137.立花くんの憂鬱
「……そろそろかな」
夕暮れ時。
ファストフード店の薄いアイスコーヒーを喉に流し込むと、僕――
空調の効いた店内から外へ出ると、夏の訪れを感じさせる生ぬるい風が頬を撫でた。
向かう先は小さな雑居ビルの前――レイちゃん達が演奏の練習をしている貸しスタジオである。
スマートフォンで時刻を確認しながら、僕は練習を終えた彼女がスタジオから出てくるまでの寸暇を、SNSやニュースサイトの閲覧で潰していく。
彼女がバンドを始めてから、こうして練習終わりのお迎えに行くことが、僕の新しいルーティーンとなっていたのである。
夏も近づき日が伸びたとはいえ、女の子を一人で出歩かせるには不安な時間帯だから……というのは建前だ。
僕の本心は……
「神田くん、最近どんどん上手になってるね! 私も負けてられないなー」
「入ったばっかの音虎に言われると複雑だな……まあ、お前の方が上手いのは認めるけどよぉ」
……和気あいあいと楽しそうに神田くんとビルから出てくる彼女の姿に、僕は胸を締め付けられるような感覚を覚えてしまう。
僕は二人に抱いてしまった不穏な感情を表に出さないように、笑顔を作ってから彼女たちに声をかけた。
「レイちゃん、お疲れ様」
「あっ、ユウくん!」
ぱぁっと笑顔を浮かべて僕に駆け寄ってくる彼女の姿に、胸の痛みが和らぐのを感じていると、神田くんとその友達が声をかけてくる。
「あっ、音虎さんのカレシさん! お疲れッス!」
「よっ立花、いつも音虎の出迎えごくろーさん」
「みんなもお疲れ様。なんだか調子いいみたいだね?」
「あー……まあ、な」
「そうなの! ユウくん聞いて聞いて! 今日の練習、神田くんすっごく調子良くて――」
練習明けでハイになっているのか、興奮した様子のレイちゃんを、僕は苦笑しながらなだめすかす。
「あはは、分かった分かった。その話は帰り道で聞くから。それじゃあ、僕たちはこれで」
「おう、気をつけてな……あーっと、立花」
「うん?」
レイちゃんと一緒に帰ろうとする僕の背を、神田くんの声が引き止める。
「毎度、音虎を迎えに来るのも大変じゃないか?このスタジオ、レンタル代は安いけど駅から結構離れてるし」
「ううん、別に山奥って訳じゃないし、大変っていう程でも無いよ?」
「まあ、お前が来れない時は連絡してくれ。俺が音虎を送っていってやるからさ」
「……うん。もしもの時はお願いするね」
……神田くんの言葉に、僕は胸の奥が冷え込むような感覚に襲われる。
彼は親切で言ってくれているだけだ。
それなのに、友達の言葉の裏に何かを感じてしまう……自分の器の小ささに、僕は自己嫌悪を覚えてしまう。
「ちょっと二人とも過保護すぎ! 私もう高校生だよ? そんな幼稚園児みたいな扱いされるのは不服なんですけどっ」
「おー怖っ。じゃあな立花、そこのお嬢様のこと頼んだわ」
「うん。神田くん達も気をつけて」
そんな軽口の応酬を挟みつつ、僕とレイちゃんはその場を後にする。
「――でも、神田くんも言ってたけど、本当にいつもお迎えに来てくれなくても大丈夫だよ? 今は夕方でも明るいし、この辺りはそんなに治安だって悪くないし」
「だーめ。
……そんなものは建前だ。
僕が彼女を迎えに行く理由……僕は、神田くんに嫉妬しているんだ。
「それでね、練習中に神田くんがね――」
僕が知らない時間を、レイちゃんと一緒に過ごすことが出来る彼が嫌で……こうして送り迎えをすることで、レイちゃんと恋人であることを彼にアピールしようとしている。
彼女が神田くんと一緒にバンドを始めると聞いた時、僕はレイちゃんが決めたことなら、と応援した筈なのに……なんて自分勝手なことを考えているのだろう。
自分がこんなにも心の狭い人間だったのかと、我ながら嫌になってしまう。神田くんは大切な友達で、僕たちの交際を祝福してくれているのに……僕は……
「……んっ?」
「あっ……」
気がつけば、僕は胸の内に溜まったモヤモヤを誤魔化すように、隣を歩くレイちゃんの手を握っていた。
「ユウくん?」
「あー、えっと、これは、その……」
僕たちは恋人同士なのだ。別に手ぐらい握ってもおかしくはないだろう。
だけど、普段からあまり積極的にスキンシップを取るタイプではなかった僕は、レイちゃんから自分の行いを不思議そうな目で見つめられてしまい、訳もなく動揺してしまった。
「……ふふ、珍しいね? ユウくんの方から触ってきてくれるの」
だけど、彼女はそんな僕の行動に対して、少し恥ずかしそうにしながら微笑んでくれた。
その笑顔があまりにも可愛らしくて、僕は恐らく彼女以上に頬が熱くなっているのを感じながら取り乱してしまう。
「ご、ごめん! その、嫌だったら……」
「もうっ、嫌な訳ないでしょ。このまま帰ろ? ……だって私達、恋人同士なんだもん」
「う、うん……そ、そうだね……」
ニコニコと僕に向かって楽しそうに微笑んでくれるレイちゃん。
自意識過剰かもしれないけれど、その笑顔はやっぱり他の誰かに向けるソレとは違うように見える。
……彼女はちゃんと、僕のことを特別に想ってくれている。
「ふっふふ~ん」
「随分ご機嫌だね?」
「だって私、ユウくんに触られるの好きだもの」
「ぶっ!?」
いきなりとんでもない事を言い出したレイちゃんに、僕が思わず咽ていると、彼女は不服そうに目を細める。
「だって、手を握るのもハグするのも、いつも私からだよね? そこんとこカレシとしてどう考えてるんですか?」
「そ、それは面目ないです……」
「……もしかしたら、ユウくんベタベタするの嫌なのかなって、これでも結構くっつくの我慢してるんだよ?」
「そ、そんなことないよ! 僕だってもっと……」
しょんぼりする彼女の姿に僕が思わず声を上げると、レイちゃんは『待ってました』とばかりにニンマリと意地の悪い笑顔を浮かべる。は、ハメられた……
「もっと?」
「……その、もっとレイちゃんに、触りたい、です……」
「うーん、ちょっと言い方が気持ち悪いから嫌かも」
「き、きもっ……!?」
「ああ、ごめん嘘嘘っ!冗談だから落ち込まないでー!」
レイちゃんとそんな気易いやり取りをする内に、いつの間にか僕は心から蟠りがとけている事に気づいた。
それを齎してくれたのは、紛れもなく彼女の明るい笑顔と心で……
「ん、どうしたのユウくん?」
……やっぱりレイちゃんはすごい。
隣に居てくれるだけで、こんなにも人の心を穏やかにしてくれる。
こんなに凄い女の子の隣に立つなら、僕も立派な男の子にならないと。
「……レイちゃん達のライブ、楽しみだなって」
「うん! まっかせて! 凄いのお見舞いしてあげるからっ」
ウジウジと悩んだり、疑ったり、嫉妬したり。
そんなつまらない男にならないように、僕も頑張らないと。
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