第24話
「えっと、この辺りだよな?」
バス通りから数本奥のブロックにある廃ビルを目指し、歩いているのはヴィグ。サカキに買ってもらったおろしたての子供用スーツを着こなし、キョロキョロと周りを見渡す。さすがにマントをつけて歩くのはどうかと思い、マントと仮面はカバンに入れてきたのだ。
「あれか?」
この辺りは寂れたビルが並んでいる。最盛期を過ぎ、取り残された終わった町のような印象だ。日暮のグラデーションがかった空と相まって、それはとても不気味で、無言の圧のようなものをかもし出している。
ヴィグは恐怖に飲み込まれないよう、自分の頬をパン、と叩き気合を入れた。
(なんたって悪の大結社、ナイトキースの後継者なんだしな)
一応本人はその気だ。
「マント、羽織るか」
そろそろ目的地だ。誰に見られるかもわからないので、マントと仮面をつけ、スタンバイをする。無事にサカキを見つけたら、今回の任務にも参加させてもらいたいな、などと思っていた。
(ま、でも目的は伝言。うん、伝言だ)
サカキの思い人であるクララが誘拐されたのだ。知らせておかばならないだろう。そうしたら今回の爆破計画は延期になるだろうか?
(出来れば任務完了してから告げたいよなぁ。折角準備した計画、おじゃんにしちゃうの可哀想だもんな)
そんなことを考えながら歩いていると、向こうからヘッドライトをつけた車が走ってくるのが見えた。
「サカキたちか?」
一瞬迷ったが、違った場合のことも考え、建物の隙間に身を隠す。通り過ぎる車を見ると、やはりサカキたちではなかった。いかにも怪しそうなトレンチコートの男が一人、タバコをくゆらせながら乗っているのが見える。
「こんなところで、なにを?」
お前もな。
「急ぐか」
ヴィグはするりと隙間から這い出ると、廃ビルの方へと急いだ。
辺りは静寂を保っている。
サカキたちがいる廃ビルはこの辺りのはずだったが、当たり一体廃ビルだらけなのだ。どれが目的地なのか、日暮れの暗さもあり、よくわからなかった。
と、ある廃ビルからぼんやりとした明かりが漏れているのに気付く。
「あれ…か?」
街頭もない中では、薄明かりがあるだけでも目立つ。ヴィグは足音を忍ばせ、明かりが漏れている方へと進んで行った。
「ええ? じゃあ、泳いで川を?」
クララはハルの武勇伝を聞き思わず声を上げる。
「まぁな。そのときにはもう、泳ぐっていう選択肢しかなかったから、仕方なかったんだ」
ハルは自分の話を誰かにこんな風に話すのは初めてだった。クソみたいな人生を生きてきた。自分など、社会のゴミだ。そう思いながら生きてきたのに、目の前の少女は、自分をそんな目では見ていない。一人の、ただの人間として扱ってくれるのだ。
「それからどうなったの?」
好奇心いっぱいの瞳で見つめてくるクララに、ハルは少年のように答える。
「季節が悪かった。川の中にいたときはそう感じなかったんだが、出た途端北風の冷たさに震え上がったね!」
「まぁ!」
「あまりに寒くてさ、また川の中に飛び込んだんだ」
「ええ? どうしてっ?」
「水の中の方が温かかったのさ!」
和やかムードである。
こんなところをボギーに見られたらボコボコに殴られそうだ。相手は人質なのだから。
しかし、ボギーはさっき出掛けて行った。しばらくは戻らないはずだった。
「ハルさんはお話が上手ですね。サカキのおじさまみたい」
クララがクスリと笑う。
「おじさん?」
ハルが聞き返す。
「ああ、肉親ではないのですが、私が小さい頃からずっと私を大切にしてくれるおじさまがいるんです。父の友人で」
「ふぅん」
嬉しそうに話すクララを見て、チクリと胸が痛むハル。
(なんだ、これ?)
「…ねぇ、ハルさん」
急に改まった声で、クララ。
「え? なに?」
ドキッとする、ハル。
「こんなこと言っていいかわからないけど、ハルさん、こんな世界にいちゃ駄目」
じっとハルの目を見て、真剣な顔で告げる。
「私、ハルさんはいい人なんだと思う。ただ、今までそれに気付いてくれる人がいなかっただけなのよ。ハルさんはもっとちゃんと、お日様の下で幸せに生きられる人だわ」
「な、何言ってんだよ、お前、」
動揺を隠せない、ハル。
「そんなっ、そんなこと言って俺を油断させてっ、に、逃げるつもりかっ? 危ねぇ危ねぇ。完全に油断してたぜっ。この道に入ってもうすぐ十年。まさかこんなガキに騙されそうになるなんて、俺もまだまだだなっ!」
拳を握り締める。
「逃げるとかそんなんじゃ、」
「うるせぇ! お前はただの人質なんだから大人しくしてりゃいいんだよっ!」
そう怒鳴ると、ハルはバンッと力任せに扉を閉め、出て行ってしまった。
そんなハルの背中を見て、クララは初めて涙が出た。
(怒らせちゃったんだ……)
『相手はチンピラの部類だ。どんなに誠心誠意、寄り添おうとしたって限界があるし、やるだけ無駄な時もある』
確かそんな愚痴をこぼしていたのは父だった。
『色眼鏡なんかいらないさ。人間は、生まれて死ぬまで、誰だってただの人間だ』
父に向って静かにそう言ったのは…、
「おじさま…、」
クララはぐっと涙をのみ込み、立ち上がった。
(ここから、出なければ)
それがハルを犯罪者にしない唯一の方法だから、である。
クララはまず、窓の下に立ってみた。
どうやらここは半地下。窓は随分高いところにあり、とても手が届くとは思えなかった。
しかし、それ以外、出口などないのだ。
正面の扉を見る。
ハルは戻ってこない。
ゆっくりと近付き、手を掛けた。試しに、押してみると、難なく開く。鍵がかかってない!
音を立てないよう、ゆっくり開ける。ドアの向こうを見るが、誰もいない。人の気配もなかった。
(ハルさん、どこに行ったんだろう?)
クララは忍び足で廊下に出るとハルの姿を探した。しかし、見える範囲に人影はない。
(どうしよう…、)
とにかくここから出なければならない。本当はハルと一緒に出たかったのだが。
(行こう)
クララは覚悟を決めると、この千載一遇のチャンスをものにすべく、薄暗い照明を頼りに歩き出したのだった。
「……行ったか」
そんなクララを物陰からこっそりと見送ったのはハルである。
「上手く逃げてくれよな」
クララを逃がしたと知られれば消されることはわかっていた。だが、ハルはクソみたいな人生において、初めて
『誰かの役に立ちたい』
と思ってしまったのだ。
つい数日前に知り合ったばかりの、ただのガキ相手に。
「俺の命なんか、いくらでもくれてやるさ」
ニヤリ、と笑うその瞳には、強い光が宿っていた。
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