第35話



 ニクラスが捕まらない。


 ティアナは、ぼうっとしながら学院の廊下を歩いていた。先日、レンブラント達とのお茶の席で”偽花薬”の話を聞いた事で頭を悩ませていた。それ以前にニクラスからも多少話は聞いてはいたが、そんな大事になっているなんて知らなかった。ニクラスは「まあ全然大した事やないんやけどな」と軽く笑っていたので信じてしまった……。もう一度ニクラスに話を聞こうと思い、モニカ達に街へ探しに何度も出て貰っているが中々見つからずにいる。


「ちょっと宜しいかしら」


「……?」


 不意に呼び止められたティアナが振り返ると、そこには見知らぬ女子生徒が立っていた。肩までのキャラメルを思わせる金色の髪と吊り上がった青い瞳、顔立ちは見るからに我が強そうだ。


「貴女が、ティアナ・アルナルディですの?」


「はい、そうですが……」


 まるで値踏みでもするかの様にして、頭から爪先までゆっくりと見られ、彼女は最後に鼻で笑った。


「なんだ。全然大した事、ありませんわね。ブスじゃない」


 ブスって……流石にそんな堂々と言わなくても。


 いきなり初対面の相手からブス呼ばわりされて、ティアナは苦笑する他ない。これまで直接突っ掛かってくる人間は余り多くはないが皆無という訳ではないので特別驚く事はない。舞踏会の時もそうだった。


「あの、もう宜しいですか」


 彼女が一体何者なのかは知らないが、そろそろ授業も始まるし面倒ごとになる前に早く立ち去りたい。


「あらあら、そんなに私が気になるの?」


 だがそんなティアナの思いとは裏腹に、彼女は全く人の話を聞いてない。


「しょうがないわねぇ、なら教えてあげる。私はヴェローニカ・オランジュ公爵令嬢よ!」


 オランジュ公爵家……その家名にティアナは目を見張る。何故ならオランジュと言えば、エルヴィーラの親族と言う事になる。よく見ると、何処となくエルヴィーラに似ている気もしなくもない。

 それにしても、自分で公爵令嬢と名乗るとは中々癖があり面倒臭そうな人物だ。


人の話も聞いてくれないし……。


「そして、レンブラント・ロートレックの妻となる女ですわ!」


「……」


 ヴェローニカの声が廊下に反響している。ティアナは呆然とし黙って彼女を見ていた。思考が全く追いつかない。


「邪魔だ」


 勝ち誇ったように髪を掻き上げ、高らかに笑うヴェローニカの後方から歩いて来たミハエルが、廊下のど真ん中を占領し道を塞いでいた彼女に打つかった。


「ちょっ、痛いですわ! 貴方、何なさるの⁉︎」


 大袈裟に蹌踉めき痛がり喚くヴェローニカに、ミハエルは無表情で言い放つ。


「道を塞いでいるのが悪い、餓鬼じゃないんだ喚くな。……銀髪、行くぞ」


「え、はい……」


 ミハエルに腕を掴まれ、強引に引っ張られたティアナはそのまま連れて行かれる。かなり強引だが助かった……と内心安堵しながらも振り返ると、ヴェローニカは一人まだ何かを喚き続けていた。










『そして、レンブラント・ロートレックの妻となる女ですわ!』

 

 今朝のあれは一体何なんだったんだろう……。


 昼休みに何時も通り裏庭でお弁当を食べながら朝の出来事を思い出していた。エルヴィーラの身内で、レンブラントの知り合いという事は分かった。ただ、妻になる女とはどういう意味なのか……。


 もしかして、レンブラント様の恋仲……とか。


「食べないのか」


「え……」


「早くしないと昼休み終わるぞ」


 一口齧ったパンをそのまま手に、意識を飛ばしていたティアナを、隣に座っているミハエルが訝しげな表情で見ていた。


「た、食べます! 食べてます!」


 どうやら随分と考え込んでいたらしい。

 ミハエルは疾うに食べ終わったらしく、暇を持て余している様子だ。

 以前ミハエルにお弁当を分けてあげた事があったが、それからというもの彼はたまに昼休みになると裏庭に姿を見せるようになった。その度にお弁当を分けていたら、今度は毎日来るようになったので、ティアナは二人分のお弁当を持参するようになり、今は二人で食べている。


「銀髪」


「?」


「あの女には関わるな」


 ティアナが一生懸命咀嚼していると、ミハエルがボソリとそんな事を言った。

 あの女……多分ヴェローニカの事だろう。ティアナが返答に困っていると「これは、俺からの忠告だ」彼は立ち上がりそれだけ言って去って行ってしまった。

 それにしても何時も思う。


 教室は同じなのだから、先に行かなくても……。









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