第37話 未来の、その時まで

「ならば……ならば私が、代わりに付与を行います!」


 リラがルピナスの腕を掴み、まっすぐ目を見据えて叫んだ。


「お姉さまは、魔力を使ったばかりでしょう!ぼくにやらせてください」


 テディが立ち上がり、剣の刃に触れて目を閉じる。

 あっという間に刃全体が強い光を放ち、一同は眩しさに目を細めた。


「神の器が……これほどとは……」


 ルピナスは薄目を開けながら、震える声で呟いた。


 付与を終え刃から手を離すと、テディはしっかりとした足取りでルピナスに近づき、目の前にしゃがみ込んだ。


「ルピナスさん……ぼく、定期的にここに来て、剣に付与します。そうしたら、少しは楽ですか?」


「この光の強さなら……しばらくの期間、効果はもつでしょう。ありがたい話ではありますが、セオドアさんに負担がかかってしまうのは……」


「いいえ、このぐらいなら大したことはありません。……その代わり、母さんの話をまた聞かせてくれますか?」


 ルピナスが涙を流しながら頷くのを見て、テディは立ち上がった。窓から差し込んだ光が逆光となり、後ろから強く照らされている。


「ぼく……いつか、教皇になります」


「駄目です!そんな……」

 

「でも、今すぐじゃありません。今の弱くて小さなぼくじゃ、あなたを救えないし、教会も変えられないから……」


 テディは自分の手を見つめ、悔しそうに握りしめる。


「もっと強くなって、賢くなって、教会を乗っ取れるほどの力を手に入れたら……その時になったら、ぼくが代わりにここに座ります。なるべく早く大きくなりますから……それまで、待っていてもらえますか?」


 ルピナスは差し出された手を握れずに、ただ呆然と涙を流している。

 リラが彼女の方に向き直り、優しく手を握った。


「ルピナスさん……私、魔力付与が出来るんです。テディと一緒にここに来て、魔力を付与しますから、ずっと元気で長生きしましょうね」


 リラはルピナスの手を引っ張り、ゆっくりと立ち上がらせる。


「それに、外へも出ましょう!外気浴をしないと、体に悪いですから」


「え……?でも監視はいるし、ドアに取っ手が無くて、ここからは出られなくて……」


「それなら大丈夫です!ぼく、さっき開けるのを見ていましたから」


 テディがドアに駆け寄り、扉にはめ込まれたダイヤに順番に手を触れていく。


「表から見たのと逆だから、この順番に……少し石が光っていたから、ヒールをかけながら触ると思うんです」


 テディが扉を押すと、ギギッ……と音を立てて外側に向かって開いた。リラが拍手をしながら、歓喜の声を上げる。


「すごいです、テディ!ドアを開けるのは一瞬だったのに、よく覚えていましたね!」


「ぼく、一度見たことは忘れないんです。ちょっと前まで、それが普通だと思ってたんですけど……」


 テディが開けたドアから、強い光が差し込んでくる。リラはルピナスの腕を引いて、ニッコリと笑いかけた。


「さあ、行きましょう。幸いにも、見張りは退室させてしまいましたし。今日なら司教達も、私の言うことを聞くはずですから、安心してください」


 ルピナスは腕を引かれ、おずおずと歩き出した。長距離を歩くことも久しぶりなのか、足元がおぼつかない。


 ドアの所まで来ると、テディがもう片方の腕を優しく握り、部屋の外へと引っ張り出した。


「あ、ああ……」


 廊下の大きい窓は開放されていて、広い庭園から熱い風が吹き込んできた。真夏の茹だるような陽射しにも負けず、庭の木々は青々とした葉をゆるやかに揺らしている。


「夏……夏なのですね。こんなにも、暑い……」


 廊下から駆け寄ってくる神官をサフランとマシューが止め、リラ達は目の前の庭へと足を進める。


 中庭へたどり着くと、ルピナスは芝生の生えた地面に、ゆっくりと白い素足を乗せた。


 冷えた足裏に、柔らかくも瑞々しい芝生の葉が触れ、確かな生命の力を感じる。小鳥の囀りが風に乗って耳まで届き、太陽に熱せられた青い草花の匂いが鼻腔をくすぐった。


「なんて、美しい……命が溢れて……」


 上を見上げたルピナスの露草色の目が天を写し、空と同化する。陽に照らされた真っ白な頬を、一筋の涙が伝っていった。


「今まで長い間、あの部屋に閉じ込められて……ヒールをかける度、あと少しの内に私の命は終わるのだろうと、そう思っていました……。それが、こんな……未来に希望を持って生きても、いいのでしょうか」


 涙が次々に溢れ、熱い地面に染み込んでいく。ルピナスは下を向いて、隣に立つテディの頬にそっと触れた。


「ああ、大人になった貴方を、私も見てみたいと思ってしまいました。あの子の忘れ形見の貴方が成長して、立派になった姿を……」


「……もう来なくていいよって思うくらい、たくさん遊びに来ますから、安心してください」


「そんなこと、思うはずありませんよ……」


 涙で濡れた顔で笑って、ルピナスはテディを抱きしめる。テディは彼女を抱きしめ返しながら、優しく呟いた。


「その時は、またこうしてお散歩しましょうね。……そしていつか、教皇庁の外へ出て、王都のお祭りにも行きましょう。あ!美味しいアップルパイ屋さんもあるんですよ!」


「はい、はい……楽しみにしています」


 

・・・・・・・・・・・・・・・



 慌てて駆けつけていた司教と話し、リラとテディは定期的に教皇の部屋を訪れる約束をした。

 神の存在をちらつかせて脅し、監視付きならルピナスが庭に出ても良いという許可も取り付けた。今回ばかりは、虎の威を借る形である。


 ──ダイヤさまならば、名前を出した所で怒りはしないでしょう。ルピナスさんを救うためでしたら……。


 ・・・・・

 

 王城へ向かう馬車の中で、サフランは子供達を抱きしめた。


「神聖力の枯渇が寿命を縮めると聞いた時……息が止まるかと思いました。その時だけでなく、司教会の時も……。貴方達を失うと思ったら、本当に怖かったです」


 抱きしめる腕が、僅かに震えている。顔を伏せたまま、サフランは続ける。


「魔力も神聖力も、限界まで使わないと……そう約束してください。私が聖女などと言い出したから、こんなことに……」


 リラは震える母親を、強く抱きしめた。


「気にしないでください、お母さま。お母さまが言い出さなくても、私もテディもいずれはこうなる運命だったでしょう。魔力と神聖力については……努力します」


「努力じゃなくて、絶対ですよ。テディも!」


 涙を浮かべながら子供のように口を尖らせるサフランを見て、テディが笑い出す。


「はい、お母さま……約束します」


「笑い事ではなくて……それにテディ、教皇になると約束して、良かったのですか?」


「はい。いずれそうしなくてはと思っていましたが……今日、決心がつきました」


 テディは小さな手を握りしめて続ける。


「それにあの大地震の後……治療をした人たちから感謝されて、とっても嬉しかったんです。お礼を言われたのなんて、生まれて初めてだったから。こんなぼくでも人の役に立てるなら、そうしたいって思っていたんです」


 照れるようにはにかむテディを、サフランは抱きしめた。


「どうしてうちの子供達は、こんなにも良い子なんでしょう!嬉しくもあり、でも母親の心境としては……いつか巣立っていってしまうのが寂しいです〜〜!」


 サフランは二人の頭に、うりうりと顔を擦り付けた。


「そうだぞ、頼むからもっとゆっくり大きくなってくれ〜!」


 つられてオイオイと泣き出すマシューを見て、子供達は笑い出した。


「何とかして、二人でアメジスト家も継ぎますから、安心してください!それに、まだ先ですよう……」


 むぎゅむぎゅと抱きしめられ、リラは言葉が続けられなくなり、ふふっと笑ってしまう。

 

 ──願わくば、こんな幸せが、ずっと続きますように……。


 これから王城で起こることも知らずに、リラは母の温かい胸の中で、そう思った。

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