第5話 三人組のいきさつ

 お噂はかねがね、と。

 将臣は含み笑いを浮かべて沢井に頭を下げた。所作言動すべてが、いちいち老成した青少年である。しかしこの小一時間ほどの語らいで、沢井もだんだんと彼の本質が読めてきた(おもえば小一時間で大皿四つというのも恐ろしい話であるが)。

 都内某所の寺院に生まれ、僧職免許を取るべく白泉大学文学部文化史学科に進学したのだという。免許必修科目を取れば自動的に僧侶になれるから、と彼は言ったが、どうも話を聞くかぎり『家から近いから』という理由の方が大きいように思える。

 とはいえ、家から近いからという単純な理由で気軽に受けられるほど、文化史学科は当該大学のなかでも偏差値は低くない。彼との会話の端々にうかがえる教養と知識をおもえば、おどろくことでもないのかもしれないが。

(つくづく隙のないガキだな)

 と、沢井は素直に感心してしまった。


「あのふたりとは高校のときに知り合いました」

 ケーキを一口。

 大皿五枚を食べ終えて、ようやくデザートタイムに入ってくれた。もはやその食べっぷりを見ているだけで満腹になった沢井は、内心でホッとする。

 将臣はつづけた。

「あのふたり、ちょっと──いや、だいぶおかしいでしょう。だから高校のときも浮いていたんです。おなじクラスだったから、余計に」

「君もおなじクラスだったのか」

「ええ。たまたま目をつけられて」

「目を?」

「出席番号で」

「なぜ」

「“あ”さかが、のおれが一番で、“こ”が、の一花が十一番で、“ふ”じみや、の恭太郎が三十一番だったんです。それだけ」

「…………二十一番は?」

「“と”がわくんっていう男の子だったんですが、あいつらから徹底的に距離を取っていたものですから。あいつらもそちらは諦めて、執拗におれを追っかけ回すようになった」

 将臣の目がわずかに虚ろになった。

「生け贄になったわけだ。君が」

「──むこうも楽だったんだとおもいます。彼らはすこし人と違うところがあるから……」

 人と違う、と言ったところで将臣はフォークを置いた。ここまで小一時間と食べながら会話をしてきたが、食い物が残っているにもかかわらず彼が手を止めたのは初めてだった。その目は、探るように沢井の瞳を覗き込んでくる。

 思考の奥を見られているようで、なんとなく不快になる。こちらの感情が伝わったのか否か、彼は失礼、と言って頬をほころばせた。

「恭から聞きました。沢井さんは一花に、とても親身になってくれた大人だったと。自分たちの体質のことはなにも知らないだろうけれど、きっと知ったところで変わりはしないだろう──とも。よほどあのふたりから信頼されているんだなぁとおもって、驚いたんですよ」

「あの恭がぁ? ……体質云々はたしかに意味分からねえが、もしかして」

 沢井は森谷へ視線を移す。

「昼間になんか言ってたよな。あれと関係してんのか?」

「ああ、うん。──せやな。大いに関係しとる。せやからくわしく理解してもらうためにこうやってここに連れてきたんやで。オレも離島で初めてあいつらと関わったときは、まークンの解説なしにはよう理解出来ひんかったさかい」

 といって、森谷は苦笑した。

 将臣の説明ならばさぞ分かりやすいことだろう。沢井も将臣へ期待の目を向ける。しかし当の彼は眉をひそめて「昼間になにか言ってたんですか」と森谷に問うた。

「ああ。“イッカが聞いた”って言うてから鼻歌歌いよった。どんよりした暗いメロディ」

「一ヶ月くらい前から歓楽街で聞いた、とかなんとか」

 沢井もつけ加える。

 それを聞いて将臣は納得したらしい。嗚呼、とうなずくとしばらく黙り込んだ。どこから説明すべきかと悩んでいるらしい。およそ一分の熟考の末、彼はひとつひとつ言葉を選ぶように、ゆっくりと話を切り出した。


「“イッカが聞いた”と言ったのは、それはつまり一花だけが聞けたものだ、ということ。そして恐らくは、おふたりと同席した際に一花が恭へ言ったんでしょう。“それを沢井さんにも共有したい”と」


 沢井は首を捻った。

 前者については、つづく説明を聞いてからの判断にはなるものの、後者については将臣の見解がまちがっているとおもった。なぜならあのとき、一花は恭太郎に対してなんの言葉も発していない。目線を交わすだけで、そこまでの意図が恭太郎に理解出来たとでも言うのだろうか。

 疑問をそのまま伝えてみる。

 すると将臣は、この質問が来ることは先刻承知とでも言いたげに、ゆったりと首を横に振った。

「相手の表情から思いを読み取る、なんて気配り細やかな芸当があの男に出来るとおもいますか。答えは否です。文字通り“聞いた”んですよ、一花から」

「だから、そんな会話──」

「ええ。ですのでその説明をする前にまず、前段として恭太郎の体質について知ってもらう必要があるのです。多方から話を聞くかぎり、あいつら、沢井さんとは長く付き合いたいようですから」

「…………」

 ごくり、と唾を呑み込む。

 周囲は高級ホテルのビュッフェらしく、賑やかしい雰囲気はない。落ち着いて将臣の話に集中出来る。

 沢井は居住まいをととのえた。

「体質ってーと、持病とかそういう話か」

「病気と言われればその面もあります。恭は、生まれつき視力が良くない。とくに左目は、光や色の違いを感知出来る程度で、周りの景色を形取る程の視力を持っていないんです。右目はまだマシだそうですけどね。マシと言っても、せいぜい視力矯正をして0.1とか、そのレベル」

「そ──うだったのか!」

 知らなかった。

 当時、沢井がおもに目をかけてやったのは一花であって、恭太郎はその一花を家に連れ帰ってやる保護者的立ち位置であったから、彼と深く話し合うなんてことはそうそうなかった。何より、その一挙手一投足はつねに堂々としており、およそ視力がわるい人のそれではなかったのである。

 ほとんど見えていないのに、いったいどうやって生活をしているのだろうか──。

 ただですね、と将臣は淡々とつづける。

「その反動からなのか、彼の聴覚は異常なまでに発達しています。ふつうの人なら聞こえないであろう音──たとえば心臓の鼓動、分厚い壁から漏れ聞こえる話し声、遥か遠くで服が擦れる音。恭の耳にはそういったものがすべて聞こえてしまう。そのくらい、ヤツは耳がいいのです」

「耳。……あっ」

 定食屋ざくろにて交わした、いくつかの会話を思い出す。

 ──ここいらで久しぶりにアンタの声が聞こえたから、

 ──龍さんの声はとりわけよく聞こえるんだよ。

 ──音はウルサイ。

 てっきり、店の前で聞き耳を立てて、沢井の声を聞き取ったのかとおもっていた。しかし将臣からすれば「歓楽街をほっつき歩くなかで、聞こえてきたのでしょう」という見解らしい。

「しかしそいつァ……ずいぶんと厄介な耳だな。俺ならうるさくって気が狂っちまいそうだ」

「ええ。おれには感覚として理解できないので、想像にとどまりますが──たぶんヤツが器用なんでしょう。処々のそういう音はきちんと聞き分けられるそうです。まあ、生まれつきそうやって生きてきたみたいですから、慣れもあるのでしょうが」

「じゃあ、そんな耳だから、俺たちが聞こえなかった一花のつぶやきをあいつが拾ったってことか」

 自身を納得させるために言ってみる。

 とはいえ、職業柄つい一花の表情差分などを観察していたが、彼女が快活にしゃべるとき以外で、くちびるを動かす瞬間はなかった。

 案の定というか、将臣はこれも否定した。

「問題なのは、聴覚異常についてではないんです。それこそ体質──というべきか、そんな聴覚ゆえなのかは分かりません。が、ヤツには聞こえるんだそうです」


 ──人の心の声が。


 将臣は、これまでの無表情を幾分も崩さずに言ってのけた。

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