Chapter.22 決着

「チェックメイトだ」


 そう言った彼の顔はニヒルにも歪んでいて、勝利を確信したようで、弱者をいたぶるような嗜虐性を秘めていた。


「さんざん抵抗しやがって、めんどくせぇ」


 一歩一歩、着実に。

 傷ひとつ、汚れひとつない身体で、怯えて動けないわたしへと近付いてくる。


「クッソだりぃ。人が下手に出れば舐めたこと言いやがって、ふざけるなよ」


 一つトーンを落としたその本音には、明らかな怒気が含まれていて。


「全部てめぇのせいだぞ。おい」

「ひぅ……っ!」


 前髪を鷲掴みにされて、そのままガンと後ろの木に頭を打ち付けられて、悶絶する。

 こわい。いたい。やだ。殺される。やだやだやだ!


「いいかぁ……てめぇのせいでこの世界は滅ぶ。もろともな」

「ぃゃ……いや! いやだ! いやだいやだ!」

「だだっ子かよ。バカじゃねぇの」


 トゥーレちゃんも、シエル様もアンセムくんもリオンさんもマカロさんも、みんなみんな!


 嫌だ! みんなを無かったことにしたくなんかない!

 この美しくて優しくて温かい世界が、滅ぼされるなんて絶対嫌だ!


 うううう! うぅぅうううう!!


「いってぇ……クソッ」


 腕を噛んで逃げようとしたら、でもまるで怯む様子もない高崎さんがぎゅっと手首を捻るように握り絞めて、その痛みに膝を付く。


 蹴られた。


 ジンジンとした鈍痛がとても苦しくて、つらくて、泣きそうで、実はもう泣いちゃってて。


 もうここまでかなって、諦めてしまう。


 諦めて終わるわけでも、救われるわけでもないのに、全てを投げ出そうとして、


 出来なくて、


 つらくて、


 捨てられなくて。


「……けて……」

「あん?」

「たすけて……っ」

「さんざん抵抗した果てにそれか? 頭ん中花畑かよ」

「あなたじゃない……!」


 これは、命乞いじゃない。


「はぁ?」


 これは、いつだってわたしを救ってくれる王子様を。


「――助けてトゥーレちゃん!」


 呼ぶ声だ。


「ハァァァッ!」


 月が輝く。世界が蒼く染まる。そのなかで、強い突風が駆け抜けた。

 金色の風が、一つ。


「クソエルフがぁああぁああア!」


 翡翠色のオーラを纏い、金色の髪をなびかせて。まるで雷のような速度で森のなかを駆け抜けたその黄金の風、その速さ。


 瞬間的に間合いを詰め、わたしの眼前にいた高崎さんの懐に滑り込んでは、腰だめに控えた直刀の一閃。

 目にも止まらぬその速度は、一瞬のうちに切り裂いて、靄が……。


「く、そ……」


 ――現れることはない。

 よろめき、大きな木に背中をドンと打ち付けると、沈み込むように、その裂傷から流れる赤色を抑えながら高崎さんが呻く。


 そのあまりにも気分悪くなる色と匂いに、思わず一人、目を逸らしてしまいながら。


「俺は……俺ぁ死なない……」


 どこを見ているかも分からないその目で、ただひたすらにそれを呟くばかりの高崎さんは、もう警戒が必要な状態とは思えなかった。


 トゥーレちゃんがさくっと地面に直刀を突き立てて、わたしのもとにまで駆け寄ってくれる。

 枝で擦りむいた傷だとか、打った痕だとか、わたしがインナー姿なことだとか。

 トゥーレちゃんはものすごく心配したように、押し黙って思い詰めた表情をしてくれるけど、――大丈夫だよ。トゥーレちゃん。


 ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、いまこうなっている時間が欲しくって、トゥーレちゃんと一緒にずっとずっと居たいから、選んでしまった未来。頑張った現在だ。


 ……わがままを言うと、褒めてほしいです。


 心配なんかより、いっぱいいっぱいなでなでして、褒めて、抱き締めて、キスをして。

 甘えさせてください。


 というか、自分からいきます!


「ぅおわっ」

「ぎゅー!」


 うへへへへ。トゥーレちゃん、トゥーレちゃんだぁあああ。

 んふふ。


 トゥーレちゃんエネルギーを補給します! すぅはぁ、すぅはぁ。


 トゥーレちゃんだ、トゥーレちゃんが目の前にいる。いい匂いだ! いい温もりだ! いい声だ! いい頼もしさだ!


 はぁぁぁあああああ。

 ずっと寂しかったんだよ、でもねでもね、ここまで頑張ったよ!

 トゥーレちゃんトゥーレちゃん!


 ちゅーしてもいいですか?


「んーっ」

「ユズむっ」


 しちゃった! しちゃった! ちゅーしちゃった! 自分から! 自分からだ!

 うへへ……。これで二回目ですね。お口にしたのは!

 一回目は事故でもあったので、ちゃんとしっかりとしたもので考えると、これがわたしとトゥーレちゃんが初めてちゃんとキスをした日だ。


 あ、あれ……そう考えるとちょっと……は、いや、考えなくても冷静になったらやりすぎな気がする。恥ずかしい。


 わたし発情しすぎでは。


 ん、んん、やばい。やばいですね。取り戻さないと。

 ひさびさ……でもないんだけど、極限まで寂しくなったところでのトゥーレちゃんどーい、感情ばーん! でやばいことになっている気がします。


 V字というか、跳ね上がりすぎてチェックマークだ。


「――終わったね」


 遅れて、大きな風を纏ったシエル様が駆けつけてくれると、未だ呻くだけの高崎さんを一瞥しながら地面に降り立ち、息吐くようにそう言った。


 ちょっと恥ずかしくなって、いそいそと抱きついた姿勢のトゥーレちゃんから離れつつ、でも片手はしっかり繋ぎながら。


「ま、だぉ……わってねぇぞ……」

「ユズはもううちの子だよ。こちらの人間さ。君たちはもう、お呼びでないんだ」

「ふ、ふざ……けるな……」


 その何気ないシエル様の一言が、たまらなく嬉しくて。


「君は負けた。我らが勝った。君は朽ちていく。この世界は続いていく。ミスタータカサキ、君の運命はここで終わる」

「………」

「ご感想は?」


 一拍おいて、その瞬間の高崎さんの顔は、いままで以上に一つの感情で染め上げられていた。


「くそったれ」


 結構。シエル様がそう答えれば、照り出す太陽のもと、まるでドラキュラなんじゃないかと思ってしまうようなタイミングで、彼は塵となっていなくなる。


「おつかれさま、ユズ」

「――っ、はい!」



 わたしたちは、次の朝を迎えた。

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