第27話 それぞれの秘めるもの

 上手くいかない事ばかりだ。

 前線を希望したのに外され、挙げ句の果てにやる事もない後方部隊送り。本国の愛人からは返信がなく、新しい電気ドラッグも受け取れずに友人に一番乗りされていることだろう。

 憂さ晴らしをしようにもここはホームじゃない、模擬戦などできるはずもなかった。

 では別の方向性でネットダイブしようにも機材がない。男は小さな画面で満足できる、慎ましい性分を持ち合わせてはいないのだ。

 やりたい事はない、だが何もできないのはストレスにしかならない。わかりやすい性質だが、男はそれを制御する術を持たない。

 どうしようもない鬱憤だけが、水たまりの中の塵のように積もる。

 気を紛らわせようとボトルを手に取ったところで、中身の無くなっている事を思い出す。

 また一つ苛立ちが積もった。


「……取りに行くか」


 不幸な事に、顎で使える人員はトウフボックスに残っていなかった。

 最低限の身だしなみを整え、外に出る。

 すれ違う人間は男に注目せず、やりたい事に集中している。それは会話だったり、仕事だったりだ。

 本国ならばこのようなことはない。男はナンバーズの中でも上位陣、何をせずとも注目されて当然である人間の部類であり、街を歩くだけで称賛が向けられる。だがここに集っているのは、ほとんどが各国の上位陣。つまりは男の同類だ。故に彼に特別興味を向ける人間は少ない。

 それも、男が気に入らない事の一つだ。

 少し歩き、飲料のボトルの置かれたボックスが見えてくる。


「まだあるか」


 どうやら彼の求めるボトルは残っていたようだ。

 “炭酸入りプレミアムコーヒー”なる飲料は意外にも好評であるらしく、残っていたのは一本だけだった。

 これは運が良い。

 今日初めて気分を良くした男は、意気揚々と足を早める。


「は?」


 そして目の前でその一本が持ち去られるという暴挙に、呆気に取られた。


「……ふざけんな」


 次第に湧くのは理不尽への怒り。

 どうしようもなく短絡的な男は、だがそれが外に漏れないようにしながら相手を観察する。

 格好から見て研究職だろうか。日本での各国合同任務では余裕ができることが多いため、情報共有のために研究職が来ることがある。相手もその類なのだろう。

 向かっているのは——建物の裏。休憩するのが目的か。

 さらにはノートタブレットを持っているのを見て、彼はニヤリと笑った。

 これは今日初めての幸運だ。

 意気揚々と歩を進めようとした彼は——


「すんません。ちょっと良いですか?」


 ——背後からの声に足を止めた。

 内心毒づきながら、彼は振り返る。

 

「何だ?」


 年下の男と、ちっこい女。

 それだけならばまだいい。問題はその制服から見て、日本支部のオペレーターということだ。


「僕浦賀いうんですけど、声かけた方がいいんか思ったんですわ」

「……何の用だ」


 男は逸る心を抑え、話を聞くことにした。

 すると浦賀はずいっと距離を詰め、男に小声で語りかける。


「前線希望したんに後方ここで不満でしょう」

「っ!」

「愛人から返信無いし、電脳ドラッグも一番乗りできん。そりゃあ気に入りませんわ。あ、安心してください。言いふらすつもりはないんで」

「……」

「ただその苛立ち、他人に向けるのは困るんですわ。言葉の意味、わかりますよね?」


 人の良い笑みと共に吐かれる英語ことばが、得体の知れない音に聞こえる。


「シナさん、それ渡してもらっていいですか?」

「ん」


 低身長のシナが、男にボトルを突き出す。ラベルには“炭酸入りプレミアムコーヒー” と記載されている。

 何も言えずに素直に受け取る男に、シナは何処か満足そうな無表情で下がった。


電気使いエレクトロマスターの貴方が変な気を起こさなくて助かります。それじゃあ、僕らもう行きますんで。真っ直ぐ帰ることをお勧めしますわ」


 浦賀のそれは、ほぼ脅しに近しい。


こうしましたけど、もし貴方がやったらどうにもできんので。それじゃあ」


 立ち尽くす男をその場に、二人は耳外電磁誘導式擬似音響機器アウト・イヤー・ヘッドフォンからの言葉に意識を向ける。


『よくやった。その付近の問題はしばらく無い。午前9時マルキュウマルマルまでは気を緩めていてくれ』


 他のタスクがあるのだろう、真宵からの通信は切れてしまった。


「しばらく暇なりましたけど、どうやって時間潰しましょう」

「戻って寝る」

「それは流石に厳しいですわ。リアムさん達に堪える目で見られるん嫌ですもん」

「……流石の脅し。悪徳腹黒は違う」

「Bランクは脅しませんって」

「真宵エディの言葉。さっきの脳足りんはナンバーズ」


 “エディ”は“エデュケーター”の略。シナは真宵を“甘い教育者ティーチャー”と区別し、“賢い教育者エデュケーター”と呼んでいるのだ。

 

「脳足りんって……。いやあ正直な所、シナさんの方が怖いんですけど」

「ん、あの程度なら、一方的に殺せるけど」

「いやぁ、怖い怖い。Bランクトップクラスは伊達やないですわ」

「浦賀も鍛えればいける。良い“眼”を持ってるし、銃使えば楽勝。……あいつが弱いだけだけど」

「あの人情報戦がメインでしょう。電気使いエレクトロマスターのほとんどがそうですし。あの人の目とかの動きが普通やないから、当たりやと思います。まあ、戦闘能力はBランクってところやと思いますわ」

「……やっぱり、浦賀鍛えれば? 上がって来れそう」

「一応、アルスリード寮なんで」


 シナが浦賀の顔を見上げる。


「さっき、“悪徳腹黒”否定しなかった」

「まあ、僕そんな出来た人間やないですもん。……それ言うたら、シナさんの方こそ。『活動力装甲バイタリティ・アーマー』はエネルギー使うんでしょ? しかも生命活動に使わない分だけ。やから自分守るだけで精一杯なはずですよね。どえらい使ってるように見えましたけど」

「真宵エディの奇跡」


 しれっと言い放つシナ。

 浦賀は笑って「それもそうですね」と納得するポーズをとった。


「お互い、面倒な性分抱えてしまったもんですわ」


 全てはこの一言に集約されることを、二人は感じていた。





     †††††





「美沙希、前方20メートルの女性自衛隊員だ。北の馬鹿にセクハラされたようで、この後同僚に茶化されて殴る。共感を示した後、同僚に釘を刺せ。同僚の名前はその女性が言ってくれる」

『了解』

「矢小木、左手グループだ。AI彼女の話題で険悪になる。どうにかして止めろ」

『無茶振りっ!?』

「君もAIの彼女を二人持っているだろう。健闘を祈る」

『ちょっ!? まっ! どこで知ったんです——』

「リコ」

『あの二人でしょー。こっちで何とか出来そうだからまっかせて』

「違う、“加減しろ”ということだ。あまり理解し過ぎるな」

『……ふーん。りょーかいでーす』

【お疲れ様です。少し休めます】

「やっとだぁ。問題起きすぎじゃない?」

【細かい問題は日夜起きるものです】

「それ私達が介入する意味ある?」

【……見方によってはあります】

「あー……水飲んでくる」

【新しい問題が起ころうとしています】

「ちくしょうまたかよっ!? 内容!」

【コンタクトが見当たらずにストレスが溜まっているようです】

「絶対ルヴィ今の質問根に持ってるでしょっ!?」


 過去ないほどに問題の発生率が少ない裏側では、真宵が犠牲になっているのである。南無。





     †††††





「それで、今日は何の用なのかなー?」


 早々に問題発生を阻止し、リコは拠点の端っこまで移動していた。

 人目が無いのは今現在も“確認”しているし、後をつけられていないのも確実、通信を傍受されていないかはを信用しよう。それほどまでに警戒を必要とするだけ、この会話は聞かれてはならないものだった。


『この後の注意点を伝えた方が良いと思っただけだよ。それとも必要なかったかね』

指し手プレイヤーが駒を動かすってことは、そうしなきゃ盤面が崩れるってことだよねー。すっごい必要だよ」


 端末の向こう側にいる彼には不要と知りつつも、リコは偽り塗れの仮面を外さない。何か意味があったわけではないのだが、強いて言えば切り替えが面倒だっただけだ。


『優秀な同志にはいつも助けられる』

「あっははー、お世辞はいいよー。注意点早く教えて欲しいな」


 優秀な同志? 男の100分の1にも及ばない自分が?

 まあ確かに、替えの効く駒にしてはそこそこ使える自覚がリコにはある。尤も、所詮は使い捨ての割り箸程度ではあろうが。


『合同任務の前線を突破されるだろう。時間は午後4時40分前後だな』

「ふーん? B3ランク程度の魔獣に、ナンバーズが寄り集まっても敵わないんだ」

『その情報が正しければ、だ。間違った情報は常に最大の敵だよ。今回ならば、魔獣の脅威度がB5ランクに相当するという事実がそうだ』

「うわぁ、そんな魔獣だったんだ。逃げた方が良かったり?」


 当然本気の言葉ではない。むしろ、リコは後方拠点ここが最も安全であることを知っている。なんせ、ここにはがいるのだから。


『必要ないとも。我が同類たるオリヴィエメイガスならばその程度、さして苦労もなく討伐できる。たとえ彼女が動かなくとも、フランスの巫女プレトレスと世界ランキング7位の再現体があれば弱らせられるだろう。後はトドメを刺せば終わり。結末までの数手エンドゲームが変わろうが、結果は変わらない』


 リコは彼に今日の情報を流したわけではないのだが。これは純然に男の情報収集能力によるものかもしれないし、あるいはその規格外の頭脳で導き出された“予知”かもしれない。

 何にせよ、リコが理解できる領域の話ではないだろう。


「まーそうだろうね。……あーなるほど? だからせんせーはあんなわけわかんない指示を出してたんだねぇ」

『ふむ、何の話かね』


 急に納得しだしたリコに、男が問いかける。

 男でも知らない事があるのかと驚きつつ、リコは作ったキャラ越しに言葉を発する。


「魔獣のこと知ってる人って後方拠点ここにどれくらいいるの?」

魔術師オリヴィエ巫女プレトレスを含めたフランス支部程度だろう。全員で十人強と言ったところか』

「そこに日本支部の人っていないよね?」

『……ああ、今読み取ると日本支部に不可解な動きがあるね。その中心点は……』


 僅かな隙目の後、唐突に男の抑え笑いがリコの耳朶を打つ。


『これは面白い。小さすぎて気付けなかったが、このカタチはなかなかに上手くいる』

「うえぇ、勝手に答えに辿り着かれるとわけわかんないなぁ」

『ああ、すまない。まさかたった数日でこれほどまでの変数が組み込まれるとは、私としても興味深くてね。それ自体は小さいのに、こうも見事に状況を変えてしまう。ふむ、だが特異点ではないか』


 男が何を言っているのか、リコには全く理解できない。ただ男が現状を正確に把握し始めたであろう事実に、畏怖の念を抱かされるばかりだ。


「真宵せんせーのこと、わかっちゃった?」

『名前まではわからないが、多大なカリスマを備えた何者かの干渉は感じる。おそらくはティーチャー。しかし指揮官レベルの指揮能力に加え、実戦に耐え得る実力。何より膨大な情報を精査する能力に秀でている。……こんなところだろうが、どうかな?』

「……あっはは、こっわいねー」


 男の言葉は、見てすらいないはずの真宵を正確に表していた。少なくとも、リコはそう感じた。

 これが世界最高の知性とも謳われる男の力。リコを含めた《願いを追う愚者》を束ねるに足りる、ただ一人だけの指し手プレイヤー。世界の闇の内で蠢きながら、決して捕らえられることのなかった絶対悪イヴィル・ワン。世界のありとあらゆる因果を読み取るその頭脳は、同じ人間であるとは到底思えない。


『自然発生したとは到底思えないね。ふむ、これは統括局のの干渉を疑うべきか』

「アラヤの最高司令官の? うへぇ、盟主に匹敵する妖怪が動いたかー。まあ、納得できる所はあるかな」


 ナンバーズを一方的に倒せる、前所属不明のSランクオペレーター。それにも関わらず就いた職は“ティーチャー”で、何故か生徒としても登録されている。

 正体不明にも程があるだろう。

 日本支部長直々にスカウトしたというのは公然の秘密だが、そこに全世界のアラヤの頭である統括局、その全権を担う最高司令官が絡んでいるというのは、特例的ながらもあり得ないとは言えないことではある。


『君が起こした事件の埋め合わせか、私の影を警戒して虎の子を出してきたのか。何にせよ警戒しておくと良い。そのティーチャーはなかなかにはずだ』

「わかってますーだ。下手に動いたりしませんよー」

『ああ、動かなければ問題は起こらない。……ふむ、変数が読みやすくなってきたな。後方拠点まで魔獣が到達することはなさそうだ。安心して待機すると良い』

「他に何かあるかなー?」

『この程度さ。それでは、気楽に楽しんでくれたまえ』


 通信の切れた端末を見下ろすリコの表情は————恐ろしいほどの無表情だった。


「……楽しめ?」


 いつもの明るい印象からはかけ離れた、暗く重い声。

 泥に塗れた黒のキャンパスのような瞳は、まるで人のものとは思えなかった。

 その姿さえ、墨を水に垂らしたかのように澱んでいる。


「簡単に言うなよ……化け物如きが……」


 きっとそれは、ドロドロになるまで煮詰められた“憎悪”だ。


「おっといけない。さーて、私も戻らなきゃねー」


 足取り軽くリコは戻っていく。果たしてその胸に、何を抱いているのだろうか。

 だかこれだけは言える。

 世界とは、時に理由もなく大きすぎる不条理をぶつけてくるものなのだ。





     †††††





「あのー……ルヴィさん? 私そろそろお手洗いに行きたいなー、なんて……」

【20秒お待ちください】

「何その微妙な時間は?」


 そして馬鹿正直に待つ真宵である。


「よ、よし。それじゃあ——」

『すんません。a4-dアルフォーディン契約書はコード必要言われたんですけど、真宵さん知ってます?』

【全8種です。複雑化している電子コードも含まれるので、リアルタイムでの指示が推奨されます】

(ルぅぅぅヴィぃぃぃいいっ!!)

【さあお手洗いに行きますか? このまま続行しますか? 私はどちらでも構いません】


 顔のないはずのルヴィが、満面の笑みを浮かべている気がする。


【ちなみにコードは要請から一定時間内で全てを入力する必要があります。貴方が席を立っても、ギリギリ間に合いますが】


 確信。こいつ絶対愉悦してやがんよ。

 さて、真宵は人を待たせるとかできない小心者である。自分のせいで出来ませんでした、なんて悪夢にも等しい。


「……今から指示を出す」

『ありがとうございます。助かりましたわ』


 哀れ。真宵は屈したのだった。


(ルヴィ早くハーリー速くハーリー疾くハーリー!)

【……でっ……失礼、ではコードを伝えます】

(やっぱり笑ってたじゃんっ!)

【はて何のことやら】

(断固抗議——)

【賀茂ナス九条ネギ】

(——しませんのですいません)

『あのー、そろそろいいでしょうか?』

「すまない。最善最高最速で終わらせる」

『は、はあ』


 そんな愉快な一幕があったとさ。

 ついでに言えば、真宵は無事間に合ったようである。良かったね。

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