【16】公爵夫人リコリス、がんばる。
「知らなかったわ……わたし、2年間も妖精だらけのお屋敷で暮らしていたのね……」
わたしは自分の寝室で、ぐったりしながらそう呟いた。
わたしのおでこに濡れたハンカチを当ててお世話をしてくれていた侍女のアビーが、豪快に笑い飛ばしてきた。
「知らなかったんですか、奥様!! そりゃまぁ、あたしらも普段は、人間に変装してますからねぇ。見事なもんでしょ? どうみても麗しの侍女にしか見えませんでしょ? わはははは」
「……麗しいかはよくわかんないけど、人間にしか見えなかったよ、アビー」
だって、普通の小太りなおばちゃんにしか見えないもん。
「アビーって、
と、何気なく聞いてしまってから微妙に後悔した。さっきのデュオラさんみたいに、アビーが得意げな顔でほくそえんでいたからだ。
「おや。あたしの正体をご覧になりたいんですか、リコリス奥様?」
「え。なにその前振り……、また怖いパターンだったら遠慮しとくけど」
「そんなこと言わないでくださいよ! あたしなんか平凡な屋敷妖精ですから、ダイジョブですってば」
もしかしたら妖精たちは、本当は自分の正体を見せたくてたまらないのかもしれない。
「じゃあ……首引っこ抜けるみたいなビックリ展開じゃないなら、見せてもらおうかな」
「喜んで!」
妖精節の式典のときには、『使用人たちは全員、妖精本来の姿でお出迎えする』って話だし。今のうちから、誰がどんな妖精なのか把握しておきたいというのも本音だ。
「では、失礼して。……あたしは、こんな姿です」
ぼふん。と煙が吹き上がり、小太りだったアビーの体のシルエットが縮む。わたしと同じくらいの背格好になった。
「ふぅん……意外と若いんだね、アビー」
目の前の煙が徐々に晴れてきた。屋敷妖精に戻ったアビーは、見た目16歳くらいの、小柄な少女のようだった。黒髪黒瞳で地味目、まぁまぁかわいい顔立ちをしていて……
「あれ……アビーって、わたしと結構似てる? ――って、いうか、」
似てるどころか、彼女はわたしとまったく同じ顔・体つきになっていた。
「え!? なんでわたしの恰好なの? まだ変身してるってこと?」
「いぃえ、奥様。この姿が、あたしの
どういうこと?
「あたしら
わたしの顔と瓜二つになったアビーは、ドヤっとした顔で説明しだした。
「屋敷妖精の外見は、屋敷の女主人と同じになります。つまり、リコリス奥様が嫁がれた2年ちょっと前から、あたしの姿はリコリス奥様の
「そうなんだ……ごめんね、こんな地味な外見で」
なに言ってるんですか! と、アビーは頭をぶんぶん振って否定してきた。
「あたし、リコリス奥様の姿すっごく気にいってますから! 見てくださいよ、この黒髪。こんな見事な黒髪が手に入るなんて、最高です」
「黒髪って、自慢なの?」
人間にとって黒髪は、地味で不人気なのだけど。
そういえば、このお屋敷の人たちはよくわたしの黒髪をほめてくれる。
……もしかして、妖精には黒が人気なのかな?
「そりゃあ、黒は人気色ですよ! 今は亡き妖精女王ティターニア様が、それはそれは美しい黒髪だったと言われてるんです」
「へぇ」
うーん、カルチャーショック。
妖精のお話をいろいろ聞くのも、楽しそうだ。
「妖精祭が、ちょっと楽しみになって来たわ」
「えぇ、えぇ、楽しんじゃってくださいよ、奥様。奥様は初日の夜宴のときだけ大変かもしれませんけど、あとはほとんど、招待客と同じです」
「初日の夜宴??」
なんだそりゃ。
「うちの屋敷の庭園に夜宴会場を作って、お客様方をお迎えするんです。奥様はアスノーク公爵家の夫人として、お出迎えしてくださいな。ちなみに妖精祭のならわしとして、お客様には王太子や大臣、他の四聖爵などなどのエライ人たちも沢山来ることになってますんで。……ちょっとかったるいかもしれませんけど、奥様がんばって!!」
「なっ!? なんですって!?」
わたしはベッドから跳ね起きて、部屋を飛び出した。
そのまま、ミュラン様の執務室へと一直線。
(ミュラン様ったら……! 聞いてないわよ夜宴の
ノックも忘れて、わたしは執務室に飛び込んだ。
「ミュラン様! わたし、夜宴の話なんて全然聞いてな――――」
愕然。
見知らぬ美女がミュラン様のおでこにキスしている場面を……目撃してしまった。
「リコリス、目覚めたのか。血相を変えて、一体どうし――」
「この浮気者っ!!」
腕が勝手にミュラン様に掴みかかっていた!
「なにが『他の女性を迎えるくらいなら死ぬ』よ! ミュラン様のバカ! 浮気者!」
「おい、落ち着け、君はいったい……」
「金髪巨乳では飽き足らず!? 今度は銀髪のスレンダーなご婦人ですか!? あなた、いい加減に……」
「落ち着いてくださいませ、奥様。わたくしはロドラでございます」
銀髪の見目麗しいご婦人が、やわらかく微笑みながら私に声をかけてきた。
はい??
「……ロドラ?」
侍女長のロドラ? 70歳近いおばあちゃんの、ロドラ??
「えぇ、奥様。
銀髪美女が優雅に一礼すると、周囲に霧が立ち込めた。一瞬にして、美女が老婆の姿かたちに変貌する。……いつもの侍女長ロドラだった。
「妖精のキスは祝福でございます。このように、月に一度は旦那様を祝福して魔力の安定化をしております。守護妖精としての役目の一つでございますから」
ぽかーんとしながら、わたしはロドラとミュラン様を交互に見つめていた。
「……そうなの?」
ミュラン様とロドラが、うなずいている。
「……なんでいつも情報が後出しなんですか、ミュラン様」
「屋敷の者たちが説明しているかと思っていた。すまない」
本当にやめてくださいよ……今日は、心臓に悪い出来事だらけで疲れ切ってしまった。
「ところで、どうしたんだ君は。血相を変えて」
「あっ。そうでした……わたし、夜宴の女主人役やるなんて、聞いてませんでしたけど」
「女主人?」
「ミュラン様は、わたしが夜会とかすごく苦手なの、知ってるでしょ? ……どうして直前まで、そういう重大任務を教えてくれないんですか?」
「……君がやってくれるつもりだったのか?」
「え?」
「リコリスが夜会を嫌っているのは知っていたから、当日は休んでもらうつもりだった。体調がすぐれないとでも言っておけば、済む話だ。妖精たちに代理を任せる」
「また、そういうことを勝手に決めて……」
わたしは唇を尖らせて、ミュラン様に文句を言った。
「わたしはもう、あなたの妻です。……今後もずっと、妻で居続けるつもりなんです。だったらもう、逃げてばかりはいられないでしょ? 本気で、マナーも勉強しますから。今度から、事前にちゃんと教えてくださいね」
リコリス……とつぶやいて、ミュラン様は驚いたように言葉を失っていた。
わたしはロドラに向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「あの……ロドラ。わたしにマナーとか、妖精祭のこととか、全部教えてほしいの。あと1か月じゃ、どこまでやれるか分からないけど。……ミュラン様の妻として恥ずかしくないくらいに、教育してください」
「奥様、なんとご立派な!! ロドラは嬉しゅうございます!」
ロドラは感極まった様子で声を震わせていた。
「お任せくださいませ、リコリス奥様。このロドラめは、妖精女王陛下ご幼少のみぎりには、教育係の任を預かっておりました! かならずや、リコリス奥様を『貴婦人の
「あぁ……お手柔らかに頼む」
ふだん穏やかで物静かなロドラの瞳に、やる気の炎が燃え上がってた……
* * * * *
そして。
水妖精ロドラのスパルタ教育の甲斐もありまして。
元・貧乏令嬢リコリスは…………
りっぱな公爵夫人に進化いたしました!!
「お見事でございます、奥様! もはや押しも押されもせぬ、立派な公爵夫人でございます」
「有り難う、ロドラ。全ては、貴女のお陰よ」
妖精節の前日、深夜。
ようやくロドラの満足いく仕上がりまで到達したわたしは、みんなの前で貴族淑女の礼をとって見せた。
「あぁ……なんとお美しい!」
居並ぶ侍女たちが、感動の涙を目に浮かべている。
明日の夜宴で着る予定の深紅のドレスを身にまとい、わたしは恭しくミュラン様に礼をしてみせた。
壁際で突っ立っていたミュラン様が、引き気味な態度でわたしを眺めて呆気に取られている。
「如何でしょうか、ミュラン様。貴方の妻として、相応しい振舞いを身に着けたつもりです」
「あぁ。見事だよ。…………少し痩せたな、リコリス」
ふふふ。どーですか? ミュラン様。
わたしだって、やれば出来る子なんですからね! 貧乏出身は、根性が違うんですから!!
「
「そうだね。……違和感しかしないから、そのしゃべり方は明日だけで良いよ。ひとまず、今は普通にするといい」
「そうですか? あー、良かった……疲れますねマナーって。お腹減っちゃったので、お夜食いただいてもいいですか?」
肩の力をだら~っと抜いて、へらへらわたしが笑っていると、ミュラン様は苦笑しながらわたしの頭を撫でていた。
「頼もしいよ、リコリス。妖精節もがんばろう」
* * * * *
そしてとうとう訪れた、
妖精節というのは四聖爵の家を守る妖精たちが妖精王の代理となって、国賓の前に姿を現し、妖精と人間の末永い友好を誓うための儀式だ。
1週間の期間内は、儀式のほとんどを妖精たちが執り行う。でも、初日の夜宴だけは、四聖爵の当主と夫人が取り仕切るのが伝統なのだという。
……というわけで、わたしの出番。
今ではすっかり日が落ちて、夜宴の準備はすべて整っている。わたしは、隣のミュラン様に微笑みかけた。
「準備万端ですわ、ミュラン様」
侍女たちが腕によりをかけて、わたしの黒髪をしとやかにまとめ上げてくれた。黒髪に映えるという深紅のドレスも、きちんと着こなしているつもりだ。
以前は「ちっぽけで貧相」と笑われたわたしだけれど。今日はきちんとマナーも心得ているから、怖くない。
ミュラン様は優しい顔でわたしを見ていたけれど、やがて、わずかに表情を曇らせた。
「ありがとう、君はよく頑張ってくれている。……だが、貴族というのは底意地が悪い生き物だ。彼らからの称賛を期待しない方がいい」
「? それって、どういう意味です?」
「心無い言葉を投げて、君を不快にさせたがる人間は必ずいる。そういう連中の話は真正面から受け止めず、聞き流して堂々としているんだ。泣いたり、媚び笑いをしたりしてはいけない、……傷ついてはいけない。三日月のように静かに笑って、その場限りの礼を尽くしておけばいい」
あぁ。ミュラン様は本当にわたしを心配してくれているんだ。
そう思ったら、とても嬉しかった。
わたしはそっと彼に寄り添い、小さくつぶやいた。
「他の人の称賛なんていりません。ミュラン様が喜んでくれたら、ほかは全部、どうでもいいです。……わたしが頑張ったら、あなたは褒めてくれるでしょ?」
「もちろんだ。あとで二人きりになったら、たっぷり褒めさせてくれ」
「……その言い方は、恥ずかしいです」
あなたがいるから、大丈夫。
わたしはそっとミュラン様から離れて、夜宴会場にいらっしゃるお客様をお迎えに行った。
……夜宴であんなことが起こるなんて、その時はまだ、わたしたちの誰もが予想していなかった。
ミュラン様とわたしに、再び離婚の危機が訪れるなんて……
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