メンタルエイジ

リアナ

プロローグ

- プロローグ -


──精神と肉体。内面と外見。


これらが時間と共に成長するだなんて、一体誰が決めたのだろう────





夏の朝はエネルギー過多だ。

淡白なビルに反射した太陽光が未だに開ききらない目を鋭く突き刺す。それを防ぐかのように瞼は更に重みを増す。



鬱蒼としたビル街。その中でも生命力強く生きながらえる蝉の声では俺の目覚ましとしての役割を果たしそうにない。



いつも通りの通勤。

いつも通りの景色。



連日ジリジリと音がしそうなくらい強気な太陽。自分のタンパク質が焼け焦げ、くどい脂の臭いがする。そんな錯覚を覚える。


「うぇ…気持ち悪…。」


分かっている。これは太陽のせいじゃない。

二日酔いだ。



昨夜は取引先との懇親会があった。

「これも社会勉強だよ」

そう言われ続け早3年。


懇親会という名のアルコールを飲み続けるサービス残業。ただ、この懇親会が無駄だったと言えば嘘になる。



自分で言うのも変な話だが、それなりに気遣いが出来、空気は読める。

ありがたいことに、ここで多くの契約を手に入れ、俺は同期で1番早く出世していて、昇格も決まっている。これもすべて、体力と健康を引き換えにして……。






「おはよう」


職場につき、隣の席の同期に挨拶する。


「おはよう、昨日も懇親会だったんでしょ。

さすが出世頭さんは違いますね。

早速、取引先から連絡きてたみたい。」


そう言って金森桔梗(かなもり ききょう)は俺にそっと水を差し出す。



この周りを気にしない、1匹狼は何を考えてるか分からないが、気遣いが出来る点からみて、悪い奴ではないと認識している。



ハッキリとした物言いに加え、表情が豊かではない分、決して愛想が良いとは言えないだろう。


その為か、反感を買うことも度々。仕事は出来るが人からの信頼度はあまり厚くはない。「機械的な人間」という表現がぴったりだ。




「この二日酔いの代償だよ。当然だ。」


そう溜め息混じりに呟きつつ、金森をコップの水面越しに見る。

長い黒髪の隙間から見える瞳と目が合う。



黒い髪と同様、底なしを感じるような漆黒の瞳。それと対称的な白い肌。

俺より少し目線が下がるものの、女性の中では高身長。いわゆる美人と評される容姿だ。


しかし、この判然とした容姿が裏目に出ており、金森の性格と相まって人を近づきにくくしている素因となっているとは幾度となく感じている。





「酔いと期待が重過ぎて、もはや悪霊っすね!俺ならさっさと帰って友達と飲み行きたいっす!」


楽しそうに南 心一(みなみ しんいち)が話しかけてくる。ウチの部署では1番若い。髪も部署で1番明るく、エネルギーに溢れている。

学生時代はヤンチャだったと言われても、なんら驚きはしない。




「南はよく口がまわるし、愛想がいいし、こういう懇親会に参加すれば俺よりもっと業績伸ばせると思うけどな。」


「そうじゃないんすよ、面倒なこともやらなきゃいけないっていうのが嫌なんで、接待するくらいなら、ダチとフラフラ飲み歩いてた方が良いっすね。」


なるほど。確かにコイツは目の前の楽しい事に全力だ。いつも友達の輪の中心にいそうな存在感がある。




そんな話をしていると割り込むように青木 春(あおき はる)が俺に飛びついてくる。ほのかにグレープフルーツとウッディ系の香りが漂う。


「おはよ!」


くりくりの丸い大きな瞳がこちらを見つめる。

付き合って半年の彼女。1つ下の後輩だ。会社でも飛びついてくるくらい愛情表現に余念がない。


「朝からの元気だな」


そう言って春の頭にポンポンと触れる。

明るめの肩につくくらいのブラウンの髪がふわふわと揺れる。それと同時に、ピンクのチークとブラウンの髪が合わさり「可愛らしさ」を引き立てる。


半年前くらいに会社での人間関係が上手くいかないと相談にのるようになり、そこから恋愛に発展した。

他部署だというのに毎朝こうやって会いに来ては弁当を渡してくれる。献身的な自慢の彼女だ。


「今日こそ、おうち行ってもいーい?」


少し頬を膨らめつつ、首を傾げながら俺を見つめる。昨日急に入った懇親会のせいで、おうちデートが無くなってしまった。しょうがないと理解はしているものの、少し拗ねているようにも見える。



そんな事を思っていると彼女の瞳の中に嬉しそうな顔をする自分が映っているのに気がつく。

『嬉しそうな顔しやがって』

そう思うと自分の中で熱が産生されていく。



「昨日会えなかったからな。

残業しないように今日は仕事頑張ろうな。」


そんな俺の言葉を聞くなり、ぱぁっと表情が明るくなり、大きく首を立てに振る。

『分かりやすい奴。』

そう思うと愛おしさが湧き上がるが、ここは職場だ。


俺が出世していくのを良く思っていない奴だっている。ヘラヘラしているのを見られれば、悪い噂の1つや2つ。たてられてもしょうがない。感情を圧し殺し、


「そろそろ始業だ。自分の手持ちへ戻れ。」


そう告げた。春はニコっと笑みを見せ、自分の仕事場へと去っていった。





「飯野課長、このような分析結果が出ていますので今後の改訂案を作りました。

やはり現状を変えなければ今後の発展は難しいかと。」


作った資料を持っていった先は飯野 堅(いいの けん)課長。課長という役職からも分かるように、この職場にそこそこ長く勤めている、娘と妻を養う40代。




「んー、案としては良いと思うよ。

でもね、色々と変えるというのは、それなりの犠牲もあるだろうからねぇ。

これは、もう少しそのままで良いんじゃない?」


目を細め、眉間にシワを寄せ、メガネをずらし、資料をやや遠ざけて確認している。


「いいのいいの、このままでいいの。」

これが口癖の完全安定思考、不変を好む課長。

口癖と名前が一致している為、入社して1番最初に名前を覚える事ができた。



「では今後、この分野での発展は望まれないと?」

俺は少し強めに出る。こうなる事は想定済みだ。しかし、せっかく作った資料をここで無駄にするのは少し惜しい。



「もう…なんでそんな事を僕に聞くんだ。また上に相談する案件が増えるじゃないか。キミはまだ若いから分からないかもしれないけど…」


生産性のない小言が始まる。いつもの事だ。

しかし、俺は知っている。こうやって出した案が上に評価されると、まるで自分の手柄かのように課長が振舞っていることを。



『チッ…』

心の中で舌打ちをする。ここにいても成長しない。早く昇進して、この人の下から抜けたい。自分の可能性を広げてみたい。たとえ多少身体を酷使しようとも。これは俺が出世を目指す理由だ。


「じゃあ、頼みましたので。上への確認お願いします。」

「あ、ちょっと!もう…」


背後から聞こえる課長の小言を耳にしながら、その場を去った。





仕事が終わった後の開放感。今なら何でも出来るような気になる不思議な感覚。退社するだけで、こんなにも元気になれるのだから面白い。




「今日は一緒だね♪」


家でワイングラスを傾けつつ春が言う。


「昨日は会えると思ってたのに…。しょうがないけどさ…」

予想通り拗ねていたようだ。


「寂しかった?」

「そりゃそうだよ!でもね、もうすぐ昇進もあるもんね。忙しいだろうけど我慢する。」

そんな健気な姿に元気をもらう。




「もしさ、昇進してお給料上がったら旅行行こ?あとさ、前から行ってみたいお店があって!それから、大きいところに引っ越して同棲したいなぁ。」

「はいはい、昇進出来たらな。」


そう言って彼女の頭を撫でる。グレープフルーツの香りがより一層強くなる。


俺の昇進を喜んでくれる人がいる。俺の頑張りを認めてくれる人がいる。それだけでも幸せな事だと考えながら、今日も夜が更ける。



こうして俺、五條 定行(ごじょう さだゆき)の何気ない日常は過ぎていく。

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