にじゅうさんにちめ!
Chapter.20 負けたくない
――みし、と小さな音がした気がして、浅い眠りからすぐ目が冴えた。
「………」
思わず下唇を噛んで息を殺す。
恐る恐ると横になっている体勢のまま目を開けば、その目の前には壁があって安心した。
入り口から奥、窓際の壁に寄せてあるベッドで、わたしは外側を向いて寝ているみたいだ。
同時に部屋の内側へ振り向くことが怖くなってしまうんだけど……。
心臓がうるさくなる。
こ、こわい。聞き間違いじゃないはずだ、絶対に、足音。
重たいものが木の板の上に乗った音。
続く音はないけれど、だからこそ余計不気味に思う。
トゥーレちゃん? だったら、音を立てないように歩く必要はないだろうし。
ネズミ? それならいいけど、でもいままで見てなかったし……久々に思い浮かべたよ、ネズミって。いるのかな。
どうなんだろう……。
――ああああ、ダメだ! こういうのは本当に苦手。何か安心出来るものを抱き締めたくなってしまうけど、寝ているフリは続けたいし……、そういえば、シエル様に貰ったものを枕下に入れといた気がした。
目立たない動きでまさぐって、見つける。引っ張り出す。
透明感ある黄色の宝石。お守りだって言って、つい先日くれました。
『何かあったらこれを握り締めて、カチカと唱えるんだ。あ、ちゃんと目は瞑るんだよ? 眩しいからね』
と教えてくれたので、これも魔法なのかな? ともかく護身に使えるものだからって頂いていたその宝石を、大事に胸元で握り締める。
うん、ちょっと安定した、けど。
みし。
うん、確かに聞こえましたね。しかもさっきより近い。
どくんどくんと加速していく動悸が胸をいっぱいいっぱいにして、本当につらい。
耳を済ましていられない。
……もしかしてこの部屋にいる?
なんとなく、気配を感じる。
す、すごい嫌だ。トゥーレちゃんなら早く言って。そうじゃないならどっか行って!
ほ、本当に怖い。どうすればいいんだろう。
こっ、……一か八か。これを使って……。
そのあとどうしよう。そのあと何が出来るんだろう。
身体が緊張する。肩に力が入ってしまって硬直とする。
時間は真夜中だ。トゥーレちゃんに助けを求めても、もしこの空間に誰かがいて、例えば高崎さんと二人きりだとして、逃げ切れる算段もなければそんな勇気もなくて、本当にどうしようもない。
気配がにじりよる。
きゅっと目を瞑って、わたしは身体を強張らせた。
こ、このままじゃ。
このままじゃあ、だめだ。嫌だ。触れられたくない。
覚悟、しないと。
………。
もう、どうにでもなっちゃえ!
「―――――っ、〈カチカ〉ぁ!」
ガバッと身体を起こし、振り返って、何もかもを確認する前にそれを唱える。
すると、チカッと瞼すら突き抜けるあまりにも眩い光が辺り一面を真っ白に染め、一瞬だけ。本当に、一秒ほどの短かな時間を、目も開けられない明るさで染め上げた。
そして。
「トゥーレちゃぁーんっ!!」
叫ぶ。叫ぶ。たじろぐように両目を抑えて悶える謎の影をよそに、隣の部屋にいるはずの彼女を必死で呼ぶ。助けを乞う。
その答えは、カチカの光よりも速かった。
「ユズッ!」
「その人!」
「クソがぁぁァア……!」
寝起きは弱いはずなのに、駆けつけたトゥーレちゃんは勇ましくて、点いた部屋中の灯りが彼女の存在感を際立たせて、そこに呻く影との対比を分かりやすいほどにして。
憎悪に溢れる赤い瞳がトゥーレちゃんのことをまっすぐ射貫く。恐ろしい目の色にその人の本質が、如実にそこに、現れてくる。
「伏せて!」
トゥーレちゃんが声をあげた。って、ぇぇえ!?
ぱりーん!
なんて大きな音を立ててその男にタックルしたトゥーレちゃんは、そのまま窓を突き破り二階から外に飛び出した。
えっ、こっ、にかっいぇ……とぅ、トゥーレちゃん!!
追いつかない思考で慌てて下を覗く。
すると、取っ組み合うように男の背後を取り、その両腕を後ろで固めて地に伏せさせるトゥーレちゃんが見えて、安心した。
よ、良かった……!
その光景を見て、途端胸を撫で下ろすように安堵感から一歩二歩と窓辺から引いてへたり込む。と、真夜中の空、大きな月明かりを背中にして、新たな人影が風を纏って空から姿を現した。
「こらこら、ダメじゃないか」
そのシルエットは一目でシエル様だと分かったし、何よりそんな頼もしくて落ち着けるような偉大な声に――わたしは胸を膨らませて、嬉しくなって、泣きそうになって。
「選択肢の話はなんだったのかな? まぁ予想はしていたけどね。君という人間を見れば」
「畜生共が……ッ」
「滑稽だね。さて」
地上に降り立ち、シエル様がいつも片手にしている大きな杖。それをトンと地面に付くと、その場を中心に風圧にも似た大きな一陣の風、空気がブワッと一新される。
シエル様を基点としてドーム状に膨らんだそれは物質に阻まれることはなく、身体のなかすら突き抜けて通っていくような魔法に、抜けた瞬間少しだけ身体を引っ張られてたじろいだ。
思わず自分の身体を確かめるように、にぎにぎと手を握り込む。
――風圧の魔法に森が揺れ、うんと頷くシエル様。
「東に二人。南西。北。南南東。西にいるのが本物かな。全部で六人。警戒は怠らないように」
トゥーレちゃんが捉えていた高崎さんは、いつの間にか靄になって消えていたけれど、シエル様はその所在地を掴んだようだった。
すごい……!
シエル様は、やっぱり本当にすごいんだとたまらない高揚感に、嬉しくなる。
頼もしくて、理知的で、無駄がなくて、安心をもたらしてくれる。
もちろんトゥーレちゃんも!
彼女がいて、本当にわたしは良かったと、つい泣きそうになってしまいながら。
「さぁみんな、起きる時間だよ」
また新たな風が吹き流れた。
それに伴って、村中のあらゆる民家に一斉にして灯りが点き、開戦を告げる。
わたしも、高崎さんに襲われたこの場所に一人で留まっているのは嫌なので急いで彼女たちのもとに向かっていった。
……な、なんか上着……。
トゥーレちゃんは想定していたのか薄地でも服を着ていたみたいだけど、わたしは下着姿のままで寝てしまっていたので、ちょっと外に行くには恥ずかしすぎる格好だ。気にしてる場合でもないんだろうけど、外が暗くてほんとに良かったといそいそと着替えながら。
階段を下り、すぐに合流する。
トゥーレちゃんとシエル様は、ふぅと息吐くように話し込んでいた。
「しかし予想外だったかな。万が一は思っていたけれど、これほどまでに浅慮で直情的で目先に踊らされるような三下とはね。考えるだけ損したよ」
「三日後。それも寝込みとは……」
「この調子なら思ったより簡単になりそうだ。暴走しているのは彼一人。一見誰でも気付ける愚作なはずなのに、部下の誰も止めなかったのだから、彼はもはや捨てられてしまっているんだろうね。可哀想に」
「トゥーレちゃん!」
玄関を飛び出し、二人の姿を目の当たりにすると、わたしはついついトゥーレちゃんに抱きつくような突進をかましてしまう。
それにちょっとよろめきながらも受け止めてくれるトゥーレちゃんに全力で甘えながら。
彼女は、優しく頭を撫でてくれた。
「偉いねユズ。おかげで先手を取れた」
「がんばったよぉおおおおお!」
「うん」
怖かった! 怖かった! もう一人の夜はイヤすぎるかもしれません!
だから今度からは一緒に寝よ? トゥーレちゃんとは近くにいたい……もうこわい……。
本当に、離れたくなくなってしまった。
「あっはは。やっぱりいいね、とても和む。でもユズ、忙しいのはこれからだよ」
分かってるけど、分かってるけどチラッとまるで助けを求めるようにトゥーレちゃんを見る。
やっぱりダメだった。トゥーレちゃんが「頑張ろう」って励ましてくれるんなら、仕方ないですね。
あと少しだけ頑張って、ここを乗りきって、そしたらまたトゥーレちゃんと一緒の日々を過ごせるはずだから。
だったら、いえ、だからこそ! やってやるしかありません!
深呼吸をして、覚悟を決めて握り拳を作ります。
「はい!」
「うん。いい返事だ。作戦は覚えているね」
「……もう一回教えてください」
「ぁははっ、一応道案内はしてあげるから安心して。でもここからだとCルート、ちょっと迂回するような道で、目的地に行ってほしいかな」
「了解です!」
「終わったらみんなで迎えにいくからね。……カチカも充填しておこうか。もう一度使えるようにはしとくから、また何かあったら使って欲しい」
「はいっ。……あの、トゥーレちゃんは……?」
こっちも分かっているけれど、やっぱりダメだ、確認せずにはいられない。
始まりがインパクト強かったせいで、一応この数日で固めておいたはずの覚悟が見る影もなくしてしまっている。
だって、だって。
ぅうう、本当に怖かったんだもん!
「私は、ごめん。着いていけない。現場で指揮をする人間も必要で、負けたくないから」
――トゥーレちゃんも、わたしのためにここまで覚悟して立ち向かってくれているんだ。
いくら武人でも、警備隊長でも、こんなわたしと同じ、女の子なのに。種族とか関係なくて、年齢も関係なくて、その本質は変わらないはずなのに。
彼女だって頑張ってる。頑張ってくれている。
だったらわたしも、頑張んなきゃいけないですよね。
――と、下の方で大きな爆発が起こった。
その破裂音と衝撃波に身体を強張らせて、この世界の命運を分ける戦いがいま本当に起きていることを理解する。時間がないことを理解する。
「猶予はないね。じゃあとりあえずは作戦通りにいこう。大丈夫。きっと上手くいくさ」
覚悟を決めて。
「「はい!」」
――シエル様が再び杖をついて風圧の魔法を使った。
トゥーレちゃんはその俊足で麓の兵団本部まで駆けていく。
わたしは横道、住宅地の更に奥の森のなかへ姿を眩ます。
時の超越者・エルフと、世界の超越者・高崎との、戦いがいまここで始まった。
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