第11話 精霊の子守歌


「ねえねえ知ってる?」

「なになに~」

「最近送ってもないのに当たったって景品が届くんだってー」

「やば~、詐欺じゃないの~?」

「やばいよねー」


 なんてクラスの喧騒が耳に届いて、この前の騒動で噂好きの女生徒は無事だったんだな、なんて、どうでもいいことを考えた。

 何人か生徒が減った中で、睦月エンダが転校してくる前に人気だった男子生徒もまたそのうちの一人のようだった。

 彼がいないから髪が異様に長い他校の生徒も姿は視えなくなった。

 といっても、彼の場合、先日の騒動が関係しているかはわからないけど。


 今日は睦月がいないから教室は少しばかり静かに感じられた。

 バンドのライブ等もあって、ちょくちょく睦月は休みの日がある。芸能学校でもないから単位が取れないんじゃないかと思うが、睦月の人生設計に高校卒業の資格が組み込まれているかは疑問なので問題ないんだろう。

 睦月がいないとなるといつもの取り巻きA、Bも静かなもので――と思って視線を向ければ、睦月に似た人形に向かって延々と祈りを捧げていた。

 洗脳は解除したって話だけどなんか残ってないか?



   ☆★☆★☆



「にーにー、見てみてー」


 ノックもなしにさやが自室の扉を開けてきて、少しほっとした。元気になってきた証拠だろう。

 で、その掌には古めかしい木造りの箱が乗っていた。


「なんだそれ」

「私宛になんか届いた。当たったんだって!」

「当たったって……懸賞でも応募してたのか?」

「した覚えないなー」

 と言いながらもさやの手は箱の蓋を開こうとしていた。


「ま、待て! 詐欺とかだったら――」

「え?」


 僕の静止は空しく後の祭り。

 さやは蓋を開けてしまっていて、慌てる僕を不思議そうな目で見ている。

 木造りの箱の中身は、空だった。


「詐欺、なの?」

「少なくともよくわからんものを勝手に開けちゃだめだぞ」

「あー……ごめんなさい」


 兄の威厳を示す。

 沙羅かわいいなぁなんてまるで思っていない僕の様子にさやはしょんぼりと俯いていた。


「でもなんだろうな、これ」

「なんだろ。かわいいから小物入れにしようかなー」


 かわいい、か?

 さやの趣味はいまいち理解できない。

 彼女の部屋は日に日に暗黒面に堕ちていくようで、その割にホラー映画とかは苦手だったりするからおかしなものだと思ってる。

 沙羅が目を覚ましたら今の部屋を見て飛び上がるんじゃないか?

 



   ☆★☆★☆



 翌朝、さやは大きなあくびをして朝ごはんを食べていた。

 眠れなかったのか?と聞くと、変な夢を見たとかで、あまり寝た気がしないとのことだった。


 特に気にも留めず学校へ行き、授業中にふとさやは寝てないだろうな、なんて考えていた。

 あいつ勉強苦手みたいだから。


 家に帰るとさやがリビングのソファーで寝っ転がっていた。

 珍しくおかえりーとも聞こえず、かといって眠っているわけでもないようだった。


「ただいま。どうした?」

「んー……」

「気分悪いのか?」

「いやー……なんか学校で、おかしくて……」

「なにかあったのか?」

「気づいたら、前の席の子を噛んじゃってて……」


 どういう状況だ?


「なんか、わかんない……」


 さやの状態を見るに落ち込んでいるのか、悲しんでいるのかもわからない。ただぼうっと思考が曖昧になってしまっているような、言うなれば寝起きのようだった。


「寝てないって言ってたし疲れてるんじゃないか? 眠っとけよ」

「んー……にーに、膝かしてー……」

「しかたないな」


 さやの隣に座って膝の上に頭を乗せる。

 うとうとしているようだけど中々眠れなかったみたいなので、髪を撫でてやったら次第に眠っていった。

 気づいたらクラスメイトを噛むようなことってあるだろうか? いや、絶対にないだろう。

 またなにかに巻き込まれてるんじゃないかと不安を抱きながらも、悪夢を見ないようにさやの髪を撫で続けた。



   ☆★☆★☆



「ん、ん……」

 深夜眠っていると、やけに体が重くて目が覚めた。

 ぼんやりと瞼を開けると暗闇の中で、なにかが僕の体の上に乗っている。いつぞやの化物を思い出してぞっとしたけど、そのなにかがさやと気づいて恐怖が取り払われた。


「なにしてんだ」

「……」


 さやの息はやけに荒く、僕の声が届いているかも怪しかった。

 彼女が段々と近づいてくる。


「にーに……」


 吐く息に混ざるような声がかすかに聞こえて、なに寝ぼけてるんだろう、なんて悠長なことを考える。


「……おいしそう」


 と、その言葉は耳元で囁かれた。


「んっ……」


 首筋にさやの息があたって、そのまま噛まれた。

 痛みのない甘噛みに寝ぼけていた頭が夢だろうか、なんて錯覚させる。


「さ、さや」


 声をかけても反応はない。

 けれど、どんどん噛む力が強くなっていく。

 まるで僕の肉を噛みちぎろうとするかのように。


 沙羅に食べられるならやぶさかじゃないんだけど。


 なんて、馬鹿な想いが頭をよぎる。

 ただそこには山ほどのデメリットがあって、現実にしてしまうには問題がありすぎた。


「いっ……さや!」


 噛む力はまだ強くなっていく。

 気のせいじゃなければ、皮が千切れるような音が暗い夜に伝わった。


 さやを呼んでも反応がないから、仕方なく頭を鷲掴みにして引き剝がそうとする。


「ぐっ」


 歯が肉に食い込んでいるのかぴりっとした鋭い痛みに頬が引き攣る。


「ぐぁぁぁぁああっ」


 だけど無理やり、引き剥がした。

 窓のカーテンから漏れる月光が微かにさやを照らしていた。

 僕の血が口から垂れる妹の姿は神秘的で妖しく、綺麗ではあったけれど。


「……あ、あれ? にーに?」


 目が覚めた、ようだったから。

 慌ててさやを抱きしめて、僕を噛んだ首と反対側に頭を引き寄せた。


「なに、あれ? ここにーにの部屋? にーに、どうしたの?」

「寝ぼけてこっち来ちゃったみたいだな」

「ええー……恥ず。それでにーに、なんで、その、抱きしめてるのかなーって」

「それはさておき」

「さておけるのかなぁ……」

「変な夢見なかったか?」

「あー、うん。なんか最近似たような夢ばっかり見るよ。いつも最後に犬みたいな猫みたいなのが、契約しようって」

「契約したのか?」

「いや、なんか嫌な感じがして答えてないよ」


 じゃあそれが原因なんだろう。

 今はこの程度で済んでいるからいいけど、契約した暁になにが起こるのかなんてろくでもない予感しかしない。


「今度その夢見たらさ、言えよ」

「言うって、にーにに?」

「まぁ僕にっていうか、夢の中で僕を呼びな。別に、夢の中だろうと助けに行くから」

「ははっ、なにそれにーに。かっこいー」


 と、さやは笑って。


「それにしてもいつになったら離すのかなーなんて……」


 そう言われても、いま離したらさやが僕を噛んでしまったことがバレてしまう。

 最近夢ちゃんのこともあって気に病ましたくはないから。


「今日はこのまま寝な」

「寝れそうもないんだけど……」

「寝れるよ、頭撫でてやるから」

「そんな単純じゃないんだけどなー」


 そんな言葉に信憑性はなくて。

 さやを抱きしめたままベッドに寝ころんで、頭を撫でていたら、次第にすやすやと寝息が聞こえてきた。

 朝、さやが目覚める前に彼女の口を拭いて、一階の救急箱で手当てすれば噛み跡はバレないだろう。

 何時間かさやを見守っていると、寝言でおにいちゃん、と聞こえてきた。

 無意識ではにーにって呼び慣れてないのかな、なんて思ったけど、そりゃ後付けで呼び始めた言葉だし定着しないのかもな、と納得する。


 さあ、頑張れ夢の中の僕。

 夢の中だろうとなんだろうと僕ならできるだろう。

 僕に置ける信頼なんてその一つしかない。

 妹を守ること以外に、僕の取り柄なんてないんだから。



   ☆★☆★☆



「にーに、おはよ」

 翌朝、休日だったのもあって、部屋でのんびりとしているとさやがベッドで目を覚ましたようだった。

「おはよう。変な夢みたか?」

「あんまり覚えてないんだけど、でも、にーにが助けてくれた気がするよ」

「そっか」


 眠気も取れているようだし、悪夢にうなされている様子もなかったから、その問題はおそらく解決したんだろう。


「そういえばさやが小物入れにするって言ってたこれ、貰うぞ」

「え、うん。ほしかったの?」

「まぁ、そうだな」

「ふーん」


 古めかしい壊れそうな木箱のそれ。

 これを開いた日からさやは悪夢を見るようになった。

 じゃあ、これが始まりなんだろう。

 だから原因を片付けておかないと、さやが同じ夢を見る可能性がまだ残っている。


「じゃあ僕は少し眠るから、ベッドからどいてくれないか」

「いやー」

「いや、あの、寝るんですけど……」

「だから、いやー。ほら、寝ていいよ。空いてるよー」


 ばさばさと布団を叩いて、横のスペースに誘ってくる。

 言っても聞かなそうなので仕方なく横で寝ころんだ。正直、あまり寝てないから無駄なやりとりをする元気もなかった。


「ねーんねーんこーろりーよー」


 僕の頭を撫でながらさやが子守歌を歌いだす。

 昨日のお返しだろうか。

 いつもならたしなめて追い払うところだけど、今日に限っては眠気から逃げられそうもないから、段々と意識が遠のいていった。


「守ってくれてありがと、にーに」


 というさやの言葉が、夢かうつつかわからないままに。



   ☆★☆★☆



 僕の部屋の至るところが罅割れていて、机は壊れ本棚は崩れていた。

 紫色の空にはまん丸の暗闇がぽっかりと穴をあけている。

 道路には当たり前のように化物が跋扈ばっこしていて、悲鳴が耳に馴染むまもなく新しい悲鳴が鳴っている。


「どんな世界でも貴方のままに! 吾輩と契約しませんか?」


 道化の服を着た小人が玉に乗りながらポーズを決めている。

 そうか、こいつがな。


「お前はなんなんだ?」

「吾輩は精霊です。貴方にどんな力でも与えましょう! なんならお試し期間もありますよ?」


 さやのあれはお試し期間だったわけだ。


「なるほどなるほど」

「さあさ、どう致しますか?」

「そうだな」

 

 小人の頭を指で掴んで持ち上げる。


「ややや、どうされましたお客様!」

「誰が客だよ。人の夢に入り込んで悪さする程度の精霊が」

「なんのことでっしゃろか」

「キャラ崩れてんだよ。お前が前に入り込んだ女の子のところで、僕は出てこなかったのか?」

「い、いや、お客様のような恐い方は……白馬に乗ったかぼちゃパンツの王子に邪魔されましたけども」


 ぼ、僕か?


「最後は胸からミサイル発射されまして、いやはや想像力の豊かな……」


 さやの中の僕はどういう存在なんだ。


「まぁいいや。それの元ネタは僕なわけだけど」

「あらまぁ、お知り合いでしたか」

「お前は僕の世界で、どんな目に合いたいって?」

「いや、いやはや……」


 さやが成功していたようだから予想はしていたけど、人の夢に入り込んで契約を持ち掛けるくらいだから、この精霊には意思を強制する力なんてものはない。

 つまり、夢の世界だろうとこっちが強いわけだ。

 この夢は僕の世界なんだから。


「あや、あやや……」


 たらたらと汗を流す道化を窓の外に放り投げる。


「二度と悪さしなければいいんだよ……八つ当たりも入ってるけど」


 地面が割れて地層の奥から何百の巨大な蛇が現れる。

 遠くで小人のピエロが悲鳴を上げていた。それは僕の眠りが覚めるまで、延々と空に響いていた。


 沙羅に噛まれる、というのは。

 ある種の一つの終着駅だった。

 だけど、それをして沙羅が喜ぶ未来は視えないし、沙羅を守ることもできなくなる。

 だからそんな望みを持っちゃいけないと、ずっと昔に捨てた願いだった。

 それを不意に呼び起こされて、少しだけ腹が立った。

 甘くて弱い自分の心に。



 それから壊れそうな古い木箱は僕の本棚に置いている。

 たまに夜になると蓋が勝手に開いているような気がするけど、散歩でもしているんだろうか。

 特におかしな噂も聞かなくなったし、まぁいいか。

 僕とさやに干渉しなければ。




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