小さな冒険と真っ白な地図のかけら

十弥彦

第一話 はじめのいっぽ

 見上げた空はどこまでも青く澄み、海からの風も清々しい初夏の日の昼前、街は道行く人々で賑わい、そこかしこで子供達が遊ぶ姿が見受けられる。

 広場通りから少し離れた住宅街の路地でもその光景に変わりはなく、井戸端会議に興じる主婦達の声や、子供達の笑い声が建物の中にいても耳に届いていた。

 

 そんなありふれた街の一角にある「海猫亭」という看板のかけられた喫茶店の二階の一部屋では、僅かに開かれたカーテンの隙間から空の天辺に掛かろうとしている太陽の光が差し込み、作りかけらしい何かの機械の傍らで丸くなって気持ち良さそうに眠る小柄な少年の柔らかそうな頬を照らしている。

 見るからに平和という表現そのもののような室内に、誰かが軽く扉を叩く音が響いた。

「いい加減目を覚ませよ、ファル。そろそろ昼になるぞ」

 おそらく同い年くらいであろう声変わり前の少年の声が扉の向こう側からかけられるが、ファルと呼ばれた部屋の主の少年は身じろぎひとつしない。

 そんな室内の様子をうかがうように数秒の間を置くと、今度はかなり強めに扉を叩きながら声を張り上げる。

 しかし、返ってくるのは沈黙のみという結果に、扉の向こう側の少年が大きくため息を吐いた。

 次いで何やら悪態を吐く声と、取っ手を回す音が重なる。

「ファル、入るぞ」

 短い声掛けと共に少年が入って来るが、中の様子を確認するなり呆れたように顔を抑えた。

「返事がないから、どうせこんなことだろうとは思っていたけどな」

 矢張な、と呟きながら改めて部屋の様子を、より正確には部屋の中央の床で丸くなっている主を見てもう一度大きく息を吐き出す。

 部屋の中央に置かれた機械と言い、その周辺に散らばった工具類や設計図らしい数枚の紙と言い、どう見ても「夜遅くまで作業をしていたが、途中で眠気に負けてそのまま眠ってしまった」と言う光景そのものである。

「まったく、夜遅くまで明かりが点いていた次の日は、決まってこれだもんなぁ」

 ただでさえ寝起きが悪いのだから、少しは起こしに来る人間の手間を考えろよな、等とお決まりの文句を漏らしながら、未だに起きる気配のまったくないファルの所まで歩み寄ってしゃがみ込んだ。

「こら、ファル、何時までも寝てないで起きろってば。起きないとまたご飯食べそびれるぞ」

 二度、三度とかなり乱暴な動作で揺すって声をかけると、ファルが小さく唸って更に丸くなる。

 それを繰り返すこと数度、漸くにして観念したのか如何にも渋々と動きで身体を起こした。

 もっとも、ぼんやりとした如何にも眠たそうな琥珀色の瞳で目の前にいる人物を眺めているような状態を起きていると表現できるのかは、疑問が残るところではあるが。

 指でつつけばそのまま倒れ込みそうなファルの雰囲気に起こしに来た少年も同じ感想を抱いたのか、まだ半分以上眠っているな、こいつ、と大きくため息を吐く。

 とは言えど、普段の手間から比べれば今日はまだ素直に起きた方ではある。

「おはよう、ラズ。もう朝?」

「もう昼だよ。そんなことより、夜更かしするなとは言わないけどな、寝るならちゃんとベッドに入って寝ろよ。風邪でも引いたらどうするんだよ」

 少し間を置いて幾分意識がはっきりしてきたのか、しきりに目を擦りながら挨拶を寄越してくるファルに、ここに来る前に彼の兄に渡された冷たい濡れタオルを手渡しながら早速説教をするラズたが、返ってきた「次からは気を付けるよ」と言う言葉にがっくりと肩を落とした。

「あのなぁ、その返事今月だけでももう何回目だ? ったく、本当に治らないよなその癖は」

「自分でもわかってはいるんだけどね、油断するとつい」

 これでも反省はしているんだけどさ、と濡れタオルで顔を拭きながら苦笑を浮かべる相棒に、ほとんど諦めたような表情で手を振って応えると、床に腰を降ろして製作途中の装置をしげしげと眺める。

「それで、昨日は夜遅くまでかかって何を作ってたんだ?」

 全体的に丸めの、長いホースが二本にメーターやらスイッチやらがついたその物体に、水場でよく見掛ける物を連想する。

「ポンプか?」

 思い付いた品名をそのまま口にするラズに、「少し正解」とファルが着替えながら軽く頷いた。

「正確には、蒸気式自動蒸留機って言うんだけどね」

 袖を折り返しながら続けるその言葉に、ラズが首を傾げてその「蒸気式自動蒸留機」とやらを小突いた。

「蒸留って言うと、この前の授業で習った真水をとるあれか」

 間違ってはいないものの先程から引き続いての身も蓋もない解釈の仕方である。

「一言で言えばね。でも、使い方によっては色々と便利だと思うよ?」

 もっとも、当の本人に気にした様子も特になくあっさりと肯定すると、満面の笑みを浮かべて胸を張った。

 なんでも、船に搭載されている給湯機械から改造の着想を得たらしく、動力の小型化と冷却槽の効率化に工夫を凝らし、比較て小さめの器具としてはかなりの蒸留能力が見込める上、見た目通りポンプとしても十分活用が可能、らしい。

 実際はもっと細かい説明を受けたものの、若干早口の上に表現も込み入っている為、適度に相槌を打ちながら右から左へと聞き流すラズである。

 ラズ曰く、こう言う時は迂闊に反応すると非常に長くなるため程々に聞き流す事が大事である、らしい。経験に基づく適切な判断だと言えるだろう。

 説明をしている内にまだ残っていた眠気も吹き飛んだのだろう、大きく伸びをして装置を部屋の隅の部品や工具などの置き場に移動させながら、もっともと言葉を続ける。

「まあ、完成したら、の話だけどさ」

「なんだ、これで完成って訳じゃないのか」

「うん、これは一応仮組してみただけだからさ、まだ細かい調整とかはしてないんだよ」

 試運転の時は声をかけるよ、とにこやかに言う相棒に対し、「ああ」とラズが笑顔で応じる。

 新開発された装置の常として失敗暴走の可能性もある筈だが、そんなことを気にした様子は双方ともに欠片もない。それが互いへの信頼からくるものなのか、ただ単に慣れの問題なのかの判断に困るところではあるが。

「あ、それよりさラズ。今日暇か?」

 装置に続き散らばった設計図や部品、工具類をそれぞれに決められた場所に片付けながらファルが唐突に話題を変える。

「ん? 今日か? そうだな、暇と言えば暇だけど、お前の話次第では急用ができるかもな」

 ろくでもない話だった場合は相手にしないぞと言外にはっきりと漂わせるが、当のファルはと言うと気にした様子もなく、にっと悪戯小僧の笑みを浮かべた。

「そか、暇か。じゃあさ、一緒に地下水道の探検に行こうよ」

 空気の入れ換えでもするのか、窓を開け放ちながら何でもないことのように軽く誘いを掛けてくる幼馴染みに、ラズは一瞬頷きかけるが、言葉の内容を理解して思わず目眩を感じて眉間を抑えて頭を振った。

「ファル、お前なぁ」

「ん?」

「お前、それ本気で言ってるのか?」

「本気でって、当たり前だろ? こんなことで冗談言って何の意味があるんだ?」

 頭を抱える相棒を不思議そうに眺めながら、ファルが首を傾げる。

 予想範囲内のその反応に、更に疲れを増したように大きく息を吐くラズである。

 何やら苦悩しているらしい親友の肩を軽く叩きながら、変な奴だなぁとファルが呟く。

 冗談の方がどんなに気が楽か、とはラズの言い分であるが、おそらくは大多数の人が同意してくれるであろう。

 何故にこうも次から次へとこいつは、と今まであった「冗談よりたちの悪い本気」の数々を思い返しながら顔を上げる。

「あのな、ファル、お化けが本当に出るか確かめるって言って街外れの廃屋で二日間も家に帰らなかったのはついこの前だろう? それからそんなに日が過ぎていないのにまた同じようなことをしたら、リー姉達にどれだけどやされると思う?」

 巻き添えを喰わされるのは、おれはごめんだからな、と今のところとりあえず記憶に新しい騒動を例に出して説得を試みるが、大丈夫、と何を根拠にしているのかまるで不明な自信と明るさを持って断言されてしまった。

「毎度の事だけど、その自信の根拠は何処にあるんだよ、一体」

「内緒」

 非難込みの嘆息を一言であっさりとはぐらかされて、「おい」と引き吊った笑みで睨み付けるが、効果はまるでなし。

「全部が一度にわかったって、楽しくないだろう? そのときまで楽しみにしてなよ」

 独自の理屈でそう諭すと、棚から取り出した縄梯子を軽い掛け声とともに開け放った窓から外へと放り投げる。

「おい、待てこら」

 手際よく縄の端をベッドの足に結びつけるファルに、ラズが再び眉をしかめた。

「今度は、何?」

 相棒の首を傾げる仕草に、それはこっちの台詞だと唸る。

「それ、何だ?」

「見ての通り、縄梯子だけど?」

 どう見てもそれ以外には見えないよな?と反対側に首を倒すファルに、論点が違うだろうと返す。

「おれが聞きたいのは、何でそんなものがあるのかってことだ」

「何だ、そんなことか」

 結び目の具合を確認しつつ何でもない事のように笑顔を浮かべたファル曰く、三日程前の帰宅時に学校の向かい側にある行きつけの雑貨屋で安く売り出されていたらしい。

「ほら、あの時はラズも他の皆も用事でぼく一人で帰ってただろ? だから丁度良いやって」

 みんながいたらまた余計なものを買ってって叱られてただろうしなあ、と明るい笑い声を上げる相棒にラズが本格的に目眩を覚える。

 確かに、三日程前に用事でファルと別々で帰った記憶はある。大分遅れて学校を出た自分が何故か先に帰り着いて、見当違いの方向を彷徨っていたファルを回収に行ったのだから、間違いない。言われてみれば、その時のファルの手にそれらしきものがあったような気もする。

「おれとしたことが、なぜその時に問い詰めなかったんだ」

 かなり本気で悔しがるラスであるが、まさに後悔先にたたずである。

 大体、なぜ普通の街の雑貨屋で縄梯子なんて代物を売っているのかやら、安売りにしたとて他に誰が買うのかやら、一人での帰宅時に見つけたことの何が丁度良いのかやら、改めて問い質したいことがいくつも浮かんでくるが、ぐるぐると巡ってどれから問えば良いのかわからなくなってしまう。

 そんなラズを尻目に、取り敢えず今日は入り口の下見だな、と元気良くファルが宣言する。

「ほら、ラズ、早く行くぞ」

 そう言うが否や、早速窓際に足を掛けようとする親友の首根っこを捕まえて、ずるずると部屋の真ん中に引きずり戻すラズ。

「阿保か、お前は。わざわざ窓から降りなくても、普通に玄関から出れば良いだろうが」

 片手で襟首を捕まえたまま残る片手で入り口を指し示すラズに、ファルが頬を膨らませて、だってと応える。

 曰く、玄関から出掛けようとすると必ず誰かに捕まるから、ぐずぐずしていると伯爵に捕まりそうな気がするから、そろそろ締め切りが迫ってきた姉に追いかけられそうな気がするからと指を折って理由を挙げる。

 

確かに起こり得そうな事ではあるが、だからってなぁ、とラズが襟首を掴む手を緩めたのを見逃さず素早く逃れて窓際へと駆け寄る。

「そう言うわけで、改めて出発」

 慌ててラズが手を伸ばすも捕まるはずもなく、ファルが窓枠に足を掛け身を乗り出す。

「待て、ファル。頼むから、たまには大人しくしてくれ」

「聞こえないー」

 半ば以上本気で懇願する親友の台詞を節をつけた言葉でやり過ごすと、笑顔ひとつ残して手早く縄梯子を伝い降りた。

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