第25話 白き聖女の誕生

 教会に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が体を包んだ。教会は石造りで真夏でも涼しい上、水の魔石と風の魔石で温度を調整しているらしい。


 壁に嵌め込まれたステンドグラスから、色とりどりの光が座席に差し込んでくる。

 壇上の脇では、聖歌隊の小さな子供たちが、口を大きく開けて可愛らしい歌声を響かせていた。


 中央の通路には真っ白な絨毯が敷かれ、等間隔に白いマーガレットの花が飾られている。

 洗礼式を迎える子供たちは前列から詰めて座るように指示され、神妙な面持ちで長椅子に腰掛けた。


 子供達が入場すると、保護者が後列の方に着席していく。畏まった服を着た大人たちも、緊張のためか誰も声を発しない。


 全員が着席すると、後方のドアがゆっくりと閉まって僅かに音を立てた。壇上の右端に置かれた演台の後ろで、年老いた司祭がオホンと咳払いをする。


「ええ……では、洗礼式を始める。十歳まで無事に成長出来たことを、神に感謝するように……。まずは聖歌集12ページの『祝福の歌』を……」


 後ろに控えていた若い神官が焦った様子で登壇し耳打ちをすると、司祭は「そうじゃった、そうじゃった……」と呟いて訂正する。


「まずは、今年共に洗礼を迎えるアレキサンダー殿下から、ありがたい一言があるので、ようく聞くように……」


 司祭はのんびりした動作で「黄金に輝く王国の宝石、アレキサンダー殿下にお話いただきます……」と呟き、お辞儀をする。

 

 壇上の上手から、アレクがスタスタと歩み出てきた。ノアと似た形の礼拝服に、揃いの布で出来た白いマントを羽織っている。

 窓から差し込む光で、ブロンズの髪とマントに施された金の刺繍がキラキラと輝いた。

 

 参加者達が無言で頭を下げるのに対し、アレクは片手を上げて応える。


「洗礼を迎えた子どもたち、おめでとう。これからもその身を王国に捧げ、良く生きるように。──同い年のお前たちとは、共に多くの時間を歩むこととなる。……よろしく頼むぞ」


 そう言い終えると、座席にいるノアの方にちらりと目を向け手をこまねく動作をした。


「ノワール、こちらに」


 ノアは驚いた様子で自分を指差しながら、「ぼく?」と小さい声で呟いた。アレクがそれを見て「早くしろ」と口パクで促す。


 リラに後押しされ、急ぎ足で壇上に登ったノアの腕をアレクが引き寄せる。


「……今まで公表していなかったが、私の弟だ。王家の人間で、今年洗礼を迎える」


 アレクがノアを小突きながら、「いいから名乗れ」と囁いている。ノアは戸惑いながら、観客の方へ頭を下げた。


「ノワール=ルビーです……」


「馬鹿!お前、王家の一員なのだから、家名はいらん」


「……ノワールです。よろしくお願いします」


 ノアは頬を少し上気させながら、もう一度お辞儀をした。客席から大きな拍手が沸き起こる。


 ──良かった!ノアも王家の人間として公表されたのですね!それが王の意志なのか、アレクの独断なのかわからないですが……。とにかく、良かったです!


 リラは小さな手のひらを一生懸命打ち付けて、パチパチと大きく拍手する。照れて後ろに後退りするノアを、アレクが後ろ手で押し出していた。


 前回までのループでは、ノアが王族の血を引く者だという暗黙の了解はあったものの、王家から公式に発表はされていなかった。

 あくまでも「駒」だとする、王の意志があったのだろう。


 ノアとアレクが壇上から降りると、参加者一同による聖歌の歌唱、司祭の話と続いた。

 何人かの子どもたちが船を漕ぎ始める頃、長々とした司祭の説教が終わり、いよいよ洗礼の儀となった。


 司祭が何やら呟いて両手を天に掲げると、会場の脇に並んでいた神官達が一斉に杖を天井に向ける。

 皆が上を見上げると、天井から細かい霧状の雨が降ってきた。咲きたての花の良い香りのする雨が、礼拝服をしっとりと濡らしていく。


 続いて神官達は、教会の前側の壁の方に杖を向ける。すると白い花びらと共に、温かい風が吹いてきた。

 湿っていた礼拝服や髪はあっという間に乾き、お風呂上がりのような心地良い気分となる。


「では……そのあたりの者から順に壇上に上がって……神聖力を込めながら、名を名乗るように」


 司祭に指差された少年が起立しようとするが、若い神官に訂正され、アレクが一番最初に儀式を行うこととなった。


 アレクが中央にある演台の後ろに立ち、開かれた聖書の上に両手を乗せる。目を閉じて「アレキサンダー」と名乗ると、背後にある神の像に嵌め込まれた大きなダイヤが白く輝いた。


「おお!殿下はヒールの才能がおありですな!」


 司祭が両手をすり合わせながら、アレクを称賛する。

 アレクはそれに取り合わず、さっさと壇上から降りて着席した。


 続くノアの儀式の際には、ダイヤは光を放たなかった。ノアが少し恥ずかしそうな顔をしながら着席し、次の子供達へと移っていく。


 サフランの話にもあったように、僅かにダイヤが煌めくようなことはあったものの、ほとんどの子どもの時には何も起こらなかった。

 

 自分の順番が近づくにつれ、リラの鼓動はドクドクと速まっていく。膝の上に乗せた手が汗をかいて冷たく、唾を飲み込む音が周囲にも聞こえてしまいそうだ。気持ちを落ち着かせようと、目を閉じて何度も深呼吸をした。


 いよいよリラの番となり、ギシギシと音を立てるような動作で、壇上へと向かった。右足と右手が同時に出そうになり、必死に考えながら手足を動かして階段を登る。


 演台の後ろに立つと、広い客席全てが見渡せた。三百人近くいるだろうか、あまりに人が多くて家族の姿も見つからない。

 上手く息も出来ないまま、手元の聖書に目を落とす。


 聖書には、リラの前までに儀式を終えた子供達の名前が刻まれていた。聖書に組み込まれた魔法の力で、名乗りをすると自動的に名前が刻まれるのだ。


 リラは静かに、両手を聖書の上に乗せる。手が冷え切っているせいか、紙が少し温かく感じる。

 大きく一呼吸した後、両手に可能な限りの神聖力を込めて呟く。


「……ライラック=アメジスト」


 その瞬間、ぶわりと聖書から風が湧き上がり、背後のダイヤモンドが真っ白に輝いた。強い光は客席の奥まで照らし、観客達は目が開けられず思わず瞼の前に手をかざす。


 光が放たれた途端、リラの全身から力が抜けていく感覚があった。神聖力を使いすぎたか、と思った瞬間、聞き慣れた声が頭の中に響く。


「リラちゃん、ちょっと体、借りるわね」


 すると、リラの体がふわりと浮き上がった。

 

 ──な、な、なんですかこれ!?……おまけに、手も足も動きません……!!


 混乱するリラの意識をよそに、体はゆっくりと上昇していく。髪紐にしていたリボンがするりと抜け落ち、三つ編みにしていた髪が解けた。

 

 それと同時に、ウェーブがかった髪はみるみるうちに白く染まっていき、根元まで真っ白に変わった。三つ編みに差し込まれていたマーガレットの花々が宙を舞ってゆっくりと落ち、純白の髪は天使の羽のように大きく広がった。


 輝くダイヤの白い光と、ステンドグラス越しの虹色の光が、リラの体を照らす。

 まつ毛まで白く染まった瞼が開き、金色の目が現れると、腰を抜かした司祭が震える声で呟いた。


「聖、女……」


 リラの意志を全く反映しない体は、観客に向かって厳かに微笑む。


「私は、神です」


 ──な……!ダイヤ様……それは、そんなのは、あんまりです……!!


 リラが心の中で叫ぶのをもろともせず、体を乗っ取った神は続ける。


「この体……ライラック=アメジストは聖女ですが、今は一時的に体を借りているだけです。神が宿っているわけではないので、教会は彼女に干渉しないように」


 アフターフォローに一瞬感謝を感じてしまったものの、事の大きさがそれでは済みそうも無いことを思い出し、心の中で涙を流す。


 神は続いて、神官達に冷ややかな視線を向けた。


「今日は貴方達教会に、言いたい事があって降りて来ました。……教義に背いた行為が横行し、組織が腐敗しているようですね」


 神は浮いている事に飽きたのか、ふわふわと移動し祭壇の上に腰掛けた。罰当たりな行為に、リラは心の中でヒイッと声を上げる。


「信徒に法外な寄付を強制してお金を巻き上げ、あまつさえそれをくすねて私服を肥やしているようですね。──聖書の何処に、そんな教えがありましたか?」


 神が指を向けると、電撃が走ったかのように数名の神官達が後ろに弾き倒され悶絶した。


「それに引き取った子供達……。体裁だけは整えているようですが、もっと温かく、家族のように接するべきです」


 壁際に並んでいた、孤児だった子供達が驚いて顔を上げる。小綺麗な格好をしているが、どこか寂しげな表情だ。


「あ……貴方が!神だという証拠は、何処にあるんじゃ!」


 司祭が腰を抜かしたまま、震える手で神を指差しながら叫ぶ。神は彼を一瞥し、溜息を吐いた。


「ジョセフ神父……貴方の机の鍵の掛かった引き出しの奥に、信者から巻き上げた寄付金がありますね」


「な、何故それを……」


「そのマントも靴も、ついでに整髪剤も……そのお金で買った、必要以上に高価なものですね。──おまけに似合っていないので、売り払ってきちんと計上するように」


 ジョセフと呼ばれた司祭は、がくりと項垂れる。

 神は彼に歩み寄り、司祭の白い髭の生えた頬に手を添えた。


「ジョセフ、思い出しなさい。──捨てられていた貴方を拾い、育ててくれたシスター達のことを」


 司祭の頭に、過去の記憶が蘇る。

 

 小さな教会の前に捨てられていた自分を、家族同然に育て、愛してくれた教会の神父達……。

 シスターの弾くピアノに合わせて聖歌を歌い、全員揃ってシチューを食べるのが、何より幸せだった……。


 ──そうだ、私は……与えられた愛に報いるため……教会の家族が信じる神の教えを伝えるため、司祭になったのではなかったか……。


 司祭の頬を、一筋の涙がこぼれ落ちる。

 

 神は優しく微笑んで「……わかれば良いのです」と呟き、壇上の中央へと戻る。


「洗礼を迎えた私の可愛い子供達。今日まで良く元気に育ってくれました。貴方達に、祝福を与えましょう」


 神が両手を上げると、子供達の手のひらに、白く輝く砂糖菓子が現れた。神に促されて口にすると、その甘さと美味しさに思わず笑みがこぼれる。


「これで少しは神聖力が上がったでしょう。家族を大事にし、友と助け合い、お互い支え合って生きて行くのですよ。──そしてたまには、教会に足を運んでね」


 神はウインクをすると、静かに目を閉じた。

 そのまま糸が切れたかのように体が崩れ落ち、アレクとノアが駆け寄ってくる。


 しばらくすると体の主導権は戻ったが、リラは恥ずかしさのため、洗礼式が終わるまで目を開けることが出来なかった。


 ──こんな想定外な聖女デビュー、本当に全く望んでいなかったです、ダイヤさま……!

 

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