第2話
そこは、いつも通りの教室。
いつも通りの授業風景。
机から机へと回されるノートの切れ端。
響くチョークの音に隠れるようにして、こっそりとメールを打つ者。
あるいは、真面目にノートを取る者。
あるいは、堂々と居眠りをする者。
ちなみに、先程から黒板を見つめている遠竹瑞貴はどうかというと……真面目に聞くつもりもなく、さぼる度胸もなく何となくノートをとっているような、そんな大半の者の中の1人だったりする。
呪文のような教師の言葉は、すでに耳を通り抜けるだけになっている。
そんな瑞貴が何をしているかといえば……真面目に聞いているフリをして、想像の世界に入り込んでいたりする。
これもまた、いつも通りではあるのだが。
想像する。
例えば、今授業を受けているこの教室に、自分以外誰も居なくなったなら。
例えば、世界に誰一人として居なくなったなら。
シャーペンをくるくると回しながら、瑞貴はそんな事を考える。
別に誰かが嫌いというわけではない。
「あえて言うなら、今いる場所が嫌いなんだよね」
そう、その通りだと瑞貴は思う。
流石に、中学生にもなれば現実も見える。
非日常的な生活なんていうものは、簡単に転がってはいない。
そういうものは転がるべき人のところへ転がるのであって、瑞貴のような「その他」に回ってくることなんてない。
瑞貴達に出来る事なんて精々、想像するくらいだ。
そう、例えば。
「例えば?」
ドクン、と。瑞貴は自分の心臓が跳ねあがる音を聞いた。
いつの間にか声に出ていたのだろうか、と焦る。
自分の想像に、先程から合いの手を入れている誰かが居る。
声のした方、隣の席へと振り向くと……ギイ、と椅子を揺らす少女がそこに居た。
そのとき瑞貴は。
生まれて初めて、一目惚れという感覚を味わった。
「ねえ、続きは?」
真ん中で分けられた銀色のロングヘアと、吊り目気味の青い目。
透き通るような、白い肌。
だが。
その印象を全て塗りつぶすような、赤を少女は身に纏っている。
赤い服。それはドレスにも似た、とても鮮やかな赤い服だった。
胸元のリボンも赤く……だが、羽織った赤いコート……いや、マントのようなものが、やけに目を引く。
全身を赤色に覆われた少女から、瑞貴は目を離せない。
机の上には、投げ出された携帯電話。そう、スマホではない。「携帯電話」だ。
悪趣味にキラキラ光るドクロのストラップを指で弄りながら、その少女はそこに居る。
非現実を体現したかのような少女の姿と、現実的な携帯の組み合わせ。
それは瑞貴の望んだ現実が目の前に現れたような、そんな感覚。
だからこそ、少女から目が離せない。
何故なら、それは。
待ち望んで、しかし諦めていた……その瞬間にも思えたからだ。
少女に目を奪われていた瑞貴は、教室の様子がいつの間にか変わっている事にようやく気付く。
いつの間にか、辺りはしんと静まり返っている。
いや、違う。誰も居なくなっている。
瑞貴と。
瑞貴の隣に座る少女以外には、誰も。
あれだけ騒がしく響いていた車のクラクションも。
校庭に響く笛の音も。何も、聞こえてこない。
まるで、瑞貴の想像した通りになってしまったかのようだ。
そんな、まさか。
救いを求めるように瑞貴が隣の席を見ると、少女は顔を背けていた。
言葉などいらないというかのように肩を震わせながら、少女は。
耐えきれないというかのように……大爆笑、していた。
「いや……え? あれ?」
瑞貴の目の前に広がっていた非現実が、急速に消えていく気がした。
あれ、と瑞貴は現実的な妥協点を探り始める。
ひょっとしてもう放課後で、誰もいなかったとかいうオチだったのだろうか?
青ざめていた顔が、急速に上気していくのが分かる。
終わった。
瑞貴は自分の人生に、終了のお知らせが鳴り響くのが聞こえたような気がした。
「うぁー……なんか死にたい……」
明日から自分の仇名は妄想男になるに違いない、と瑞貴は頭を抱える。
そんな様子を見つめながら、少女はニヤニヤと瑞貴の顔を覗き込んでいて。
少女は心の底から面白くて仕方が無い、といった様子で瑞貴の頬をつつく。
「ミズキってば面白いねー」
「面白い脳しててごめん。なんかもう、時間を巻き戻したい……」
「やー、それは困るよ。折角会えたのに」
「え?」
そういえば、と瑞貴は思う。
少女が着ているのは、瑞貴の学校の制服では無い。
そもそも、少女の顔を瑞貴は知らない。
こんなに綺麗な子なら、絶対に覚えているはずだという確信もあった。
それに冷静に考えれば、おかしい。
いくら放課後だったとしても、静かすぎる。
その事実に気づいて瑞貴は教室を見回すが、自分と少女以外の気配は全くしない。
例えるなら、真夜中の誰も居ない街の静けさ。
そこから、風や遠く響く電車の音、鳥や犬の声をも取り除いたような、そんな不自然な無音。
「あの……」
「ん、何?」
「ここ……教室、だよね?」
「そうだよ? 一年二組の教室」
何を今更、と言いたげな少女の口調に、瑞貴は溜息をつく。
ああ、やっぱり自分の脳が花畑なのか、と考えて頭を抱える瑞貴の肩に、小さな少女の手がのせられる。
「いやあ、私は君のそんなとこ、好きだよ?」
携帯のストラップをクルクルと回転させて、少女はニヤニヤとした笑いを浮かべる。
クルクルと回されていたストラップのドクロが、目を回してうげえ、と言っている。
そりゃあ、あんなに回されたら気分も悪くだろう、と瑞貴は軽く同情する。
机に向かって吐いている姿は、いっそ哀れにすら見えた。
「って、ちょっと待った。何ソレ!?」
「え、ストラップだけど」
「違う、ストラップは吐かない!」
「えー、ストラップ差別だぁ」
冷静になって、瑞貴は辺りを見回す。
そこは、間違いなくいつもの教室だ。
「ほんとに?」
そう言われると、瑞貴には自信はない。
「ミズキってさ。ほんとに面白いよね」
椅子をギィ、と鳴らして少女は言う。
「望んでた場所に来れたくせに、探すのはいつもの場所なんだ?」
その言葉に。
瑞貴は、頭の中を思い切りかき回されたような感覚を味わった。
「望んでた……場所?」
「嫌いだったんでしょ? さっきまでいた場所が」
瑞貴は、あの時聞こえてきた声を思い出す。
自分の世界に入り込みすぎていたせいで分からなかったが。
恐らく、あの時から。
「うん、正解。ミズキってば、気付くの遅いねぇ」
だとすると、本当に世界から……人が消えたのだろうか。
此処が瑞貴の想像の世界であるならば、そういうことになる。
しかし、それならば少女に対しての説明がつかない。
確かに、少女は瑞貴の理想の姿をしているといっていい。
だが、瑞貴はそんな鮮明な想像をしたことはない。
ならば、何処かで会ったのだろうか?
瑞貴は、少女の事を思い出そうとする。
けれど記憶の糸をいくら辿ってみても、少女の事が思い出せない。
「あの……僕は、此処は、その、あの」
言葉が出てこない。自分の考えがまとまらず、それでも瑞貴は口を開く。
口をパクパクとさせるばかりの瑞貴の額を、少女が溜息まじりにコツン、と突く。
「落ち着け、ミズキ。君は自意識過剰がすぎるよ?」
僕の目を、少女の青色の瞳が覗きこむ。
「ここはそんな世界じゃないし、君はそんなに重要人物じゃない。あと……」
あと……なんだろう、と瑞貴は思う。
かかる吐息と、少女の青い瞳。
香ってくるのは、レモンの香りだろうか?
混乱した瑞貴の頭の中が全部、少女のことで埋まっていきそうになって。
そんな瑞貴に、少女はこう告げる。
「そろそろ授業終わる時間だし。また、後でね?」
その言葉と同時。
急速に、何かが変わっていくのが瑞貴には分かった。
「待って、君の名前……!」
「大丈夫、また会えるよ。ミズキが望むなら、すぐにでもね」
強烈に引き戻されていくような感覚を、瑞貴は味わう。
いや、実際に引き戻されているのだ。
ダストワールドから、世界へ。
だが、そんな事は瑞貴には分からない。
掻き消えるように、瑞貴の意識はダストワールドから消え去って。
だが、少女の前には薄く半透明な瑞貴の姿が残されている。
それに触れようとした少女の指はしかし、半透明の瑞貴を通り抜けてしまう。
「……大丈夫。世界との繋がりは、これで出来た。次はもっと簡単にできるはずだもの」
自分を納得させるように、抑え込むように少女は呟く。
瑞貴の残した姿を、愛おしそうになぞりながら。
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