第3話 心の底
高架橋の階段を革靴を鳴らしながら上がる。自分は高橋という人間だということを再確認して椿さんの元へ向かう。
下から眺めていた時より椿さんは身長が高く見える。グレーのパーカーに制服のスカートを着て肩甲骨まで伸びる髪を無造作に垂らして頬杖をついている。一見、普通の高校生に・・・いや、「普通」という言葉を使うのはよそう。俺は普通という言葉が気に食わない。正確に言えばそういう言葉の定義にピンとこない。普通とは一体なんだ?と聞かれたときに正確に答えられる人なんているのだろうかといつも思っている。普通に生きる、普通にしなさい、普通、普通、普通、普通ってなんだ・・・人は誰一人として同じ人間なんていないんだ、普通なんてそもそも存在しないんじゃないだろうか。故に、椿さんに対して普通だと思うのもやめることにした。
「あの」
「・・・何ですか」
俺が声をかけると椿さんはこちらを見ることなく呟いた。ナンパだとでも思っているかのような軽い応対だった。
「俺は高橋って言うんだけど」
「なんですか、高橋さん」
椿さんはそれでもこっちを見ようとはしない。
「椿さん、ですよね」
「なんですか、高橋さんってストーカーなんですか?私に付き纏ってもいいことないですよ。明日生きてるかどうかもわからないので」
確かに、生きていると忘れがちだが当たり前のように明日が来ると思っている我々にはたまには警鐘を鳴らさなければならないとはたまに思っている。
「演劇部に手紙、書いたよね」
その言葉を聞いた時ようやっと、椿さんはこちらを見た。
「初めまして、田中椿さん。俺が演劇部の高橋です」
俺は苦手な愛想笑いを最大限に見せる。やっぱり苦手だ。
「高橋・・・さん。あの、私」
さっきと打って変わって椿さんは初対面の人に接する人見知りの人の模倣をしている。実際に椿さんがどうなのかは知らない。
「あぁ、分かってます。椿さん。落ち着いてください。今の状況は簡単です。あなたは俺たちを頼りました。そして俺たちはそれに応えにきた。ただ、それだけです」
「あ、はい。でも、なんて言うかその、本当に来てくれるとは思ってなくて」
「わかりますよ、実際に俺たちが来たことを確認すると皆さん同じような反応をされるので」
「そうなんですか・・・」
俺は椿さんに近づく。
「なんですか・・・?」
椿さんも訝しげな顔を向けてくる。無理もない。初対面の男が近づいてきたら誰でもその反応をするだろう。
「椿さん、あなたが今抱えている問題を覗かせてもらってもいいですか?」
「覗く・・・?」
「はい、俺はその人が抱えている心の奥底に眠る本音の部分を抽出することができます」
「どうやって?」
「簡単です、対話します」
「対話・・・?」
「えぇ、説明するよりも見てもらった方が早い思うのでやってみましょうか」
俺は椿さんといくつか会話を交えて対話した。椿さんの子供の頃の話。初恋の話。最近あった面白かった話、そんなものはないと一蹴されたが・・・。とにかくそういったなんの変哲もない対話をただ延々と続けた。俺がこの話法を使い出したのはちょうど高校生になったことからだった。小学生の頃の思い出がずっと俺の中で尾を引いていたからか、人の感情を理解することばかりを考えていた俺は人との会話に注目するようになっていた。いつの間にか、会話している相手が心の中に抱えている本音が聞こえるようになっていた。その人の心の声がテレパシーの様な感覚で伝わってくる。故にその人にもわからない心の声が俺には届く。ただ、それをするのはある条件下だけにすると決めている。
「なるほど、分かりました」
「分かったって・・・会話していただけですよね」
「いいえ、分かりました。そして、会話じゃなくて対話です」
「対話・・・」
「椿さん、大学に行きたいんでしょ?」
「・・・」
椿さんは目を丸くして絶句している。
「祖父母に迷惑をかけたくなくて、そのことをずっと言えないでるんだよね」
椿さんは高架橋に改めて頬杖をつき直し、虚空に向かって白い息を吐いた。
「私、両親に捨てられたんです」
「うん、それも話しているうちに分かった」
「本当に、なんでも分かっちゃんですね。全てを見透かされているようで怖いくらい」
「それでも、俺がわかるのは感情だけで記憶じゃないので、詳しいエピソードとかはわからないよ。言いたくないならいいけれど」
「そんなに話したくないことでもないの。まず大して覚えていないの。幼い頃に父と遊んでもらった記憶がうっすらあるだけで、両親とのまともな記憶なんてほとんどないんです」
椿さんは高架橋の遥遠くを見つめながら目を閉じ、昔を思い返しているように見えた。
俺はその姿を眺めることしかしなかった。
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