第6話 裸で謝罪する女


 優花はバスタオル一枚を巻いて、床にしゃがみこんでいた。



「お、おい。どうしたんだ……?」


 さすがに見なかったことにはできず、恐る恐る声を掛けてみる。しかし彼女はこちらに背中を向けたまま、ただ黙って俯いているだけだった。



「そんな格好してると風邪ひくぞ……ってソレは!」


「……やっぱり小仏だったんだね」


 振り返った優花は両の目からポロポロと大粒の涙をこぼしていた。そして俺に向かって土下座し始めた。



「あの時はごめんなさい!!」


「いやいやいや、ちょっと待てって! 半裸で何してんだお前!」


「お願い、この通りよ! 過去の罪を許してくれるのなら……私、何でもするから!」


 あまりに突然のことで思考がフリーズしてしまう。だが彼女が手にしている物を見て、俺は思わず息を呑んだ。だってそれは……。



「高校の卒業アルバム……」


「ごめん。シャンプーを忘れて取りに戻ったら、たまたま部屋の前を通りかかって……」


「俺の正体を疑っていたのか?」


 震えた声でたずねると、優花はコクンと頷いた。


 つまり優花の奴は、俺が高校時代の同級生だと薄々感づいていたわけだ。だが確信が持てず、悶々としていたところで偶然、俺の部屋が開いていたから気になって調べてみたと。



「珍しい名前だから、もしかしてって。だけど見た目がだいぶ変わっていたから、自信が無かったんだけど……」


「まぁ……あの頃の俺はデブだったからな」


「ふふ、今は凄くかっこよくなったよね」


「……茶化すなよ」


「ごめんなさい……」


 優花は再び俯きながら、ギュッと唇を噛んだ。ていうかなんでコイツは泣いているんだろう。


 でも俺は、あえてそれに気付かないふりをした。涙の理由なんて知りたくもない。


 俺は優花の横まで行き、そのままベッドの上に腰掛ける。



「それで? 学生時代にあれだけ嫌いだった男が俺だと知って、ショックを受けたか? この家を出ていきたいというのなら、それでも俺は別にいいぞ」


 敢えて笑顔でそう言うと、優花は顔を横に振った。そしてゆっくりと口を開く。


 その声はとても小さく、聞き逃してしまいそうなほど弱々しいものだった。だが確かに、彼女の言葉は俺の耳に届いた。


 ――私はここに居たい。


 そして再び泣き崩れる彼女。

 俺はそんな優花を見下ろしながら、心のどこかでホッとしている自分がいることに気付いた。

 どうしてそう思ったのかは分からない。けれどきっと、この女と一緒に居るのが楽しいと感じているからだろう。


 俺は無意識のうちに、優花の頭を撫でていた。すると彼女は顔を上げ、潤んだ瞳で俺のこと見つめてきた。


 そして俺の手を取り自分の頬に当てる。まるで猫のように、優花は目を細めた。その姿に俺の心臓がドクンと脈を打つ。



「どうしたら、あの時のことを許してくれますか……?」


 優花は俺の手を握りしめたまま、静かに訊ねてくる。そして驚愕のセリフを吐いた。



「――私ね。小仏君が転校してから、あの事件の真相を知ったの」



 ◇


 高校2年生の秋。

 文化祭で俺たちのクラスはお化け屋敷をやることになった。


 だが文化祭の数日前に、大きな問題が発生する。みんなで苦労して作り上げたセットが、ボヤ騒ぎで半壊してしまったのだ。


 そしてその犯人として疑われたのが、クラスで孤立していた俺だった。



「先生! 私、小仏君が放課後に教室から出ていくのを見ました!」


「ちっ、違う! 俺はやってない!!」


 朝のホームルームで女子の一人が俺を指差して叫び、周りの生徒たちが一斉に非難の目を向ける。


 当然、俺はすぐさま否定した。あの時はただ、忘れ物を取りに行っただけだ。第一、ライターすら持っていない俺が、どうやって放火なんてするっていうんだ。


 声を張り上げて必死に無実を訴えるが、誰も耳を傾けようとしない。それどころかクラスメイトたちは疑いを強める一方だった。



「酷い……みんなで作ったセットを燃やすなんて」


「アイツ、そんな奴だったのか」


 担任教師を含め、誰も俺の言葉を信じてくれなかった。


 そしてクラス委員だった大木……その頃はまだ宮野だった優花が立ち上がった。



「皆さん、小仏君のこと信じてあげましょう!」


 優花は真っ直ぐな目で周りに訴えかける。しかし他の生徒からは冷たい視線を向けられるだけだった。



「あの時、私は確かに見たんだから! 彼が教室から出ていくところを!」


「安心して、別に貴方の言うことは疑っていないわ。小仏君を怪しいと思うのも当然よね。でも彼がやった場面を直接見たわけじゃないのよね?」


 まるで聖母のように慈愛に満ちた表情を浮かべる優花。


 だが俺は知っていた。彼女は決して、俺を守ろうとしているのではないと。



「じゃあ優花ちゃんに聞くけど、彼がやっていないって証拠はあるの!?」


 一人の女子生徒がそう叫ぶと、優花は少し困ったような笑みを浮かべた。



「それは……ごめんなさい」


「ほら! やっぱり小仏がやったのよ!」


 女子生徒は勝ち誇ったように言う。だが優花の方も動じなかった。



「だけど日本の法律にあるように、証拠がなければ罰せられないの」


 一瞬にして静まり返る教室。理路整然と説明するその姿は、まさに優等生といった感じだ。


 しかし今度は別の男子生徒が口を挟んできた。



「でもよぉ、お前が言ったんだぜ? 小仏は怪しいって。一番疑わしいのは間違いないじゃんか」


「……そうね。疑われるような行為をしてしまったのは事実だわ」


「待ってくれよ! 俺は本当に忘れ物を取りに行っただけで……」


「誰かがそれを証明することはできる?」


「そ、それは……」


 優花の鋭い指摘に、俺は言葉を失った。確かにそうだ。俺にはアリバイがない。


 優花はそこで一拍置き、再び口を開いた。まるで演説をしているかのような、堂々とした口調で。

 

 ――ここは小仏君に頑張ってもらいましょう、と。


 その詳細を聞いた俺は絶望した。


 優花いわく、疑われるような行為をしてしまった俺にも責任があるということらしい。自分に非がある分は、今から自分で直して罪を償えと。そうすればみんなの不満は晴れるというのだ。


 俺はなんて残酷なことを言い出すんだと思った。


 結局、俺以外の全員が優花の提案に賛成してしまい、俺は仕方なく従うしかなかった。だが不器用な俺がセットを元通りにすることなんて、できるわけがない。


 ガタガタな仕上がりになってしまい、文化祭は大失敗。クラスの評価を大きく下げてしまう結果になった。



 文化祭の後、俺はクラスメイトから虐められるようになっていた。

 もちろん原因は文化祭での一件である。俺に対する嫌がらせは、日に日に強くなっていった。


 机の中にはゴミが詰め込まれ、上履きはボロボロ。体育の授業ではわざとボールをぶつけられたり、服を汚されたりした。


 そんな日々が続く中、優花は逆に優等生としての株を上げていた。いつも笑顔で明るく、誰にでも優しい。成績もよく、スポーツも万能。


 だが完璧ともいえる彼女が、虐められている俺を助けてくれることはなかった。



 そうして俺は学校を休みがちになり、田舎へ引っ越すことになった。

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