第31話 元婚約者からの電話

「……なにか、私に?」

 石堂と目があったから、ぎこちない笑みを浮かべて尋ねる。


「明日はもう一度中洲に入り、今度はご神体を確認しようと思っていました。その後、もし可能なら、布士さんの伯母さんに話を伺いたい」

「は……い」


 中洲に行くのは気が進まないが、すでにその予定は石堂から聞かされていた。

 お金のため、お金のため、と翠は言い聞かせながら返事をした。


「ですが」

 石堂は盛大に顔をしかめた。


「弟が……。明日、婚約者を自分の友人や取引先に披露する内輪の会を開くんです。当初、欠席の連絡をしていたのですが……。そこに一緒に行ってもらえませんか?」


 グラスを唇に当てたまま、翠は動きを止めた。

 黒瑪瑙くろめのうのような、つるんとした瞳がまっすぐに自分を見ている。


「えー……、っと、私が、ですか」

 確認すると、石堂は深くため息を吐いた。


「嬉しいことに、弟は布士さんの体質的なことに気づいていない。わたしがもうすぐ死ぬと思っているし、あなたのことを恋人だと信じ切っている」


「それは……、よかったですね」

 おずおずと頷いた。


 そういえば、そんな設定だったな、と思い出す。

 もし、翠自身の力に気づかれたら、「兄が死ぬ」という決定事項を覆されないように、妨害されるのではないか、と石堂は気にしてくれていた。


 なので、周囲には翠のことを「恋人」と説明しているらしい。


「弟は、父の後を継ぐ正式な人物です。ですが、わたしが生きている間は、堂々と後継者を名乗れない。なので、このたび、婚約者を迎えたわけですが、大々的に次期社長と社長夫人のお披露目とはいかないわけです」


 でしょうねぇ、と翠は曖昧に頷くが、内心では、変な家だと思っている。

 すべて、尊がもうすぐ死ぬことを前提に話が進んでいるのだから。


「そのことに対して、先方のご家族は大変ご不満なようで……。まあ、わたしが目障めざわりなので、あまり姿を見せてくれるな、と。なので婚約披露の場も、結婚式も辞退していたのですが……」


「ちょっとそれはないんじゃないですか?」


 言葉を遮る。さすがに剣呑けんのんな声が出た。どういうつもりだ、それは。


「そう思うでしょう? 悠里くんも」

 ふん、と鼻息荒く迫ると、悠里は苦笑いしていなした。


「変な家なんだよ、尊のとこ。で? それなのに、急に出席してくれ、って?」

「叔母がな……。わたしが欠席することを隠していたんだが、ついに知ったらしい」


 どこか絶望の色を滲ませて石堂が言う。


「叔母さん、って。長良さんの奥さん?」


 悠里が空に指を彷徨さまよわせた。たぶん、彼にしか見えない家系図がそこにあるのだろう。


「自分の弟が結婚するのに、顔を出さないでどうする、と」

「そりゃそうですよ。堂々と出て行けばいいんですよ、副社長!」


 勢いよく首を縦に振り、同意する。


「………………ついでに、最近、噂になっている恋人とやらを連れてこい、と。叔母が」


 石堂は機能停止したのかと思うほどの長い沈黙の後、ぼそりとそう言った。

 そして向きを変え、翠と相対する。


「申し訳ないが、一緒に同行してほしい。もちろん、これに対しても給料を支払いますので」

「いや、あの……。それは問題ないんですが、そんな席に、どんな服を着ればいいんです?」


 翠は狼狽ろうばいした。

 スーツケースの中にはいくつかフォーマルでもいける服も入れてきたが、そんな結婚式に準じるような服はさすがに持って来ていない。


 しかも、嘘とはいえ副社長の恋人だ。変な格好をしていけば、彼の沽券こけんにかかわる。


「一度自宅に戻って、なにか……」

「衣装やアクセサリー、ヘアメイクについては、当日ホテルの一室を押さえているから大丈夫です。そちらで着替えてください」


「……え。買取かいとり……ですか?」


 おそるおそる尋ねる。それでは、給料をもらってもすぐペイしなければ回らない。


「とんでもない。こちらが無理を言っているんです。すべて準備させていただきます」

「準備、って……」


 困惑しながら悠里を見た。彼は愉快そうに笑い、腕を組む。


「いいんじゃない? だって今更さ、尊の家格に合う服とかアクセとか、お姉さん、用意する時間ないっしょ。任せちゃえば? それよかさ」


 びしり、と人差し指を立てて、石堂と翠を交互に見る。


「呼び方! それ、変えた方がいいよ!」

「「え」」


 ふたりして首を傾げて見せると、信じられないとばかりに悠里は目を丸くした。


「どこの世界に、『布士さん』『副社長』って呼びあってる恋人がいるのさ! 変だし、完全に業務だよ、それ!」

 指摘されて顔を見合わせる。


「それも……、そうか」

 石堂が顎をつまんだとき、スマホの振動音した。


「あ? ぼく?」


 きょとんと悠里がテーブル中央のスマホを見るが、こちらは暗転したまま微動だにしていない。


 咄嗟に翠は、自分のスマホを見た。


 テーブルの端。

 そこに、自分のスマホが細かく揺れながら移動している。


「すみません、私だ」


 慌てて手を伸ばすと、石堂が「どうぞ」と促してくれるので、取り上げて立ち上がった。

 テーブルから少し離れ、パネルを見る。


(ん?)


 目を丸くした。


 亮太。

 そこには、元婚約者の名前が表示されている。


 ちらり、と翠は背後を窺った。石堂と悠里はなにか話をしていて、こちらを気にかけている様子はない。


「もしもし、なに。どうしたの」

 タップして耳に当てると、途端に怒鳴られた。


「どうしたじゃないよ! 既読になったと思ったら全然返事くれないし! 大丈夫なのか⁉」


 あまりの大声に、翠はスマホから耳を離して苦笑した。


「ごめんごめん。忙しくて返事できなくて……」

 そういえば、LINEをくれていたのを思い出す。

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