第28話 擬態の音を聞く

 その後は沢井より、第二の被害者・佐々木茜についての捜査内容が報告された。ここに来る前に立ち寄った捜査本部で仕入れた情報らしい。

 ちなみに守秘義務違反をすると刑事罰が課されるわけだが、沢井曰く「どうせ隠しても恭太郎が聞いてしまう」ので、自分の口から必要事項だけをあらかじめ開示する気のようである。

「ってなもんで、佐々木茜も前の被害者とおなじく、実親との関係はおもわしくなかった。実家から出て一人暮らし。ふだんはネットの虫というか──基本はネトゲだのSNSだのばかりで友人もいない。仕事は、半年前に精神の病で退職しており、ここ最近は失業手当を受け取っていた」

「精神の病?」

 と、将臣。

 その問いには三國が答えた。

「職場に提出した診断書には、適応障害と。そんなもんで退職後の半年間、彼女の生存確認はアパートの住人の証言にとどまってまして──それもひと月前が最後でした」

「その半年、親と連絡もとってないの?」

「ええ。親からもしねえし娘からもこねえ。いまはSNSアカウントを目下追跡中でさァ。なんせこちらも、携帯やらパソコンやらがなんもなくなっちまってんで、手がかりが」

「はー。そこまで人との交流を隔絶できるものなのね。つまりふたりは、現実世界じゃ姿が消えても緊急で捜されるような立場ではなかったということか」

 といって、三橋は険しく顔をしかめた。

 部下の推理をうけて沢井はぼんやりと一花を見る。おもえば彼女に声をかけた頃、歓楽街にはそういった『現実世界に居場所のない子』が多かった。親がろくでなしゆえの子もいれば、弱い心からの逃避行動の子もいた。そういう子どもたちはたいてい、犯罪グループに目をつけられて声をかけられる。居場所に飢えた子どもたちはたとえ相手が不穏当であろうと、甘い密に誘われたカブトムシのように惹かれてしまう。

 ゆえに殊更、こうして楽しそうに日々を送る一花を見ると、つくづく良かったなぁとおもってしまう。これぞなけなしの父性かもしれぬ。

 俺に父性か──と沢井は周囲に気付かれぬ程度に苦笑した。が、心に思った瞬間から忌々しくもこの男には漏れている。

「龍さんに感謝しろよイッカ。おまえの反抗期にさんざん構ってくれたんだからな!」

「……おい恭。てめえのその耳、どうにかして蓋が出来ねえのか」

「そんな方法があるならとっくにやってる」

「それもそうか──」

 ド正論を前にことばを失くす沢井に代わって、三橋がおずおずと手を挙げた。

「ねえ恭太郎くん。その、中の声っていうのはいったいどういう風に聞こえるの? たとえばまったく聞こえない人とかはいないの? あ、気に障ったならごめんね」

「構いませんとも! 綾さんはウソがなくってとてもいいです。そうだなあ──聞こえないというか」

 と、なぜか将臣を見る恭太郎。

 彼は食べることに集中している。恭太郎はなおも将臣を眺めてから、三橋に視線をもどした。

「たとえばコイツ。ホトケの術かなんか知らんが、将臣の声はふだん聞こえない。コイツが口をひらくのがめんどうくさいときなんかに聞こえてきます。たとえばいま、『見るなうっとうしい』と怒られた」

「それは、将臣くんの声として聞こえているということ?」

「そう。ふだん聞く声となんら変わらない。べつに変質するわけじゃないしエコーもかからない。ただちょっと、ざわつくくらいで」

「ざわつく?」

「うん。中はキドアイラクも音になるから」

「────どういうこと?」

 おもわず三橋は将臣を見る。

 彼はいつ追加注文したのか新たに担々麺をすすっていた。汁を飛ばさないようきれいに食いあげて、スープをひと口。ナプキンで口元をぬぐってようやく面を上げる。

「おれには聞こえないからこいつから聞くかぎりの憶測ですけど……どうも恭は心中の声だけじゃなくて、抱く情もいっしょに聞き取っているようです。ご自分に置き換えて考えてみるとわかりやすいですよ。われわれ人間は、声に出さずとも思うことがある。しかしそれは時に、言葉では形容しがたい感情というものもあるでしょう」

「ああ、先輩上司にうぜえこと言われたあとのむかつきとかかィ」

 三國は半笑いでつぶやく。

 なぜかとなりの森谷がびくりと肩を揺らした。

「ええ。日本人はそういう感情を『もやもや』とか『イライラ』、『ドキドキ』、『ざわざわ』──いろんな擬態語であらわしてきました。そういうのが音になって恭の耳に届くらしいです」

「なるほどねえ」

「そういやコンサートホールでも、吊り照明が落ちる前に声を聞いたとか言ったな。怯懦の感情だったってよ」

「キョウダだかギョウザだか知らんが、声は聞こえた。でもあれは声っていうより……やっぱり、音に近いんだ」

 恭太郎が椅子の背もたれに身をあずけた。

 ほんとうに心当たりはないのか、と沢井が三人をじろりと見渡す。将臣はどこ吹く風で目をそらすが、一花は伸びをしながら「うあーん」とうめいた。

「心当たりってんじゃないけどサ。あンひと、けっきょくずーっと戻ってこなかったよねエ」

「あの人?」

 沢井が眉をひそめる。

「ふ。ふり、ふる」

「古坂さんダッ!」

「古川さん、だ」

 互いが互いにかぶせるようにして、将臣はぎろりと沢井を見た。

「たしかに照明機器のようすを見に行くといったまま、楽屋に戻ってこなかったのはほんとうです。でもおれたちだって、最終打ち合わせが始まるからって楽屋を途中退出していますからその後どうだったのかは──それにあれだけホールに講堂職員の目があれば、あの段階で照明に遺体を乗せるのは難しいと思いますよ」

「ムム……」

「あいっけね、その件なんですがねィ」

 と、三國が自身の頭をぽこんと叩いた。

 大事なことにも関わらず、いまのいままですっかり忘れていた自身への叱咤らしい。それからすぐにカバンを漁ってファイルに入った紙束を取り出した。先ほど彼が提示したリストとおなじく、表紙に書かれたゴシック文字が内容をあらわしている。

 ああん、と沢井が眉をしかめた。

「『セキュリティ開錠記録リスト』ォ?」

「ええ。前日夜に、セキュリティカードを使って講堂建物に入った人間がいないかを調べるため、セキュリティ会社に出力してもらったものでさァ。ええっと」

 三國がすばやく紙をめくる。

「このページからが、遺体発見前日の閉館後からの記録。まあ見たとおり講堂職員のセキュリティカードを使って退出した痕跡は見られません。ただ、所轄が職員に聞き込んだかぎりじゃ、少なからず穴はある──ってな証言もあったそうですぜ」

「どんな穴だよ」

「あの講堂は基本的に、入口からあのロビー部分に限って言えば、一般市民の立入は可能なんです。ホール内となると受付に声をかけなきゃなりませんが、とはいえホールへの扉のところがガチガチに警備されているわけでもねえ。主催者側のスタッフには、首から赤い紐の名札みてえなのぶら下げてもらう決まりだそうですが、そんなもの似たようなのなんざ百均にだって売ってまさァ。つまりそれ引っ提げてりゃ建物内のどこにでも行き放題ってわけです」

「…………!」

 沢井と将臣の目が同時に光る。

 どうやらおなじタイミングで、ひとつの可能性に行き当たったようである。沢井はぐしゃりと頭を掻きつぶした。

「ちなみに、夜間見回りは?」

「閉館時と、講堂職員の退勤時にひと通りの見回りがあるそうです。ただ、閉館時にしっかり見回ればあとは同僚たちしかいませんから、退勤時の見回りは軽くなんだと」

「そうか──だったら、前日の開館時間内に建物に入り、トイレかステージ裏かどっかに身をひそめて、職員退勤後まで我慢していりゃあ人目のないホールに入ることは可能なわけだ」

「そうすね。翌朝の開館時間で客の入りを見ながら混じって外に出りゃあ、意外と気づかれねえものかもしれませんぜ」

 といって三國はにやりとわらう。

 そうなると、遺体発見前数時間のアリバイを聞いたところで無意味である。沢井はぐたりと椅子の背もたれに首をあずけて森谷を見た。

「……前日の行動から、スタッフだけでも再度洗い直す必要があるな」

「オーケイ。まあでもスタッフの大半、平日会社員っていう二足の草鞋でやっとるみたいやし。アリバイ掴むのはそうむずかしくないんちゃうか」

「いちど班で擦り合わせするか」

 どうやらまとまったらしい。

 沢井は「事件の話はしまいだ、飯がまずくなる」と言って、来店してからおよそ一時間でほとんど手をつけていない料理を片っ端から皿に盛った。ここからは事件とは関係のない、最近の大学生の傾向だったり各人のプライベートだったり──と、他愛ない話で盛り上がった。


 宴の終盤。

 さんざ食った一行は、上機嫌で店を出る。

 ただひとり一花だけがそわそわと落ち着かなげに虚空を見つめている。

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