戦禍の光と解放の剣

@hassan6

プロローグ

第1話 天に導かれて


 この世界には二つの種族がいる。


 天の神を信仰する 天族 と、魔の神を信仰する 魔族 。




 天族はその膨大な知識を、魔族はその強大な魔力を、それぞれ駆使して文明を共に作り上げたのだ。


 例に挙げるなら、魔物は動物に魔族が魔力を与えることによって生み出され、魔法は天族が呪文を作り出したことによって、より効率的に魔力を放出する術として発達した。


 それぞれが人間社会を形成する要素の一つとして、徐々に馴染んでいった。

 

 

 


 そうして人々は生きることの喜びを享受し、互いに支えあいながら暮らしていた。







 しかし、そんな平和な時代は、今では過去の物となってしまっていた。














 ◇      ◇



 ドカン!

 




 大砲のような音が、森の中に響き渡った。


 何かが山に衝突したのか、大地が揺れる。




「え、えぇ? 何だろう今の……」



 そう呟いたのは、この山__ベンブルク山の丸太小屋に住む少女、イスカル。彼女は今日も食料にするための山菜を採るため、竹で編まれた籠を片手に辺りの森をくまなく探索していた。


 辺りも暗くなり、そろそろ家に帰ろうとしていた矢先に突如として、普段は静かな森に大きな音と共に衝撃が走ったのだ。彼女の人生において初めてのことだった。



「あっちの方から聞こえたよね……」



 彼女は物心ついたころから祖母イラスカと山小屋で暮らしていた。この山の外の世界のことは、祖母から話こそ聞いたことがあったが、実際に見たことは無かった。


 そんな彼女にとって、世界のほとんどのことが非日常なのだ。



「ちょっと 見に行ってみよう」



 だから彼女は、迷いもせずに音の発生源の方へと向かったのだった。




「何があるんだろう……」





 ワクワクが抑えきれずに自然と笑みが浮かんでいる。足取りも軽やかになり、彼女の視界には目の前しか見えていないようだ。それでも躓いたり木にぶつかったりはしない。




 そうして暫くの後に、とうとう彼女は目的地へとたどり着いた。周辺の木は倒壊し、少しだけだが砂埃が未だ立っていた。やはり、何かが落ちて来たんだろうかと目を凝らす。





「え…………」




 目の前の光景に、彼女は思わず握っていた竹籠を落としてしまった。その際に採った山菜が零れてしまっていたが、そんなことは彼女にとってどうでも良かった。





「ひ……人だ……」




 彼女は祖母以外の人を見たことが無かった。世界にはたくさんの人間が住んでいるという話は聞いたことがあったが、彼女にとってはにわかに信じがたかった。


 しかし、今、彼女の目の前には人がいた。周りの地面が所々抉れて、木は倒れ根は露出している。




 しかしそんな惨状の中、血の一滴も流していない少年が、錆びた剣を片手に地面に臥して倒れこんでいたのだった。

 逆立った橙色の髪に、目立つ青紫のヘッドバンドが巻かれていた。


 彼女にとってその全てが初めて見るものだった。倒れこんでいる者の性別が男であるということでさえ、彼女には分からなかった。





「助けなきゃ…………!!」




 それでも気づけば彼女は彼の下へと駆け寄っていた。何者かも分からないというのに、一目散だった。まるで、何かの衝動に駆られたかのように、それが使命だったかのように。

















 ◇    ◇





「どこだ、ここ」



 ふと目が覚めて、ゆっくりとベッドから体を起こし、辺りを見回す。



「あれ? 僕、何してたんだっけ……?」



 意識が覚醒するにつれて、今までのことを思い出そうとする。


 しかし、頭に浮かぶのは疑問ばかりだ。


 ここは何処なのか、どうして眠っていたのか、部屋に漂う不思議な匂いは何なのか、昨日の夕飯は何だったのか……



「あれ、僕って何だ……?」



 終いには自分の正体さえ思い出せない。自分が今着ている服にも違和感が湧いてくる。


 自分のことが


 得体のしれない自分という存在に恐怖心が煽られ、冷や汗が頬に垂れて動悸が止まらない。



「僕は……誰だ…??何なんだ!?」



 僕の周りには見覚えのないものばかりだ。この部屋は何なのか、今いるベッドは誰の物なのか、何のために自分がここに居るのか。

 そして、何のために自分が存在しているのか。この世界は何なのか………




 





 そんな僕の葛藤を打ち破ったのは、この部屋の扉の開く音だった。




「お…起きてる……!」


 

 

 扉の向こうからこちらを恐る恐る覗いている影が見えた。自分以外に人がいることに安堵したのか、先程まで高鳴っていた鼓動はいつのまにか落ち着いていた。

 しかし、影は一向にして部屋には入って来ず、何やらぶつくさ呟いている様子だった。聞きたいことは山積みであるので、とりあえず声を掛けることにした。

 



「あの~、すみません」


「は、はいぃぃぃぃぃ!!!!」



 ガツン、という音が部屋に響く。

 僕の声に驚いたのか、その影は扉か何処かに頭をぶつけた様だ。それにしても驚き過ぎじゃないか?声を掛けられただけでそんなに怯えなくてもいいんじゃないかと少し落ち込む。


 


「あの…だ、大丈夫?」


「……うん、大丈夫」


 そう言って頭を片手で押さえながら立ち上がったのは、白色のバンダナが特徴的な青髪の少女だった。

 

 何よりも目を惹かれたのは、青白磁色の瞳。何も思い出せていないが、こんな色の瞳は初めて見たと断言できる。何故かは分からないが、そんな気がする。


 

「ねえねえ」


「……」


「ねえってば」


「え?」



 いつの間にかぼーっとしていたのか、少女の声によって気を取り戻す。ついついその瞳に見入ってしまっていたようだ。気を取り直し、少し頬を掻いて少女の方に体を向ける。




「あのさ、もしかしてアナタって男?」


「え……うん、そうだけど」


 少女から放たれた突拍子もない言葉に体が強張る。流石に自分が男であることは自覚しているが、もしかしたら僕の風貌は男らしくないのかもしれない。しかし、自分の服装は見た感じ男物っぽいし…。

 少し自分の性別にも疑問を感じていると、彼女は目を輝かせて楽しそうに言う。



「初めて見た!聞いてはいたけど、やっぱりなんかごつごつしてる!手のタコも凄い!」


「は、はあ……」



 そう言って彼女はやたら僕の腕や手に触れてくる。ゴツゴツしているとは言っても僕は長袖を着ているし、肌の露出は手以外見当たらない。そんなに感動するほどでもなさそうだと自分でも思う。


「あれ、今『初めて見た』って言った?」


「え?うん、そうだよ」


 彼女はそうあっけらかんと言い放つ。余りにもはっきりと言っているので、嘘ではなさそうだ。

 そもそも男を初めて見たということは、この少女と僕は初対面ということなのだろう。

 一体どういうことなのか余計に意味が分からなくなってきた。なんで僕はここで寝てるんだ?


 混乱している僕を他所に、彼女は興味深そうに質問を投げかけてくる。

 

 

「そうだ、アナタ名前は?」


「それは僕が聞きたいんだけど…」


「…どういうこと?アナタの名前でしょ?」


「いや…その、何も覚えてなくて」



 僕は自分の名前さえも思い出せなかった。今腰かけているのが「ベッド」という物であることは分かっているのに、今自分が身に着けているのが「服」であるということも分かっているのに。今の自分の状況が「記憶喪失」であるということも分かるのに。

 

 それなのに自分の住んでいた場所も、昨日の出来事も、自分が何歳なのかも、どんな顔なのかも分からない。

 

 それを聞いて少女は不思議なものでも見たかのように呆然としていた。




「覚えてない?忘れちゃったってこと?」


「何も覚えてない、記憶喪失っぽいんだ」


「キオクソウシツ? そんな言葉、初めて聞いたなぁ」


 良く分からないが、彼女は上機嫌に目を輝かせている。さっきも男を初めて見たと言っていたし、箱入り娘、という奴なのだろうか。もしかしたら記憶喪失の僕よりも知らないことが多いんじゃないだろうか。


 それでも、前後の会話から彼女はその意味をくみ取ったらしく話を続ける。



「アナタはキオクソウシツ…つまり今までのことを忘れちゃってるってことだよね?」


「うん、そういうこと」


「覚えた! でも、名前が分からないんじゃ呼びようがないね」



 彼女は眉間に皺をよせて、うーん、と考えるように唸る。ところが何かを見つけたのか、直ぐに目を見開いて僕の方を指さして言った。



「それ!もしかして名前なんじゃない?」


「それって…どれを指してるの?」


「ほら、首元の襟のとこ、『トレイド』って書いてあるよ!」


「……本当だ」



 彼女に言われて、襟をつまんで視界に入れてみると、確かにそこには妙にお洒落な字体で『tolaydo』と刺繡が施されていた。これが、僕の名前なのだろうか。何だかどこかの地名みたいに見える。

 

 いや、でもわざわざ名前を服に縫い付けたりするのだろうか?そういう文化がもしかしたらあるのかもしれないから何とも言えないけど。

 しかし何の手掛かりもない今、縋れるのはこの刺繡の字だけだ。そう考えて取り敢えずそう名乗ることにした。


「うん、じゃあ僕はトレイドだ。」


「トレイドね!覚えた!」


 そう言って彼女はうんうん頷いている。


 …そういえば僕、この人のこと何にも知らないんだった。自分の名前も判明したので、尋ねてみることにする。


「ところで、君の名前は?」


「私? イスカルだよ、イ・ス・カ・ル!」


「そんなに協調しなくても覚えれるから…」


 妙に念を押して一語一語言い直してくる。記憶喪失だからって物覚えが悪いということではないんだけども。


 とにかく彼女____イスカルの名前も分かったので、そろそろ僕がここに居る理由を知りたい。恐らくこの部屋はイスカルの物であると思うが、初対面であるであろう彼女の部屋にいるのは不自然だ。

 猜疑の意を込めながら彼女に問う。



「それで、どうして僕はここに居るの?多分…初対面だよね?」


「そっか、トレイドは何も覚えてないんだもんね」


「うん、だから教えてもらえるとありがたい…です」


 少し図々しい気がしたので少し控えめな態度でお願いする。

 対するイスカルは、平和そうな顔で答えてくれる。



「なんか凄い大きな音が鳴った後に、この森の中で倒れてたのを見つけて慌ててここまで運んできたんだ」


 ウチに荷台が無かったらどうしようもなかったよ~、とイスカルは苦しい微笑みを浮かべながら言う。しかし、僕にとっては運び方なんてどうでも良かった。


「森の中で?…凄い音?」


「凄い音だったよ!ドカーンって!多分何処からか落ちて来たんじゃないかなぁ?地面に穴空いてたもん」


「え…」



 彼女の返答に言葉が詰まってしまう。ドカーンと地面に穴が開くほどの衝撃を受けたのなら、どうして体のどこにも痛みを感じないのだろうか。それに大した怪我をした痕跡もないし、多分歯も欠けていない。至って普通の健康状態だ。

 

 それに地面に穴が開いていたということは相当な高さから落ちたことになる。まさか魔物でも何でもない僕が空を飛ぶなんてことがあるのだろうか。そんなことの出来る魔法も記憶の中にはない。


 現状を知る度に、さらなる疑問が思い浮かんでくる。得心が付かなくなり、冷や汗が流れるのが分かる。『知る』ということがこんなにも怖いことだなんて、きっと今までも感じたことは無かったのではないだろうか。


 そうやって僕が俯いているのを見て、イスカルは僕がまだ困っていると思ったのか更に教えてくれようとする。

 


「そうだ!、覚えてないってことはここが何処かも分かんないってことだよね?」


「うん、ここはイスカルの家…なんだよね?」


「そうだよ。そしてここはベンブルクっていう山の森の中。この世界の北西に位置してるらしいよ」


「ベンブルク山…やっぱり聞き覚えないな」


 この世界の基本常識は覚えているものかと思ったが、流石に地名を逐一覚えているわけではないらしい。まあ、そもそも以前から知らなかったのかもしれないし。

 しかしそれなら、なんで僕はわざわざ知らない場所にやって来て地面に落ちたりしたのだろうか。

 もしかすると旅人だったりしたかもしれない。でもそれはあくまで仮定の話で、結局自分が何者なのかは分からない。

 頭の中のモヤは晴れず、逆に濃さを増すばかりだ。


 だが、助けてくれたイスカルには感謝しなければならない。彼女がいなければ、僕は何も分からないまま野垂れ死んでいたかもしれない。


「全然分からないままだけど…取り敢えず、助けてくれてありがとう」


「気にしないで、確かに最初は私もびっくりしたけど、久しぶりに誰かと話が出来て楽しいし!」


「そっか、それならよかったよ」



 久しぶり、ということは滅多にこの辺りには人は立ち寄らないのだろうか。そもそもこの家には他に家族はいないのか。いろいろ気にはなる。



「ところで、この家には他に誰が住んでるの?」


「え、私だけだよ。前まではおばあちゃんも一緒だったんだけどね…」


「…ご、ごめん。変なこと聞いて」


「ううん、大丈夫だから」



 何か懐かしむように彼女は言う。…随分と不謹慎なことを聞いてしまった、これも無知の弊害か。


 しかし、当の本人は既に割り切れているのかすぐに笑顔に戻って話を続ける。



「トレイドはこれからどうするの?何にも覚えてないんじゃ自分の家の場所も分からないよね?」


「そうだな…」


 

 イスカルの言う通り、家に帰ろうにも何の手掛かりも僕は持っていないのだ。八方塞がりで、何の展望も持てていない。これから僕がやるべきことなんて、あるのだろうか…。



「取り敢えずは、暫くここにいるといいよ。きっと考えることいっぱいあるよね?」


 そうやって悩んでいると、彼女はこちらを優しく理解するかのように助け舟を出してくれる。

 

 倒れているところを助けてもらった手前、更にこのまま家に居させてもらうのは虫が良い話なように思えるが、だからと言って僕には他に頼れる充ても無いのも事実だ。

 ここはありがたく誘いに乗らさせてもらうしかない。


「うん…それじゃあ暫くお邪魔させてもらってもいいかな?」


「勿論大丈夫!私も一人は退屈だったし、『持ちつ持たれつ』ってやつだね!」



 そう言って彼女は快活な表情で笑う。僕も釣られて口角が上がってしまう。




 何はともあれ、ひとまずはイスカルの家に居させてもらうことになったのだった。






 ◇      ◇



 大砲のような音が山に響き渡った時には既に夕方で、その麓村のベンブルクの人々の殆どは家の中に居て、来たる祭りの祝砲の予行練習か何かだと思い込んで気にも留めていなかった。

 しかしそんな中でも、村の見張りやぐらにいた兵士は一部始終を目撃していたのだった。そしてその兵士から村長へと内密に伝えられることとなる。



「村長、やはりあの飛来物は神の山に衝突したのでは…」


「衝突したとて、儀式の日まで我らがあそこに立ち入ることはできん」


「しかし…もし危険なものが衝突したのなら、儀式にも支障が…」


「……暫くは様子を見るしかあるまい」



 夜更けの村のある一室では、こんな会話が為された。


 そして四日後、結局彼らは念のため調査団を山へと差し向けることにしたのだった…。

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