第76話 万霊祭当日
あっという間に万霊祭の当日がやって来て、リリカとウィルジアは朝早くに起き出し、そして下町に繰り出す準備をした。
「では、僭越ながら私の方で変装を施させていただきますっ」
リリカはこの日のために用意しておいたかつらをウィルジアに装着する。王都でよく見かける、くすんだ茶色い髪のものである。これならば金髪よりも目立たないだろう。かつらを被せ、不自然にならないように整えた。
「眼鏡もかけてください」
「うん」
リリカがウィルジアに眼鏡を差し出し、かけてもらう。
リリカが日々一生懸命整えている美しい金髪を隠し、前髪が長めの茶色いかつらを被って特徴的な緑色の瞳を眼鏡で霞ませたおかげで、大分普通に近づいた。ウィルジアはかつらを触りながら言う。
「髪型が昔に戻ったみたいだ」
「以前はこれよりもっと長かったですけどね」
既に服装は平民用のものを用意して着て貰っているので、かなりそれっぽい。
ウィルジアは変装した自身の姿を鏡でまじまじと見つめていた。
「これなら僕が公爵だと気がつかれないね。よしじゃあ、練習どおり早速ウィルって呼んでみて」
きた、とリリカは身構える。
大丈夫、練習通りにやればいい。これは演技、これは演技、と自分に言い聞かせ、息を大きく吸って吐き、リリカは言った。
「き、今日はよろしくね、ウィル!」
「うん、よろしくリリカ」
ウィルジアからの返事を聞いたリリカは瞬間、顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「あううう、やっぱり恐れ多すぎますっ……」
「僕は楽しいよ」
「楽しいんですか……」
「うん。リリカに対等に接してもらえるのが、嬉しい」
伊達眼鏡の奥で細めた緑色の瞳と目が合う。柔らかく微笑んだウィルジアは心底嬉しそうな顔をしていて、リリカは胸がきゅうっとなるのを感じた。
そんな顔されると、リリカは落ち着かなくなる。ご主人様として見れなくなりそうで、怖い。
このところ、リリカは自分が変だという自覚がある。今までだってリリカの生活は常にウィルジアのことを考えて動いていたのだが、最近では無意識にウィルジアのことを目で追っていたり、考えていたり、今までと違う感覚に支配されそうになっている。
リリカは心の中で、己を戒めた。
(ダメよリリカ、何考えてるの! ウィルジア様がいくら優しくても、あくまでご主人様! 分をわきまえないとダメなんだから)
「リリカの知り合いに会えるの、楽しみだな」
「あうっ!?」
「じゃあ行こうか」
「あ、は、はい!」
リリカの心の葛藤など知らないウィルジアは、さも楽しそうにそう言うと、いそいそと屋敷の玄関に向かって歩き出して行った。
リリカとウィルジアが下町に着くと、早速近所に住んでいる人に声をかけられる。普段大工仕事をしている人物で、広場で今日のために長机を用意しているところだった。
皆、張り切って支度をしており、朝だと言うのに慌ただしい。
「よぉ、おはようリリカ! 待ってたぞ! おや、一緒にいるのは誰だ?」
「お、おはよう。この人は……」
「ルクレール公爵邸で働く、従僕のウィルです。今日は手伝いに来ました」
「おぉ、そうか! 人手はどれだけあっても困らないから、助かるぜ!」
そう言ってバシバシとウィルジアの肩を叩き、豪快に笑う。それを皮切りに、広場にいた人々は作業の手を止めてリリカの周囲に集まってきた。
「リリカ、休みもらえたんだな」
「リリカとおばあちゃんの作るミートパイが好きだから、来てくれてよかったぜ」
「うちの息子もリリカが来てるのを知ったら大喜びだ! ところで手伝いのウィルさんとやらは、一体リリカとどういう関係なんだ?」
「か、関係!?」
「ただの仕事仲間です」
焦るリリカをよそに、ウィルジアがにこやかに答えた。
「ほぉ、仕事仲間なぁ。……ところでルクレール公爵様っていうのは、ものすごく変わった方だと評判だが、実際のところはどうなんだ?」
「王族としての適性がなさすぎて、王位継承権を放棄させられ森の中に住んでいるという話だが、そんなところで働いていて大丈夫か?」
王都を駆け巡るまことしやかな噂の真偽を確かめようと、人々が声をひそめて疑問を呈してくる。
リリカは、内心の焦りを隠しきれなかった。
ここにいるのがそのウィルジア様ご本人だというのに、そんなことを耳に入れたら一大事だ。いくら正体を隠しているとはいえ、不敬罪で死刑になってもおかしくない暴言だ。
これ以上誰かが何かを言う前になんとかしなければ。リリカは大声を出した。
「ウィルジア様は素晴らしいお方で、そうした噂の数々は全て誤解ですっ!」
「……そうか?」
「そうなのか?」
「そうです! ウィルジア様は博識で、優しくて、頼りになって、お顔立ちも整っていらっしゃって、平民で使用人である私のこともいつも気遣ってくださる、王族にふさわしい気品と振る舞いを備えた完全無欠のお方ですっ。根も葉もない噂に惑わされてはなりません!」
集まった人々は目配せし合った。
「まあ、実際に働いてるリリカがそう言うなら、そうなんだろうな」
「悪いこと聞いたな。すまんすまん」
「俺たちの大事なリリカが妙な場所で働いていたら可哀想だと思って」
「何せリリカはヘレンさんに育てられたから、真面目すぎるだろ?」
「もしも職場環境が酷かったら、一言物申してやろうと思っていたんだよ」
「私もう子供じゃないから、そんなに心配してもらわなくても大丈夫ですよ」
リリカは少々むくれた。
「いや、わかってるんだがなぁ。小さい頃のリリカを知っている俺らからすると、まだまだ気がかりで」
「リリカが誰よりも強くてすごいことは知ってるんだがな」
「仕事に忠実なのはいいけど、体壊さないようにな!」
「ウィルさん、リリカが無茶しないように見張っててくれよ!」
皆はウィルジアの肩や背中をばっしんばっしん遠慮なく叩き、仕事に戻って行った。
リリカはおばあちゃんの家へ向かいながら、誰も周囲にいないのを確認しこっそりとウィルジアに謝罪する。
「ウィルジア様、申し訳ありません。皆いい人たちなんですけど、ちょっと信じやすくって、噂に惑わされていたみたいで……」
「さっきの話なら、事実だから気にしてないよ。むしろリリカが僕のこと褒めすぎで誤解を招く」
「そんなことありません。ウィルジア様はとても素敵なお方です。私の本音です」
リリカは小声で力説しながらウィルジアの顔をふり仰ぐと、ウィルジアの顔が心なしか赤くなっていた。
「いや、もうほんとに……なんでもないや。ありがとう」
「?」
「それより、これからリリカのおばあさんの家に行くんだろう? どのあたりなんだい」
「突き当たりを曲がってすぐの、あの家です」
リリカが指差したのは、周囲の家となんら変わらない、ごくありふれた石造りの家だ。帰宅は風邪をひいた後以来なので、結構久しぶりだった。
リリカは少し緊張していた。
(ウィルジア様の正体、おばあちゃんに見破られないかな……おばあちゃんは結構鋭いから、すぐに気がつかれそう。そうしたらなんて言い訳しよう)
「リリカ?」
「あ、すみません。入りましょう」
「うん」
リリカは考えるのをやめ、なるようになれと言う気持ちで久々におばあちゃんの家の扉を叩いた。
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