第26話




 辺りには、甘く少しスパイスの効いた香りが漂っている。レンブラントは、テーブルの中央に置かれている円形の黄金色の匂いの元を眺めた。


「美味しそうなリンゴが手に入ったので、アップルパイにしてみたんです」


 ティアナがお菓子を作ってくれると約束してくれてから数日後、レンブラントがフレミー家の屋敷を訪れると、彼女は約束した通りレンブラントの為に手作りのアップルパイを用意してくれていた。


「か、形が少し歪になってしまったんですが……味は、大丈夫な筈です」


 落ち着かない様子で、こちらを窺い見る彼女は何時になく緊張している様に見えた。


「良い匂いだ、食べても良い?」


 コクコクと頷く彼女を尻目に、レンブラントは切り分けられたアップルパイにフォークを入れた。一口にして口に運ぶと、瞬間口の中にシナモンの香りが広がる。その後に、リンゴの酸味と甘さを感じた。レンブラントは、アップルパイが特別好物と言う訳ではない。だが今この瞬間、好物になった。


「美味しい」


 お世辞ではなく本当に美味しい。何と表現すればいいのか分からないが、言うならば身体に沁みる……。満たされる感覚を覚えた。


「本当ですか⁉︎ 良かったです」


 ティアナは胸を撫で下ろし、頬を染めながら笑みを浮かべる。


「ティアナ様、一生懸命に練習された甲斐がありましたね。これで私共使用人も、今日からアップルパイ以外の物を食べる事が出来ます」


「モ、モニカ! 余計な事言わないで!」


 後ろで控えていたモニカが新しいお茶を彼女のカップに注ぎながら、冗談めかして言って笑った。それをみてレンブラントは眉を上げた。


「僕の為に、そんなに頑張ってくれたの?」


「レンブラント様からは何時も色んな物を頂いてますので、そのお礼がしたくて……」


 モジモジとしながら顔を真っ赤にして俯く彼女は、ため息が出るくらい可愛い……。そして、平然を装っているが内心歓喜に震えていた。まさか自分の為にそこまでしてくれるなんて予想外だとそこまで考えて、ふとレンブラントは思考が止まる。

 

 だが待てよ。もしかして彼女はミハエル王子の時にも同じ様にしたのか……。


 あの末王子の事を思いながら何度も試作を重ねるティアナを思い浮かべてると、今度は急に無性に腹が立ってくる。眉の間に皺が寄るのを自分でも感じた。


「実はティアナ様、ミハエル殿下の時は全く試作されなかったんですよ」


 タイミング良く、モニカにそんな事を耳打ちをされたレンブラントは一気に上機嫌になった。我ながら単純だと思いつつもアップルパイに次から次へと手を伸ばした、彼女に止められるまで。


「レンブラント様、流石に食べ過ぎでは……大丈夫ですか」


 心配そうに言われた言葉に我に返り中央の皿を見る。直径二十センチ程で八等分にされたアップルパイは、既に残り二切れしかなかった。彼女の皿を見るが食べた形跡はない。という事はレンブラントが六切れも食べた事になる。


「あはは、確かにそうだね、余りに美味しいからつい食べ過ぎちゃったよ」











「で腹を下した訳か」


 昨日の出来事を話すと、ヘンリックは愉快そうに笑った。

 執務が終わり少し雑談をしていたのだが、つい口が滑り昨日の話をしてしまった。すると根掘り葉掘り聞かれ、しつこいので観念したのだが、やはり言わなければ良かったと後悔をした。


「貴方が調子に乗るなんて、珍しいですね」


「腹を下すまでガッツクなんて、相当美味かったんだろうな。俺も食べてみたい」


「ヘンリック、分かってませんね。アップルパイの美味しさは関係ないんですよ」


 横目でこちらを見ながらニヤニヤするテオフィルに、鈍いヘンリックは意味が分からず首を傾げていた。そんな二人の会話は聞こえないフリをしてお茶を啜る。そんな中、クラウディウスが話に割り込んできた。


「レンブラント。お披露目前に一度、ティアナ嬢をお茶に招待したいんだがどうだ?」


「え、ティアナ嬢をかい」


 突然の提案に、レンブラントは悩んだ。クラウディウス、ヘンリックやテオフィルを見る。 

 心が狭いと思われるかも知れないが、正直友人とはいえ余りティアナを他の男の目に触れさせたくない。だが半月後には婚約のお披露目は行う訳で、結局は遅かれ早かれ紹介する事になる。それに彼女は一度クラウディウス達とも会っているのだから今更かも知れない。


「構わないよ。じゃあ、彼女に話してみるね」


 レンブラントは内心ため息を吐きながらも、了承をした。

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