第17話 旋律とのつながり
間仕切られた四人席。
かまわず恭太郎は囲いのついたてをはずし、となりの四人席にどっかりと腰かける。背後の一花と将臣はするすると躊躇なくそちらの席に腰を落ち着かせた。将臣は品書きを取ったが、恭太郎と一花は見ることもなく、
「カツカレー!」
と、厨房へさけんだ。
一拍おいて水を運んできた千枝子に、将臣が「唐揚げ定食、食後にカツカレーを」と注文する。
(食後にカツカレー……?)
などという疑問も、あのビュッフェでのすがたを見ればもはや湧かない。
しかし沢井のとなりに座る三橋は、珍妙な顔で沢井と三人組を交互に見据えた。どういう関係なのかを知りたくてたまらないといった顔だ。
「沢井さん──」
「みなまで言うな。紹介するから」
と、困惑する後輩をおさえた沢井だが、こちらが紹介するまでもなく恭太郎はがたりと立ち上がった。ずかずかと警察側の席に踏み込んで沢井の背後にまわりこみ、椅子の背もたれにガッと手をかける。にこぉ、と天真爛漫な笑みを浮かべる彼は「なあなあッ」と沢井の椅子をがたがたと揺らす。
うるさいガキである。
「姉上だよ。会ったんだろ?」
「ああ──藤宮センセイだろ。さっきな。……っあァ椅子揺らすのをやめろ!」
「へえ。藤宮先生の弟さんですかィ。どおりで顔が良い」
三國はまじまじと恭太郎を覗く。
無遠慮に見つめられているにもかかわらず、恭太郎は機嫌を損ねることもなく上機嫌に答えた。
「あの鉄面皮はいちおう僕の姉なんです。気が強いうえに嬉々として死体を切り刻むものだからみごとに行き遅れていまして。ふだんからみなさんに迷惑をかけてないだろうかと弟の僕も心配しているのです!」
となりの席で将臣が「お前に心配されたら世も末だ」とつぶやいている。
ふいに沢井のまくりあげられた袖がクイと引っ張られた。三橋だ。なぜか彼女はほれ見たことか、という顔で沢井に顔を寄せる。
「やっぱり死体、嬉々として刻むタイプの人だったじゃないですか」
「……まあ大なり小なり、ふつうとちがう感覚がねえとできねえ仕事かもな。……」
「それでこの子たちは? 沢井さんとはどういうご関係なんです」
「龍さんだけじゃない。そっちの、シゲさんとも知り合いだ!」
というや恭太郎は、こんどは森谷の背後にまわりこみ椅子を揺らした。
まるで子どもだ。──小学校低学年くらいの。
がくがくと揺れるのもかまわずに、森谷は端的に彼ら三人を紹介する。
「オレとそっちの三人は、こないだの休暇で知り合うてん。奥から古賀一花、浅利将臣、ほんで彼が藤宮恭太郎や。イッカと恭クンは、龍クンとずっとむかしから知り合いみたいやけど」
「少年刑事課のついでで声をかけていただけだ。つい先日、ちょうどこの店で再会したんだよ」
と、吸い始めたばかりの煙草を灰皿に押しつけた。
それからは彼らと出会った簡単な経緯や関係性など、後輩ふたりから矢継ぎ早に飛ぶ質問に淡々と答えていった。さんざん動きまわっていた恭太郎も千枝子がカツカレーを運ぶところを見るや、さっさと自席にもどって食事をはじめる。
ほかのふたりが皿半分を食べ終えたところでひと定食を完食した将臣が、三國と三橋を交互に見てから森谷を見た。
「そちらのおふたりも、警察の方ですか」
「ああ、紹介遅れてもうて。こっちがオレのバディ、三國貴峰巡査部長。こっちが龍クンのバディやっとる三橋綾乃巡査部長や」
紹介にあずかったふたりは目礼。
千枝子から食後のカツカレーを受け取った将臣は、ていねいに頭を下げて
「浅利将臣と申します」
と再度自己紹介をした。
一分の隙もない所作を前に、三橋は感嘆のため息とともに三國へ「見習いなさいよ」というじめついた視線を送る。が、そんな視線に屈するような肝の男ではない。彼はぺろっと舌を出して三橋との無言の挑発試合に反撃する。
そのあいだにも驚異的なスピードでカツカレーを食べる将臣は、さいごのひと口をスプーンで掬いあげたところでアッと声をあげた。
「そういえば森谷さん、先日言ってた真嶋史織さんというピアニストの方ですが」
「いま……いまその名前言わんとってや。オレは今日のこの日を半年も前からたのしみにしとったんや。それやのに、それやのに……!」
「はあ、そうですか」
それで真嶋さんと、と一ミリも同情せずに将臣はつづける。
「先日うちの大学でお会いしまして」
「…………おま、あ? え。会うた?」
「ええ。いろいろと縁あって、本日のコンサートに招待いただけることになったんです。ですので会場でお会いするかもしれませんねと言おうとしたんですが──そのご様子だと本日のコンサートは行けなさそうですね」
「ご愁傷さまア」
と、カレーを食べ終えた一花がスプーンをぺろりと舐めた。
それを聞くや森谷はくちびるを噛みちぎらんばかりに噛みしめて、目を剥いた。いまにもその双眸から血の涙がこぼれ落ちそうだ。むりもない。あれほど真嶋史織についての愛を熱く語れる情があるというのに、公僕的プライオリティが邪魔をするなんて。
さすがの沢井も、哀れにおもった。ふーむと腕組みをする。
「そのコンサートは何時までなんだよ」
「十八時から二十時を予定しています」
さいごのひと口を食べ終えた将臣が、口元をナプキンでぬぐう。
二十時か、と沢井がうなる。
「だったら森谷。おまえ、そのあいだ休憩ってことにしろよ」
「エッ」
「課長には俺からそれとなく伝えといてやるから。その代わり、三國へのご恩返しはそうとうなものになりそうだけどな」
「いいですぜィ。今後半年くらいの昼飯代でチャラにしてあげまさァ」
「え、ええんか。……ええんかホンマに?」
「三國の世話はわたしがしますから、ご心配なく。戻ったらバリバリ働いてもらいますけどね!」
といってわらう三橋。
いつになくあたたかい同僚たちを前に、森谷はとうとう瞳に涙をにじませた。
「おおきに! おおきにやで!」
「まったく。いつまでもその辛気くせェツラ見せられても敵わねえしな」苦笑する沢井。
「ぶっちゃけ森谷さんいなくても支障ないですし」茶を啜る三國。
「よっし、これで森谷さんに貸し一できた」握り拳をつくる三橋。
それぞれ好き勝手なことを言っているが、いまの森谷にはすべてが天から与え給うた甘言のごとし。まるで選挙活動中の政治家のように席を立って、ひとりひとりと握手を交わす。なぜか隣卓まで。
一花と将臣はしぶしぶ握手をするが、恭太郎は握手をするやグッと森谷を引き寄せた。しぜんと恭太郎の口が森谷の耳元に近づく。
「あの旋律、真嶋史織は知ってたぞ」
ぼそり。
つぶやく恭太郎に、森谷はパッと身を離した。
この破天荒な青年を前に眉をひそめる。
「あのイッカが聞いたやつか?」
「そう。……ああそうか」
カク、と恭太郎の首がかたむいた。
「──その中野のおんなの人も、あそこで死んでたんだっけ」
そのまま視線が一花に向けられる。
彼女はキョトンとして恭太郎と森谷を見比べる。しかし代わりに恭太郎の意図をくみ取ったか、ただの興味か──将臣が立ったままの森谷へと顔を向けた。
「その方の、生前のお写真はありませんか」
「え。……」
「一花が見ているかも。中野の方。確認したいんですが」
なるほど、このやろう。
森谷は眉をぴくりとうごかした。つまるところ、恭太郎が森谷の脳内にめぐっていた『中田聡美』についての情報を聞き、一花がその被害者の霊的なものを見たかどうかを確認したい、と。将臣の申し出はこういう流れからきているらしい。
馬鹿にするな、とおもう。
捜査一課の刑事がそうやすやすと捜査資料を明け渡すわけにはいかない。背後で聞いていた三橋も、一瞬にして目の色を変えて沢井に問いかける。
「ガイシャが中野住みだということは、まだ報道関係者にも渡っていないはずですよ。なぜ彼らがそれを知っているんです?」
「……いろいろと、込み入ってるもんでよ」
沢井は苦虫を噛み潰したような顔でつぶやくと、胸ポケットから一枚の写真を取り出した。被害者である中田聡美の証明写真を拡大したものである。
「おらこれだ」
「さ、沢井さん!」
三橋があわてた。
しかしその写真を取り上げる前に、恭太郎がさっさと奪い取る。それから一花の前に突きつけた。
「この顔だ。どう?」
「…………」
一花はまじまじと写真を見た。
やがて「嗚呼」と空気を吐き出すようにつぶやく。
「学校じゃない。そっちの道にいた子だ」
「歌ってたんだな」
「そォ……」
といって思い出したようにあの旋律を口ずさむ一花の頭を、恭太郎はがむしゃらに搔きまわしてから、写真を沢井に返した。
「ほら見ろ。言ったとおりだったッ」
「な、なんだってんだ。つまり」
とは言ったが沢井の内心は穏やかじゃない。
いつぞや、一花が聞いたという旋律について話した将臣のことば。
──とんでもないものが裏にあるような気がしてならないんですよ。
恭太郎は、その内心も聞いたのだろう。
「そうだ。だから僕らは最初っからそういう話をしていたんだろうがッ」
と偉そうにふんぞり返った。
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