第19話 ブラッド・サック・マーダラーズ 〈6〉



「ッてなわけでェ形勢逆転♪ いい加減テメエはおっ死ね、百鬼おじいちゃん」

 かくして発射された弾丸は――しかし不可視の障壁によって百鬼の額に吸い込まれる前に弾かれた。

「魔術障壁ッ!? 契約印が――こいつ悪魔と契約してやがるっ!?」

「……きひっ、いひひっ、いぃいいひひゃははははははははははははぁッ! どうだ、トロイメライ! 悪魔と契約している限り他の悪魔にはわたしを殺すことができない。そうだろう?」

「くそがっ、どいつだァ!」

 瞬間、蘇芳と組み合っていた男が膨れ上がり、内側からはじけ飛んだ。

 ぶちまけられた血と臓物が瞬時に再構成され、怪獣化していく。

「ハロー、トロイメライ。あたしよ」

 飛び退いてルエの間合いから引いた女が髪をかき上げると、一瞬にして赤色肌に捻じれ角をもつ美貌の女悪魔メルルの姿へと変化した。

「メルルっ、てめえ……よりにもよってこのクソ爺と契約してやがったのかァ!」

「そんな怖い顔しないでよ、らしくない。どう? あたしの今までの顧客のなかでもかなりイイ相手でしょう、彼」

「ほざけっ! 男の趣味が昔っから最悪なんだよテメエはァ」

「あら、あたしは女が好きなの。それに人間など単なる契約の相手にすぎない」

 メルルが目を窄める。怪獣化した護衛の男がより激しく暴れだした。

「さあ、どうする? 小さな天使ちゃんひとり救えないなんて、探偵役としてはダサすぎるんじゃない。人狼さん?」

 くるりと跳ねて怪獣男の肩に飛び移ると、メルルはそいつを操り暴れ始めた。

 蘇芳に狙いを定めて剛腕を打ちつけ、いなされ弾かれれば硬化した爪を繰り出す。いいだけ膨れ上がった赤い死体袋のような外見とは裏腹に小回りもきく。

「させない!」

 疾駆したルエが跳躍し、メルル自身へと激しく切りつける。

「おー、こわい」

 虚空から取り出した鉄扇でもってルエの凶爪による攻撃を防いだメルルが嘲笑う。

 ルエは屈せず、次々と切り込んでいく。

「無駄、無駄。あなたにはわたしを殺せない。それにこいつにはあたし特製の符咒を仕込んであるんだから、そう簡単には止まらないよ?」

 ルエの刺突を躱し、躱しきれない攻撃は死体袋の怪獣を繰って吸収し、蘇芳の立ち回りまでも翻弄しながらメルルは進む。

「キミたち悪魔はどうしてそうやって人間の運命を玩ぶんだ!」

「言うね。あっちのトロイメライにもブーメランが刺さってると思うんだけれど? それに吸血鬼さん、あんただって同じだろう? 高潔なものがこちら側へ落下する瞬間こそが尊いんだって、あんたは身をもって知ったはず。そうでしょ?」

「……うるさい。キミにそれがわかっていたとして、ボクらを貶めることはできない」

「はい、出た。〈わたしはあなたとは違う〉って――そういう差別化を愛というなら、差別と異形化の果てにある怪獣という存在こそ至高の愛の形なのかもしれないな」

「詭弁を……言うなッ」

「ルエ、下がれ!」

 再び跳躍してメルルに切りかかるルエを蘇芳の鋭い声が押しとどめた――が。

 蘇芳に狙いをつけていた怪獣の腕がごぼごぼと激しく脈打ち、幾本もの触手へと分化する。

 暴れまわるそれは手近な距離にいたルエを激しく打ち据えた。

「くぅっ……」

 一度当たってしまえば触手は打撃を無尽蔵に喰らわせてくる。骨肉の砕けるような嫌な音が響く。

 堪らず倒れ込んだルエを触手の群れが絡めとる。

「あははっ、捕まえた! さあ、どうする人狼くん? あんたが下手に動けばこの子に当たっちゃうよん?」

「蘇芳……ボクに構うな、こいつを壊せっ」

 ルエの体を捕らえた触手にぎゅるりと力が込められる。ルエが思わず苦鳴を漏らした。

「がっ……く、あっ……」

「ルエ!」

 蘇芳は動けない。

 テトラを助けなければならない。かといってルエを失っては元も子もない。

 だが、現状では眼前の怪獣を殺し切ることはできない。そして悪魔であるトロイメライにはメルルと契約中の百鬼を殺すことができない。一見して八方塞がりだ。

 しかし――

「蘇芳!」

 トロイメライも同じ結論に達したらしい。一瞬先というのが憎たらしいが、構ってはいられない。視線を交わし、一瞬にして互いの相手と位置を入れ替える。すなわち。

「メルルゥ、テメエの相手はおれだよ」

「百鬼よ。半獣の俺が相手ならば話は別だろう?」

 相性が悪いのなら、相手を入れ替えればいいのだ。悪魔には悪魔の契約相手を殺せない。先ほどのトロイメライの言葉が引っかかっていたが、ようやくわかった。

「さあ、悪あがきはなしだぜ。爺さん」

 テトラの檻の方へと這って逃げる百鬼はさらに腕や足に銃弾を受け、なおも動いていた。トロイメライの仕業だろうが、やはり殺し切ることができなかったらしい。間違いなくメルルとの契約によって存命の加護を受けている。百鬼がまだ魂を持ち、今なお生存しているということは未成立の契約があるか、願いを残しているのだ。

「……ぐ、ぎゅっ! き、貴様……ぁっ」

 蘇芳は思いきり百鬼の背中を踏みつけた。

「百鬼。メルルに願え。すべての願い事を放棄すると言え」

「蘇芳チャン! さっすがァ冴えてるゥ」

 メルル&死体袋怪獣とやりあっていたトロイメライが口笛を吹く。

 〈願いの放棄〉を願えば悪魔メルルは契約の成就をもって契約相手の魂を抜き去り、地獄へと導かねばならない。

 百鬼とメルル、すべてを片付けるにはこの方法に賭けるしかない。

「さもなくば俺は考えられるすべての苦痛をお前に与えてやる。指を一本ずつ撃たれたいか? それとも使い道も定かじゃねぇその腐れマラが先か?」

 ずるずると床を這う百鬼がテトラの檻の格子を掴んだ。

 テトラは怯えを隠し、強い視線で百鬼を睨み返した。

「もう終わりだよ。諦めて、手を引いて」

「人造……天使よ……ああ……わかった。わたしの最後の願いを言おう……メルル!」

「あっちゃ~、ここまでか。わかったわ。さあ百鬼、言っておしまいなさいな」

 怪獣の肩に立ったメルルが視線で応えた。

 蘇芳は百鬼の後頭部にきつく銃口を突き付けている。

「わたしは、わたしの願いは……すべて……わたしのすべてをこの天使と融合することだ!」

「てめえ! なにをっ」

「――確かに承った」

 メルルが腕をゆったりと振り下ろして会釈する。

 刹那にして百鬼とテトラを中心に契約印が浮かび上がる。

 百鬼の哄笑が響く。

「いやッ、こんなの……いやだよっ、蘇芳お兄さん……助けて……!」

 頭を振るうテトラに蘇芳は必死に手を伸ばす。

 見えない力が膨れ上がり、百鬼とテトラを包み込みながら外界と断絶させていく。それでも蘇芳は手を伸ばした。伸ばした腕が焼け爛れていくのがわかる。だが、構うものか。

「テトラ!」

「蘇芳……っ」

 指先が僅かに触れた瞬間、テトラの体が体内からばちんとはじけ飛んだ。その血肉が同様にして爆ぜたように見えた百鬼の骨肉と混ざり合う。

 契約印が領域を拡大し、蘇芳は円外へと弾き飛ばされる。

「テトラ――ッ!」

 呼ばわりに反応する存在はもうなかった。

 檻は破壊されていた。

 みぢみぢという気色の悪い音が響き渡り、巨大な肉塊が形状を変えながら形成されていく。受精した細胞が変化していく過程を辿るように血肉は分裂し、胎児の様相を呈していく。

 急速に分裂を繰り返し成長していくそれは、翼を生やした歪で巨大な両性具有の女の姿になりつつあった。

「さて、と。あたしはそろそろお役御免ね」

 死体袋怪獣の肩に立っていたメルルの赤い肌がどろりと溶けていく。

「願いは三つ叶えちゃったから、百鬼の魂を地獄に持ち帰らないと」

 足元からも腐敗が進み、赤い血霞を挙げながら女の姿が崩れていった。

 最後に残った首が喋った。

「それじゃ、一足先に故郷に戻ってるよ、トロイ。あんたたちがそいつを相手にどう立ち回るのか見届けたかっ」

「もう黙れ」

 トロイメライがメルルの頭部を打ち抜く。爆ぜた首はそのままどろりと地面に落ちてとろけた。赤い腐肉の蟠りの中に黒い悪魔の角だけを残し、受肉したメルルの肉体はすべて失われた。 

 彼女は契約相手・百鬼の魂を地獄へ導くべく彼岸に還ったのだ。

「去り際まで胸糞わりぃ女ァ」

 メルルが操っていた死体袋怪獣が足から崩れおち、触手から解放されたルエが咳き込みながら身を起こす。

 ルエはすぐさま凶爪を死体袋の胸に打ち込み、メルルの符咒を破壊した。怪獣の動きが完全に止まった。

 しかし、格納庫内には既に濃い血臭が満ち満ちている。

「……ひどい血の匂いだ。ボクでも酔ってしまいそうだヨ」

 契約印の中央。

 巨大な白い腐肉から成る天使が胎児の姿勢より身を起こそうとしている。

 テトラと一つになる――。

 百鬼の願いが今叶えられようとしていた。

 それは〈崩壊〉寸前のテトラの肉体と、既に怪獣細胞により異形化を起こしていた百鬼の肉体の融合。いわば両者が残せないはずの死せる子孫をこの世に顕現させる形で実現された。

 怪獣細胞を既に取り込み過ぎる形でなされた融合は、〈崩壊〉による小規模の奈落禍を引き起こし、異次元から異形の怪獣〈天使〉を召喚するに至ったのだ。

「くそがっ! ぜんぶ間に合わなかったってのか……お前はもういないのかよ、テトラ!」

 蘇芳が叫ぶ先では背を反らした天使が羽根を広げようとしていた。

「ちっ、やばすぎだろォが。こんなのが市街地に行ったらどんな災害になるかわからんぜェ」

「ボクらで決着をつけるしかないネ。トロイは対怪獣結界を!」

「もうやってるしィ!」

 魔力を開放して自分の魔術領域を怪獣の放つエネルギーと中和させ、活動範囲を最小限に抑え込む。悪魔であるトロイメライにしかできない芸当だ。

「ボクが奴の気を引く。……蘇芳は」

「わかっている。もう後には戻れない」

 蘇芳はルヒコに貰った拳銃を取り出し、撃鉄を起こした。

 かつてルエがダリアから託され、要が輝に引導を渡した銃が、今は蘇芳の手にわたっている。

「……俺があいつを解放する。もう一人で泣かなくていいようにする」

 蘇芳がテトラに向ける視線は揺るぎのないものだった。

「キミは昔からそうだった。ボクらがついている」

 だから恐れるな、そう告げるとルエは護衛が保持していた対怪獣用PDWを構えて天使の間合いに入った。

 ぞるん、と粘液に塗れた〈天使〉が前のめりに倒れる。

 ぱたたたた、とルエが銃を掃射して気を引く方へ〈天使〉が進み始めた。

 一歩這って邨木やその護衛たちを踏み潰すたびに瘴気をばら撒き、死体どもが異形化する。異形化した死体はしかし生存するための器官を持ち合わせてはおらず、すぐに息絶えてゆく。

 間違いない。あれは小規模な奈落禍だ。〈天使〉は歩くたびに奈落をばら撒いているのだ。触れたら最後、誰でも異形化してしまう――。あれはもう厄災だ。

 ルエは何とかやっているがそれも長くはもたないだろう。ここまで至る前にダメージを負いすぎている。吸血鬼とはいえ限界はある。体中の細胞が悲鳴を上げているに違いない。

 おそらくトロイメライだって相当の魔力を使って結界を張っている。現世にあって契約外の領域にまでも自身の力を及ばせるには並大抵の悪魔では不可能なことだ。これ以上を求めるのなら彼と契約をしなければそのリソースを引き出せないだろう。

 ――テトラ。

 よろしくねと言って笑った顔。眠る横顔。案外大食いなところ。幼い相貌に少し大人びた表情。お兄さんと呼ぶ声。透明な歌声。泣くと大きな涙の粒を零すところ。都合の悪そうな様子。好きだと気持ちを口にしたとき。そしてやはりいくつもの笑顔。最初と、そして最後に触れた指先。

 その、すべてを。

 すべてを俺は愛している。

 ルエの誘導にしたがって格納庫の中央部まで進んだ〈天使〉が照明に目を眩ませ、一瞬動きを止める。

 ルエが、トロイメライがこちらを視た。

 今しかない。

「……もう眠れ、テトラ」

 永劫に。

 蘇芳は〈天使〉に向けて引き金を引いた。無慈悲なまでに正確に全弾を命中させる。

 虚を衝かれたように動きを止めていた〈天使〉が悲鳴を上げた。

 建物全体が激しく揺れる。

 きゅおおおおおおおおおおおおおおおおっ――という叫び声が尽きると、蘇芳の方へと怪獣の巨体が雪崩れ込んでくる。

 己の奈落禍エネルギーを制御できなくなった〈天使〉の最後のあがきだった。

「蘇芳っ」

「だめだ、ルエ! 〈崩壊〉に巻き込まれる!」

 なんとかルエを押しとどめるトロイメライと目が合う。蘇芳はこれでいいと頷いてみせた。トロイメライがひどく悔し気な顔をして吐き出しかけた言葉を飲み込む。

 傾れ込む肉の異形が両者を隔てた。




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