第4話 嫌いなアイツと妹ちゃん


「お姉ちゃんっ!」


「み、美結……」


 彼女たちの住むアパートに着くと、大木の妹である美結がセーラー服姿で立っていた。


 姉の顔を見るなり勢いよく抱きついてきた美結を、大木は……って、どちらも大木か。姉の優花は戸惑いながらも優しく抱きしめ返す。


 美結は高校時代の優花に顔立ちはそっくりだが、性格は真逆のようだ。とても明るく元気な女の子で、今どきのギャルっぽい。こういうのを陽キャって言うんだろうな。



「良かった、元気そうで……」


「……うん、ゴメンねお姉ちゃん。大事な面接の途中だったのに……」


 涙声で謝る妹の姿を見て、優花の顔には笑みが浮かぶ。そんな姉妹の姿を、俺は運転席から眺めていた。



「美人姉妹か……あの様子だと、よっぽど仲が良いんだろうな」


 両親や知人たちから見捨てられた二人は大人を頼ることもできず、互いに支え合うしかなかったんだ。そりゃあ姉妹の絆も強くなるだろう。



 タバコに火を付けながら、二人が送ってきた生活を想像する。


 しかし美結ちゃんは高校生か……。多感な時期に辛い思いをしただろうな。今回の事件だって、その影響があったのかもしれない。


 俺の胸の中にはすっかり同情の念が渦巻いていた。それと同時に、ある感情が芽生え始めていたのだ。


 ……俺がこの二人を支えてやれないだろうか。


 それは決して恋とか愛といった類ではなく、純粋な保護欲だった。単純に二人の笑顔を守りたいと思ったのだ。


 もちろん、俺にできることはたかが知れている。だけど俺は自分の気持ちを誤魔化すことができなかった。




「小仏さん……」


 気付けば優花が妹を連れて車の横へ戻ってきていた。



「その、ありがとうございました」


「いや、別に気にしないでくれ」


 ドアの向こう側で深々と頭を下げる彼女に、俺は苦笑いを浮かべる。なんだか今日はやたらとコイツの頭頂部を見ている気がするな。


 このまま話すのも悪いので、吸いかけの煙草を吸殻入れに突っ込み、俺も車の外に出た。


 すると今度は美結ちゃんが俺の前にやってきた。身長差のせいで自然と俺を見上げる形になる。



「アタシのせいでご迷惑をお掛けしちゃって、本当にごめんなさい!」


 美結ちゃんは真っ赤な顔を勢いよく下げた。どうやら彼女は、先程の件で俺が怒っていると思ったらしい。

 そして何を考えているのか、とんでもないことを口走った。



「あの、どうかお姉ちゃんを雇ってあげてください! お詫びが必要なら、アタシの身体を好きにしていいので……」


「美結!?」


「いや、お詫びって……待て、こんなところで土下座すんのはやめろ!!」


 俺は目の前で地面に座り始めた少女を慌てて止める。そんなことをしたら制服が汚れてしまうじゃないか。


 しかし彼女は一向に言うことを聞いてくれない。美結ちゃんは目を瞑って覚悟を決めたようにギュッと拳を握りしめている。


 優花はというと、口をパクパクさせて言葉を失っている。……え、何これ? どういう状況?



「ピッチピチの現役女子高生ですよ? まだ処女だし、お兄さんも可愛い女の子を好きにできるならお買い得でしょ!?」


「お買い得って……スーパーの特売じゃないんだから」


 そもそも成人の俺が女子高生に手を出したら一発アウトでしょうが。姉の優花もぶっ飛んでいるが、妹の美結ちゃんはそれ以上にヤバいな。



「待ってくれ。たしかに人手は欲しいが、それは優花の方だ」


「わ、私!?」


 呆然としていた優花は名前を呼ばれた途端、身体をビクっと跳ねさせた。



「私も処女だけど、まだそういうのは早いっていうか……」


「いや、そういう話じゃないから」


 働き手としてほしいといっただけで、性的な意味は皆無だっての。



「……はぁ。二人を見ていると、なんだか不安になってくるな。悪い話じゃないから、ちょっと冷静になって聞いてくれるか?」



 ◇


「小仏薬局で住み込み……ですか?」


 優花は俺の提案を聞いて、怪訝そうな顔になった。まぁ唐突にそんなことを言われたら、誰だって困惑するよな。



「二世帯で住むのが当たり前だった時代の古い家だから、部屋がかなり余っているんだよ。どうだ? 家賃はかなり抑えめにするし、妹さんとこっちに住んでみたら」


 正直言って、この提案は最大限の譲歩だ。家賃を低くしたのは俺なりの誠意でもある。


 コイツがウチで働いてくれないと、不本意ながらこっちも困るのだ。せっかくの薬剤師をここで逃がせば、村の爺婆たちの期待を裏切ることになっちまう。



「お気持ちはとてもありがたいのですが、妹がなんて言うか――」


「あぁ、まぁそうだよな」


 同級生だった俺たちはともかく、彼女にとっては知らない男から自分の家に住めと言われているんだ。警戒するのも当然だろう。断られちまったら……その時は仕方がないか。


 優花と俺は同時に美結の方へ視線を向ける。



「何言ってるの、お姉ちゃん!!」


「そうよね、小仏さんのご迷惑にもなるし――」


「今すぐに荷物をまとめて引っ越そう! このお兄さんはあの親子と違って、かなりヘタレそうだし。こんなボロアパートなんかより全然良いよ!」


「え? み、美結?? あなた何言ってるのよ!!」


 おい、そのヘタレなお兄さんって俺のことを言ってんのか?


 っていうかその親子って、このアパートの大家たちか? まさかそいつら、美結ちゃんに手を出そうとしたんじゃないだろうな……。


 一方で姉の優花はといえば、俺と美結ちゃんの顔を交互に見比べながら戸惑っていた。

 そしてしばらく一人でブツブツと呟いていたが……何かを決心したような表情になると、俺の目を見つめてきた。



「えっと、それでしたらお言葉に甘えても良いでしょうか……?」


 俺は一瞬だけ目を見開いたものの、やがて安堵のため息をつく。


 とりあえず第一関門突破ってところかな。美結ちゃんの後押しが効いたのか、あるいは単純に俺に対する信用度の問題なのか。


 まぁ何にせよ、これで一つ問題が解決したわけだ。……これから数日は大掃除が必要になるが、それは家主の役目として甘んじて受けるとしよう。



「あぁ、そうしてくれると俺も助かるよ」


「すみません、お手数をおかけします……」


「いいよ、気にすんなって」


 優花はすっかり疲れ切った表情だ。まぁ、この数時間で色々ありすぎたしな。


 気付けば俺は、無意識のうちに彼女の頭を撫でていた。すると優花の頬は瞬く間に紅潮していく。

 そんな光景を見ていた美結ちゃんが、拗ねた子供のように頬を膨らませていた。心配しなくともお姉ちゃんを奪ったりしないって。



「お姉ちゃんばっかりずるい! アタシも頑張ってお手伝いするから、お兄さんもいっぱい触っていいんだよ?」


 美結ちゃんが両腕を広げてくる。だが俺は苦笑しながら首を横に振った。



「残念だが、公序良俗に反するようなことはしないんだ。俺は紳士だからな」


「ふふっ、諦めなさい美結」


「ぶぅー!! お兄さんのケチ!! お姉ちゃんの意地悪!!」


 プンスカと怒り出した美結ちゃんは捨て台詞を吐くと、アパートの中へ駆けていってしまった。



「では、私も身支度をしてきますね」


「あぁ。俺は車の中を整頓しておくから。あと、ちゃんと仲直りをしておいてくれよ? 引越し早々にケンカをされたら俺が気まずいからな」


 優花は笑顔で分かりました、と答えると美結ちゃんの後を追いかけていった。


 さて、俺は俺でやることをやっておくか。



「しかし……こんなことになるとは」


 タケ爺に説明したら、果たしてどんなリアクションをするだろうか。俺があの村に逃げる原因となった女だと知ったら怒るかな……。



「いや、タケ爺のことだから『そうか! それでこそ器のデカい男じゃ!』って言いそうだな」


 俺には分かる。あの人はそういう人だ。


 もちろん、過去のことを許すつもりは全く無い。だけど優花の弱り切った姿を見れただけで、ちょっと溜飲が下がった気がする。



 それよりも気がかりなのは、あの姉妹の扱いを今後どうするかだ。勢いで住み込みを提案してしまったが、俺は母親以外の女性と同じ屋根の下で暮らしたことがない。

 なにもトラブルが起きないと良いのだが……。



「ユッキーお兄さん、荷物持ってきましたよ~!!」


「ちょっと美結!? あだ名で呼ぶなんて失礼でしょ! すみません、小仏さん」


 車の清掃も終わり、一服しようかとタバコを取り出したところで、大荷物を持った優花たちが戻ってきた。



「はは、なんだか賑やかになりそうだな」


 ひとまずは大木姉妹に笑顔が戻ったことを喜ぶとしよう。


 タバコと一緒に不安もポケットにしまい込むと、俺は笑顔で二人を迎え入れるのだった。


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