???②
柊夜の知り合いが亡くなった。
それもあの子と仲がよく、柊夜を庇って亡くなってしまったらしい。
話を聞いた時にはすでに葬儀が終わっていたとのこと。
ちょうど今日がその御崎葵という人の葬儀。
私は事務所も違うし一度も共演をしたことがなかったから御崎さんとは知り合いではないけど、テレビでよく見かけていたから知っている。
実力派若手俳優で、天才だと名高い男の人。
同い歳ぐらいだと初めて聞いた時は嫉妬してしまったのを覚えている。
柊夜のことは書かれていなかったけど、ネットは大荒れ。
ニュースでも、御崎葵を悼む話題が流れていた。
何日かずっと記事も流れ続け、SNSのトレンドにも挙がるほど世間では有名だ。
……いや、今はそんな話はどうでもよくて。
私は柊夜が心配で彼女の家へとやって来ていた。
自分のせいで親しい人が亡くなったのだから心配するに決まっている。
ここへ来たのは遊びに来たわけじゃなくて、単純に柊夜の様子を見に来ただけだ。
「柊夜、お邪魔するわよ」
柊夜が一人暮らしを始めてから、私は彼女の家によく遊びに行くようになった。
何せ私が所属している事務所から近いし、一緒に演技の練習ができるから。
実家暮らしの時はあまり顔を出すことなんてなかったけど、今はこうしてチャイムを鳴らさず勝手に入ってもいいと許可をもらうぐらいには足を運んでいるわ。
ヒールを脱ぎ、廊下を歩いてリビングへと向かう。
すると、そこにいたのは喪服姿のまま立ち尽くしている柊夜がいた。
(ッ!?)
私はその姿に思わず驚いてしまう。
だって、今は夜。葬儀は午前中に終わると事前に柊夜から聞いていたのに、まだ着替えていなかった。
……いいえ、多分本当に驚いたのはそこじゃないわ。
だって、あの佐倉柊夜が―――私の幼馴染が腫れた、まるでもぬけの殻のように空虚な瞳で天井を見上げていたのだから。
「あぁ、綺紗羅さん。来ていたんですね」
私に気がつくと、柊夜はいつも見せるお淑やかな笑みを浮かべた。
先程の姿など見る影もなくした状態で。
「え、えぇ……というより、顔を出すって言ったじゃない」
「ふふっ、そうでしたね」
柊夜は喪服姿のままキッチンへと向かった。
飲み物でも出そうとしてくれているのだろう。私は柊夜に任せたままリビングのソファーへと腰を下ろした。
(ん?)
その際、足を踏んだカーペットの一部からひんやりとした感触が襲う。
そこは先程まで柊夜が立っていた場所で―――
(濡れてる……?)
飲み物でも溢したのかしら?
そう疑問に思っていると、柊夜がコップを私の目の前にあるテーブルへと置いた。
その時、私は柊夜の左手に嵌まっている指輪が視界に入る。しかも、薬指だ。
「ねぇ、柊夜。その指輪———」
「あぁ、これですか? ブライダルのCM撮影の際、記念にもらったものですね。今言われるまで忘れていました」
そう言って、柊夜は外し忘れた指輪を外す。
……てっきり結婚したのかと思ったわ。付き合っている話はおろか、浮いた話の一つも聞かなかったのに。
まぁ、それは私もなんだけど。
でも、そんな指輪を外し忘れるなんてことあるかしら? 今日は葬儀で仕事なんかないはずだし、お風呂に入っていれば気がつくはず。
(まさかとは思うけど……)
自分のことを気にしている余裕がなかった、なんてことはないわよね?
だとしたら、この子は、本当に。
「それにしても、急にうちに来るなんてどうかしたんですか? いつもであれば前もって連絡をくれるはずですのに」
「いや、あなたの様子を―――」
口を開いた瞬間のことだった。
急に……本当に突然、柊夜の瞳から静かに涙が流れ始めたのは。
「ちょ、ちょっと柊夜!?」
「はい? どうかされましたか?」
「どうかしたじゃないでしょ!? 急に泣き始めたのに!」
いつも浮かべる笑顔とは変わらないままで涙を流す。
それが歪で、どれほど恐ろしいことかなんて言うまでもない。
私が指摘して初めて、首を傾げる柊夜がようやく頬を触って流れる涙の存在に気がついた。
でも、涙が止まることはなかった。
「あ、れ……? どうして私は……?」
……そっか。
濡れているって思ったものは柊夜の涙だったのね。
きっと知らない間に泣いて、自分が気づかないまま拭うことをしなくて。
―――それほどまでに、御崎葵という人間の死を悲しんでいるのだ。
(今思うと、柊夜が泣いている姿なんて初めて見るわね)
もちろん、画面越しに泣いている姿は何度も見たことがあった。
でも、私生活で泣いた姿など幼馴染である私ですら見たことはない。
普段は大人びていて、誰かに心配されるような態度も素振りも見せない子。
昔とは大違い。
昔……役者を始める前はもっと明るくて活発な子だったのに。
「辛かった、わね」
柊夜は何度も拭っているけど、一向に涙が止まる気配はない。
私はそんな柊夜をそっと優しく抱き締めた。
「私が、辛い……?」
「えぇ、そうよ。じゃないと急に泣いたりしないでしょ」
―――今、この瞬間にようやく分かった。
きっと、私が見ていた柊夜は『佐倉柊夜』という存在を作ったもので、彼女本人ではない。
だから変わらない表情のまま涙が零れた。
ダムに水が溜まって決壊したように、知らぬ間に溜まった感情が体に表れたんだ。
「そうですか、私は……辛いのです、ね。嬉しい、です……」
なんで辛いはずなのに嬉しいのか? 私はあえて聞かなかった。
代わりに、華奢で今にでも折れそうな体を優しく抱き締め続ける。
「ねぇ、綺紗羅さん」
「なにかしら?」
「私、久しぶりに自分の意思ではなく泣けたんですよ」
柊夜が私の体を強く抱き締め、胸に顔を埋め始めた。
「叔父が亡くなった時は周りに合わせてわざと泣きました。ですが、今日の……きょ、今日の私は……勝手、に涙、が……っ!」
やがて、柊夜の声は震え始めた。
嗚咽交じりの、聞いている私ですら涙が浮かび上がってきてしまいそうなほど、悲しいもの。
今までの人生で彼女の口から聞いてこなかった声。
「辛い、んですね、私……はっ! こ、れが悲しい、という、こ……と、なんですね……っ! 私が、そう……思って、いるの……ですね……!」
「……そうよ」
「嬉し、い……やっぱ、り……教えて、くれるのは、御崎、さん……ですっ!」
でも、と。
柊夜は更に私の服に皺がついてしまいそうになるぐらい強く握ってきた。
「御崎さ、んは……もうい、ません……わたっ、私の……せいでっ! お、礼も言え、ない……っ!」
「…………」
「わ、たしは……私が、嫌い……! だって、こんな時……でも、嬉しいと……自分を見つけ、られたよう、な……気がし、て……うれ、しいと……思ってしまった……っ!」
本当に、こんな柊夜は初めて見た。
溢れる感情がようやく行き場を見つけ、器でさえ傷つけてしまいそうなほど勢いよく流れていく姿を。
誰がこんな姿を見たがあるだろうか?
テレビを観ている世間も、事務所の人間も、柊夜の両親も。
全て、御崎葵という人間がいなければ……きっと、これからも見ることはなかっただろう。
「もう、嫌で、すよぉ……役者、なんて……なるんじゃ、なか、った……!」
でも、できればこんな姿は見たくなかった。
「やり、直した、い……こんな、私を……御崎さ、んが……助ける、前に……っ!」
それが無理なら、と。
柊夜は私の顔を見上げてきた。
瞳には、大量の涙を浮かべて。
「誰か、私を……見つけてくださいッッッ!!!」
お願いしますと、何度も胸から零れる声が室内に反芻する。
(あぁ、誰か……)
この可哀想な女の子を助けてください。
もう、今にでも壊れてしまいそうな───この
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