くらいはなし②

 母はスーパーネガティブであることを、再認識しました。

 実は、コロナの一年前から帰省しておらず、母とはずっと会っていなかったのです。そして、今年の夏、ちらっと実家で会って、やはりとても疲れたのです。今回、久しぶりに数日いっしょに過ごして、大変しんどく思いました。


 例えば、電車に乗って出かけて、エスカレーターに乗っていると「上の人が倒れて来たら、わたしたち大変なことになるよね」と言います。崖の上の家を見て「崩れて来たら大変だよね」と言います。川沿いの家を見て「川の水が溢れたら……」以下略。

 ずーっとこういう話が続きます。

 悪気はありません。

 だけど、ずーっと「〇〇になったら大変だ」話が続くのって、しんどいです。


 そう言えば、否定から入る親でした。

(今のバイト先も否定から入るけれども。)

 あまり褒められた記憶がありません。

 でも、息子たちと自分を比べると、わたし、どうして怒られていたのだろう? と思います。

 我が家の息子たちはお弁当失くしても傘を何本失くしても、元気です。

 でも、わたし、たぶん、傘を失くしたら、家に帰れなかったかもしれない。お弁当失くしても同じ。「出て来るまで探しなさい」と、よく言われた。


 長男みたいに赤点じゃないし、むしろだいたい5だったし、どうしてあんなに怒られていたのだろう? 就職だってちゃんとしたのに、どうしてあんなに怒られていたんだろう?

 ちなみに、怒っていたのは主に母親で、父親は無関心でした(少なくとも、無関心に見えた)。母親のヒステリーを一身に受けていたと思う。わたしは、母のストレスのはけ口だったのです。そして、母はそのことを何も覚えていない。びっくりします。足の裏に爪楊枝が刺さった話だって、笑い話で提供しているけれど、すぐに病院に連れて行ってもらえなかったし(学校は何が何でも行かねばならなかった)、松葉杖の大変さを親に言うことも出来なかった(移動教室のときに置いて行かれたりした)。


 これまで生きて来た中で、親に守って欲しいと切実に思ったことが、数回あります。でも、守ってもらえませんでした。

 そのとき、理解したのは、出来ることと出来ないことがあるということ。子どもを守るという行為は、わたしの親には出来ないのだ、ということ。そして、自分で自分を守らねばならないと強く思いました。賢くなければ身を守れない、とも。つよくなりたい、とずっと思っていました。


 そうして実際つよくなったのですが、ときどきガス欠を起こすのです。

 今回は、母にエネルギーを持っていかれました。


 子どもを生んで育てる中で、わたしは子どもを守れるくらい、つよく賢くなければならない、と思っていました。



 ほんとうは、わたしは小さい自分を守ってあげたいのです。

「だいじょうぶだよ」って言ってあげたい。

「そのままでいいだよ」って言ってあげたい。

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