俺だけ見ていろ



「ウルスラグナは生体錬金術の頂点だと聞いていたが、管理者が居たとは……」


「魔界にまで知れ渡ってるの!?」


「いや、俺が独自に調べた。人間界に詳しい魔族が居てな」


「ほーよかった……。結構やばいコトやってるから、怖いんだよな……」


 すっかりみんなの溜まり場となったジークの工房で、その主とマーニくんが、膝を突き合わせていた。


「ボクら一族の名を冠する魔法“ウルスラグナ”は、遺伝子情報に介入する錬金術です。一族は二百年かけて、生体に関する魔法を研究し続けてきた。そして四代ほど前から、一族の女が新しい子を授かると、その子に魔法をかけて両性具有として生み落とし、コンプレックスを刺激し、研究への熱意を煽り、更なる進化を遂げる為のメソッドが編み出された。ボクもこの通り、身体はどちらでもあり、どちらでもない。――それくらい、自らの身体を犠牲にして、全てを生体錬金術に費やしてきた一族なんだ」


「……何のためにその技を極めんとする、人間」


「もちろん、ですよ、センパイ」


「成程。それはいかにも――彼等の琴線に触れそうな行為だ」


「でしょ。ボクのご先祖様がどこまで考えていたかはわからないけど……ボクはこの手段が真理へ到達する最良の手段だと思ってる」


「ふむ……。では、こういうのはどうだ」


「……う~ん……。前例が無いから、なんとも……」


「俺も出来る限り協力する。魔族を“作り替えた”となれば、お前の一族の名にも箔がつくだろう?」


「いいね。やってみる価値はありそう。でもセンパイ、そうなると……」


 すっかり打ち解けて、思ったよりも良い師弟関係を築けそうな二人を尻目に、会話に全く付いていけない私とディエゴくんは、窓際で空を仰いでいた。


「今日もいい天気だねえ、ディエゴくん」


「ほんまやねぇ。お天道さんもニッコニコやでなぁ」


「お昼ご飯、なに食べたぁ?」


「マーニと食堂でマカロニチーズ食べましたわぁ」


「あれおいしいよねぇ」


「コスパも最強ですよねぇ」


 わかるわかるー、あのシンプルな味付けとハイカロリーさがたまらないわよね、ウフフ、アハハ。私たちのあいだに流れる空気はあそこの深刻なのと違って、平和なものです。


 ディエゴくんは見た目がいかついし、初対面で“お嬢ちゃん”とか言われたのもあってちょっと怖かったんだけど、私が一学年上と知るやちゃんと礼儀正しく接してくれるようになったので、多分すごく良い子です。独特の訛りもほんわかしていて癒される。


 一方マーニくんは第一印象とは逆に、なんというか……類は友を呼ぶというか。ああ。ジークの周りに集まってくるヒトねって感じ……。ジークにも私にもディエゴくんにも横柄で、皮肉屋で喧嘩っ早い性格みたいだ。


 というか、両性具有だったのね。だとしたら、くんって呼ぶのはやっぱりやめたほうがいいのかしら。


 それに伴って、ちょっと気になることがひとつ浮上。


「二人はどんな関係?」


 マーニ……ちゃん?くん?ハッキリしないのなら、ディエゴくんとの不思議な距離感は何なのだろう。


「相棒ですよ。恋人とも親友ともちゃう。お互いがこうと決めた唯一無二の競争相手や」


 ディエゴくんは、窓の外の校舎を眺めながら、即答した。


 おお、所謂オトコの世界ね。熱い。


「へえ……何かいいね、そういうのって」


 私が素直に感嘆すると、ディエゴくんはくすぐったそうに目を細めて鼻を掻いた。


「会うたのはここに入学してからなんですけどね。一目見て、おれと同じ生き方しとるんはこの人しかおらんと思いました。後で聞いたら、向こうも同じやったて」


 ちら、と、ディエゴくんがジークと夢中になって魔道書をめくるマーニくんを見やった。


 その瞳には、友情にしてはあまりに慈しみに溢れていて、愛情にしてはあまりに切ないものがあった。


 絶対的な壁があるようで、水面下では妙に深く繋がっていそう。


『相棒』。恐らくその言葉に、二人の複雑な関係が全て集約されているのだろう、と思った。


「ほんで、先輩たちは?」


「え?」


 とっておきの反撃のように、ディエゴくんが笑った。


 先輩たち、とは、聞かなくてもわかる。私とジークのことだ。


「やっぱり付き合うてはるんです?」


「い、いや、そういうんじゃないんだ、けど……」


「ただの友達には見えませんよって」


 私は頭を捻った。


「うーん……確かに友達では、ないかもしれない……」


 友達、というには異性として意識し過ぎている。でも恋人という関係には至っていない。かといって背中合わせの相棒と呼べるほど対等でもなく。お姫様と騎士というには……私、辛辣だし。向こうもそんな清廉じゃないな。


「お似合いですやんか」


「そ、そう?えへへ……」


 からかうつもりだったディエゴくんが、拍子抜けしたみたいだった。ごめんね。普通に嬉しいわ。


 結論、友達以上恋人未満ってところかしらね。


「だーかーらぁ!そんなの理論上は可能だけど……試運転も出来ないんじゃ実用的じゃないでしょー!?」


「それで奇跡を起こすのが魔導士だろうが!」


「きーっ!!センパイにはこのプレッシャーがわかんないんだよーっ!!」


 いつの間にか向こうが揉めだして、私とディエゴくんは同時に肩を竦めた。


「とにかく、俺に師事したいならこの計画に付き合ってもらう」


「あーも~わかったよ!絶対完成させてぎゃふんと言わせてやるからな!」


 そしてどうやら交渉は和解したらしい。マーニくんが大きな魔道書と書類を両腕にどっさり抱えて、大股でディエゴくんのもとへやって来る。


「ディエゴ、行こうぜ」


「おー」


 すれ違いざまにたったそれだけで伝わる二人が、すこし羨ましい。


「お世話になりました。ほな、また」


「センパイ、約束通り、ちゃんとネロさんとかキョウさんも紹介してね!」


 変態三銃士とあの二人の会合か……。この世の灰汁を煮詰めて更に焦がして燻したみたいな面子ね……。


 私の心配をよそに、ディエゴくんはにこやかに、マーニくんは鼻息を荒くして、ジークの工房から去っていった。


 私とジークは二人を見送ってからも、暫くその背中を眺めていた。


 以前の私なら、じゃあ私もこれで、なんて言って帰りそうだったけど。今日もヒマだったから来ただけだし。


 でも、私の口をついて出た言葉は、


「良かったね、可愛い弟子が出来て」


 しょうもないやきもちだった。


 自分ではそんなに意識したつもりはなかったんだけど、思ったよりも恨みがましい声色になったことに我ながら驚いた。


「……マーニは男だぞ」


「おっ……女でもあるじゃん?ヘンなことしちゃダメだよ」


 誤魔化すつもりで、すこしおどけてみる。が、完全に意図を読まれたらしく、ジークがほほーう、といやらしく笑う。


「お前こそ、ディエゴと楽しそうに話していたようだが?」


「別にぃー」


「はっはっは、拗ねるな拗ねるな。可愛いだけだぞ」


「でぇいッ、やめろぉ!」


 なにやら満足げな表情で頭を撫でられそうになったので即座に回避。それでもジークは尚、胸を反らせて愉快そうに笑っていた。ぬう……。


「でもこれで……一歩前進?」


「……まあ、そうかもな」


「ふうん……」


 私は再び、窓辺にもたれかかった。背中越しから、茜色が私の輪郭に沿って部屋に侵入していた。


 ジークの目的は、“ウルスラグナ”で真の姿を作り変えること。そのために人間界に単身やって来て、このヘルメス魔法学校で手掛かりを求めて、――ようやく到達しかけている。


 喜ばしいことだ。善いことだ。このまま順調に行けば、晴れてジークは自分の望みを叶えることができるのだから。


 私はまた、せいぜい魔力の燃料タンク代わりとして駆り出されるだろう。


 ジークは弱さを克服して、また歩き出す。


 まだ何もかもが終わったワケじゃないけれど。きっと終章の序幕がそこまで来ている。


「ねえ、私、役に立った?」


 ――それだけが訊きたかった。


 ジークが驚いたような呆れたような、間抜けな顔をしていた。


「……何を急に」


 ジークが私の隣に並んだ。腰を低くして窓枠に両肘を乗せ、夕陽に目を細めている。


「あの日からずっと考えてるんだよ。ジークに恩返ししなきゃって。それなのに、何も出来ないままどんどんジークへの感謝だけが積もっちゃってさ」


 『あの日』――出会ったときから、私はずっと彼のことを考えていた。


 倒れる石柱から庇ったつもりが、いつの間にか二人で駆け出して、気持ち悪い脳味噌の魔物と戦うのにボロボロになった。そのあとも私を庇ってトラップに引っ掛かったり、買い物を手伝ってくれたり、魅了をかけられてるのにも関わらずずっと守ってくれたり――


 そんなことをされるだけの価値が、私にあるんだろうか。


「言っただろう。俺は好きでやってる」


「本当に、見返りはいらない?」


 ジークの琥珀色の瞳を覗きこんだ。夕陽で細くなった獣の瞳孔が、私を真摯に捉えていた。


「お前はどうなんだ。お前だって、あっちこっちでしなくてもいい人助けをしてるだろう。それにいちいち、報酬を求めているのか?」


「そんな、とんでもない」


「なら、そういうことだ」


 ずるい。それじゃあ何も言えない。


「……」


「……」


「……あ、あと。ウルスラグナが成功してさ……目的を果たしたら、どうするの」


 ふと沈黙が恐ろしくなって、何かに急かされるように、私は矢継ぎ早に答えを求めた。


 ジークは腕を組んで考えながら、ひとつひとつに丁寧に反応を示してくれた。


「うむ。それだ。当初はすぐにでも魔界に帰るつもりだった。だが存外にあっさり見つかってしまったのと――」


「と……?」


「お前が居るからな。こっちには」


「……わ、私、邪魔?」


「馬鹿」


「うう」


 額を小突かれた。


「今まで通り、人間界こっちで暮らす事になるかもしれん。当分は食いっぱぐれも無さそうだしな」


「そっか」


 なら――いいのかな。霞みがかった安堵だった。


 良くない。ジークは、ここの世界の人じゃない。家族だって心配している筈だ。そもそも、お父さんの跡を継ぎたいからでしょ。


 ジークが居住まいを正して、私を見据えるように隣に立っているのに気づいた。


「な、なに」


 上ずる私の返事をよそに、ジークは何かを決意して、切り出した。


「……お前の口から聞きたい」


「へっ」


 黄金に照らされた塵埃が舞い上がり、紅い髪が靡くさまは、まるで火災旋風の中に立つ英雄を思わせた。


「……お前が一言、言ってくれれば。俺は何処へだって行くし、何処でだって留まる」


 琥珀の瞳が、私の皮膚を射抜いて、心に触れていた。もう少しで、届いてしまう。


 私は偉大な嵐に自分の心が見透かされそうな恐怖に慄いて、思わず後ずさりした。


「ど……して、そこまでしてくれるの」


 声が震える。どうか、この夕焼けで気づかれませんように。


「好きだから。愛しているからに決まっている」


「あ、の、えと……その……」


 手のひらに汗が滲んだ。


「俺の命は、魂は、本来ならあそこで尽き果てる筈だった。それを覆したのは、お前だ、ザラ。だから俺の全ては、お前に捧げる」


 それだけだった。


 彼は私を抱きしめたわけでも、キスをしたわけでもない。手を握ったわけでもない。


 数歩離れた場所からの、その言葉だけで、私はつま先から旋毛のてっぺんまで、熱波にさらされた。


 立っているのが辛いほどに、強烈なメッセージが空気を席巻した。ジークの魂そのものの温度が隕石としてぶつかってきた気分だった。


「じゃ、じゃあ、あの……ジークが帰っちゃったら、寂しいかなって……思わなくもないよ……」


「――ああ」


 いままさに火山口に沈められるのに抗えないでいる私に紡ぎ出せたのはせいぜいそんなもので――けれど、それはほんの一瞬だった。ジークの眉尻が悲しげに下がるのを、私は見逃さなかった。


 ああ。大馬鹿者。間違えた。失敗した。


 心臓を鷲掴みにされたような不快感を押し殺して、なんとか勇気を振り絞って、ジークの袖を引っ張った。


 言え。言うんだ。口にするの。


「っもうちょっと……側にいて欲しい、し……!」


 まん丸くなったジークの瞳に、私の切羽詰まった姿が映っていた。


「……うん。なら、暫くは居るさ」


「そ、そうして……」


 私は彼に顔が見えないように、前髪をいじるフリをした。




 ああ。よかった。




 少し照れたようなジークが、「駅まで送る」と提案してくれた。







.

.

.







 駅に着くまで、私たちは一言も会話を交わさなかった。


 私はただ俯いて、ジークはそんな私に気を遣って、隣に並んで何も言わないでいてくれた。


「また明日ね」


「ああ。何かあったら呼べよ」


「呼ぶって、名前呼んだらいいの?」


「そうだ。絶対に駆けつける」


「……ヘンな探知魔法とか使ってない?」


「あのな」


「冗談だよ。……じゃあね、ありがとう」


 発車のベルが鳴り出したその瞬間になって、やっと肩の荷が降りたように軽口が回った。


 列車が動き出して私が手を振ると、ホームの向こうのジークも一度だけ手を挙げて、返事をしてくれていた。








 ――冗談じゃない。


 自分が馬鹿馬鹿しくて、最悪の気分で席についた。


 夜の足音が近づくグラデーションの車窓が鏡となって、不機嫌そうに頬杖をつく女の子を映していた。


 炎の砂漠のなかも、黒曜石の湖のなかも、コインの山のなかでも、私は硝子窓の中でぼんやりしている。


 ――ねえどうして、あなたはそんなに素直じゃないの。


 だって。うまく言えないのよ。私が思っていることはぜんぶ、彼が喜ぶことだから。


 考えることは多い。私がハイ無理さようならと言えば、ジークは目的を果たして故郷へ帰るだけ。


 ……だけかな?ジークの諦めの悪さは私が一番知っているような。


 でも現実に――私は違うじゃないか。都合の良いところに居て。そんな我が儘を、駄々をこねている。


 こんなふうに、毎日誰かを考えたことなんか無かった。


 どうせみんな、私に付き合いきれなくて呆れて何処かへ行ってしまう。それならそれでいい。


 ジークは――来て欲しいなら呼べばいいと言った。留まってほしいならそうすると言った。


 彼がただの恋愛脳に支配された浮かれたバカストーカーならどんなに良かっただろう。


 辛いのは、どうやら私のほうが恋愛脳に支配されたバカ女だってことね。




 目的地ゴールに向かっていく列車とは裏腹に、私の思考は同じところを延々とループしている。


 一番遠くは子供の頃、お父さんのことやアンリミテッドのことで腫れ物に触れるようにされていたことから、ついさっきのところまでまた切り返して。






 家の灯りを確認して、そっと玄関の扉を開けた。


「ただいまぁ」


「おかえりなさぁい、ザラちゃん」


 エプロン姿のお母さんが、にこにこ笑顔で駆け寄ってくる。当たり前になってる習慣に、一気に安心感と恋しさがこみ上げた。視界がきらきらとぼやけていた。


 いくつになっても、お母さんの胸のなかが、この世で一番温かかった。二番目は……。


「……おかーさーん……」


「あらあらあら、どうしたのぉ?なにかあったぁ?」


 お母さんに目元を拭われて初めて、自分が涙を零していることに気がついた。


 頭を撫でられながら、私はしゃくり上げて、必死にお母さんに縋り付いた。


「す、好きって、言えなかったよぉ~……」


「まあまあ……」


 私は実に十年ぶり、お父さんが居なくなった日以来に、お母さんの腕の中で声を上げて泣きじゃくった。












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