまわれます」


「何者だ? 見張りがいただろう?」


 王族の会合の場に無断で入り、あまつさえ俺に意見する。そんな不届き者の顔を見てやろうと、俺は振り返る。

 しかし次の瞬間、俺は我が目を疑った。


「遠いところをお越しくださり、ありがたく存じますわ。……お兄様」


 ……王女ルイーズ・エトワール・グランテーレ。

 我が妹である。

 研究員の衣をまとっており、数瞬後に、こいつが精霊院に入ったことを思い出した。


 精霊院とは聖王国の研究機関の一つ。

 その名の通り精霊研究を行っており、歴代の勇者に仕える役目も持っている。

 精霊院の者が来ているとは聞いていたが、こいつだとは……。


「……ルイーズよ。まさかこんな辺鄙へんぴな地で会うとは思わなんだ。何かの学問に没頭しておると聞き及んでおったが……」


「努力が実を結び、ありがたきことに精霊院の筆頭研究員になりましたの……。ローラン様に尽くせると思い、一心で」


 ルイーズは力なく笑う。と同時に、一筋の涙が流れ落ちた。


「ごっごめんなさい。……ローラン様の訃報を思い出し、つい……」


 その涙を見て思い出し、むかっ腹が立ってきた。

 そうだ。この女、王族でありながら下民のローランに惚れておった。

 王族の自覚を持てぬ愚かな妹よ!


 俺は怒る気持ちを隠し、平静を装うことにする。


「ローランのことは残念であった。勇敢な男であったが、魔王スルトを前にしては何も出来なんだ。俺が次の勇者に選ばれなければ全滅の危機であったよ」


「お兄様……」


「ルイーズよ、もう泣く必要はない。この俺が新たな勇者に選ばれたのだ。世界の平安は約束しよう。村の者たちのためにも、この儀式は滞りなく執り行おうぞ」


 そう言いながらも、俺は面倒になっていた。

 ルイーズ自身に政治的な立場はないが、貴族院のジジイ共に可愛がられている。

 こいつの機嫌を損ねれば、あること無いこと触れ回られるとも限らない。

 目の上のたんこぶのようで疎ましかった。



  ◇ ◇ ◇



「……お兄様。これより鎮魂の儀を執り行います。補佐役は僭越せんえつながら私、ルイーズが務めさせていただきます」


 ルイーズの声が洞窟の内部に反響する。


 宴の翌日。

 俺はさっそく儀式に取り掛かるべく、精霊の祭壇があるという洞窟の最奥を訪れていた。

 底冷えするような冷気と共に、唸るような風の音が空間にこだましている。

 ルイーズら精霊院の者たちや案内人の村長は、やけに緊張の面持ちだった。


「精霊様が唸ってございます。……ローラン様の鎮魂の儀式は魔界遠征の随分前でしたので、そろそろ封印が解けかかっているのでしょう」


 ルイーズは神妙な面持ちでしゃべるが、俺は冷めた気分で聞いていた。

 唸り声など、しょせんは洞窟内で反響する空気の音に過ぎぬ。物事を大げさにとらえるのは精霊院の者らの悪い癖だ。

 そんな思いを知らぬルイーズは、俺に屈託のない笑顔を向けた。


「ですが、お兄様がいらっしゃれば安心です! ローラン様の親友ですし、精霊様も安心なされることでしょう。ここに御座おわす精霊様はローラン様が大好きでしたもの!」


 ……気に食わぬ物言いだ。

 その言い方ではローランあの下民が認められているから、俺も認められるとでも言いたげではないか。


「ふん。御託はいらぬ。俺は多忙ゆえ、さっさと終わらすぞ」


 俺はルイーズを無視し、眼前の祭壇に視線を向けた。


 ――巨岩。

 大地の精霊を封じているとされる、目も眩むほどに巨大な一枚岩だった。

 うむ。これほどの大岩であれば王城の石垣にちょうどいい。いずれは運び出すのも一興、と俺は大いに満足する。



 さっそく聖剣を鞘から抜くと、その刃に左指を押し当てた。

 指先を切り、滴る血で手のひらに魔道文字を描く。そしてその手で聖剣を握りしめる。

 この血が精霊との通話料というわけだ。

 神官たちの祈りの言葉がつつがなく唱えられ、俺も定められている契約の言葉を口にする。


 ここに封印されている精霊は、その名を『巨巌の太母ティタニス』。

 なんでも豊穣を司る大地神で、我がグランテーレ聖王国の穀物庫たる小麦の平原に実りを与えているとかなんとか。

 大げさなのにもほどがある。

 土の豊かさを神がかり的なものに結びつけるとは馬鹿らしい。そんなもの気候と植生のおかげに決まっておるのに……。

 俺は無気力なまま、詠唱を続ける。


「鎮め、鎮め、鎮め――。汝の名は巨巌の太母ティタニス。我が精を糧に、汝のつるぎをその鞘に収めよ――」


 その言葉と共に俺も聖剣を鞘に収め、巨岩に触れさせる。

 文献によればこのあと七色の光が灯り、ティタニスの声が聞こえるはず――。


 ……。


 …………。


 ……待てども待てども、何も起こらない。

 光の粒どころか、うんともすんとも言わなかった。



「……あの。精霊は何と言っていますでしょうか?」


 同席している村長が恐る恐る俺の方を覗き込んでくる。

 その無遠慮さに苛立ちが沸き立った。


 俺に軽々しく話しかけるな!

 精霊の声?

 何も聞こえんわ!

 ……叫びたくなる想いをグッと胸に押さえつける。


 慌てるな。

 俺は不慣れなだけだ。

 ……いや、俺は王族。聖剣に認められし者。失敗などするわけがない!


「……ふ、ふん。そこのたいまつの光と紛れて分からなかったのであろう。儀式は正しく終わっておるぞ」


 しかし水を差してきたのは妹のルイーズだ。神妙な面持ちで首を横に振る。


「いえ。ローラン様による儀式では、七色の光が静かに灯りましたわ。さすがにたいまつの光の中でも判別は容易なはず……」


「…………」


「……お兄様。聖剣に何か不調でもあるのでしょうか? 差し支えなければ拝見させていただきたく……」


 ルイーズは俺の方に手を伸ばす。

 俺はその手をとっさに叩き落とした。


「無礼であろう! 勇者以外の者が聖剣に触れるな、馬鹿者が!」


 俺は大きく鼻息を吐き出し、ルイーズをにらみつける。

 その時、脳裏には一つの記憶がよみがえっていた。


 ――俺は聖女エヴァと結託し、ローランを鐘の音で無力化してから殺害した。

 ――まさか、そこに原因でもあるのか?


 妙な想像が頭をもたげるが、首を振ってそれをかき消す。

 そんなわけがない。

 奴は死に、俺が聖剣に選ばれた。……それだけのことだ。



 俺は不安を吹き飛ばすべく、聖剣を握りしめる。

 おそらく聖剣に与える魔力が足りないのだろう。

 俺は持ち前の雷撃魔法を聖剣にまとわせる。そして、そのまま聖剣を巨岩に押し当てた。


 バチバチッという放電と共に、あたりが眩く照らされる。

 ルイーズは「きゃっ!」という声と共に後ずさり、しりもちをついた。


「ほれ、確かに光ったぞ。俺は王族。下民の勇者と異なる反応が起こるのは当たり前だ」


「……そ、それはお兄様の雷撃の魔法……では?」


「いいや、聖剣による鎮魂の光である。……ルイーズよ。本ばかり読んでいても真理は掴めぬものだ。俺の成すことが真と知れ」


 その言葉と共に周りを見渡せば、もうすでに言い返す者はいなくなっていた。


 聖剣に視線を落とせば、それは相変わらず軽い。

 勇者にしか持ち上げられぬ聖剣なのだから、なにも問題はないはずだ。

 ……と同時に、俺は底知れぬ不安に駆られていた。



 ――無知は罪。


 ラムエル王子はわかっていなかった。

 この行為がいかに恐ろしいものなのかを。

 封印の巨岩は静かに彼を見下ろす。

 その頂上部分でピシリと小さな亀裂が入ったことを、この時は誰も気づいていなかった。



 = = = = = = =

【後書き】

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