渡し人
言葉(ことは)
第1話 記憶の回顧
あまり思い出したくなはいが決して忘れることができない私の昔話をしよう。
小学生の頃の話だ。学年は確か2年生だったと思う。クラスに転校生がやってきた。転校生というものはいつの時代もそう簡単にクラスに馴染めない生き物で、その転校生も例外ではなかった。
1週間ほど経った頃だろうか。隣の席に座っていた三嶋(みしま)という生徒が前の席に座っていた小林(こばやし)という生徒の消しゴムをとるという事件が発生した。とるというのはいわゆる盗る、ということで小林は当然のことながらその日の授業は困ったに違いない。
小林が消しゴムが無くなったと騒いでいる時に担任の先生は無くしたんじゃないの?となんともめんどくさそうに対応しており、それほど気にしている様子ではなかったのだが、犯人の三嶋が小林の左隣に座っていた木村(きむら)が盗ったのを見たというなんとも狂人じみたタレコミをしたことによって事態は小さなことではなくなってしまった。その木村という生徒が転校生だったのだ。
元々素行が良くなかった三嶋は自分が疑われるのを避けたかったのか、はたまた転校生に嫌がらせをしたかったのか、その真意は今となっては定かではないがそういう厄介ごとを引き起こす天才だった。その事件は結局木村のせいということになり後日先生や保護者を交えた話し合いが行われた。木村も最初こそは否定していたが先生も取り合う様子もなく、ただ理由を聞こうとするだけで木村の言葉に耳を傾けることは無かった。
さらに居心地が悪くなった木村は不登校となり、間も無くして転校したという知らせを受けた。どうして三嶋が盗ったことがわかったのかというと、実際のところは分かっていない。厳密には私しか分かっていない。三嶋が小林の消しゴムを盗った現場を見たのは世界中で私だけなのだ。授業の直前に小林の机の上にあった消しゴムを当たり前のように自分の筆箱にしまったのをはっきりと覚えている。
私があの時一言「小林の消しゴムを盗ったのは三嶋です」ということができれば木村はあのままの学校生活を送ることができたかもしれない。しかし当時の木村にとってあの時の事件が冤罪に終わったとしても居心地が良くなったとは思えない。私が真実を言うことで状況が好転したかどうかなんて今となっては考えるだけ時間の無駄というやつだが、高校生の今となっても忘れられないのには理由がある。これは簡単に言ってしまえばしまえば後悔というやつである。それは小学生の頃の私が初めて知った名前のある感情だった。今木村に会ったら私はなんと声をかけるのだろう・・・
「子供の頃は平気で言えていたことが大人になればなるほど言えなくなるってよく言うじゃん」
「うん、そうだね」
「それってなんでだと思う?」
「自分勝手なやつだと思われるから、とか?」
「自分勝手なやつだと思われるのは嫌なの?」
「通例では人を貶す時に使う言葉だと認識しているけれど」
「じゃあどうして貶されたくないの?」
「傷つくから、かな」
「なるほど」
「何?このなんの生産性もない問答は」
「すべてのことに生産性を見出そうとしたら世の中に必要なものなんてそんなになくなっちゃうよ」
「それもそうだね」
「でも、どうしてそんなことを聞いたの?」
「我々人間はさ、生まれたときは好き放題泣きじゃくってるけど、自分が泣いてることを気にしている赤ん坊なんていないよね」
「そうだね」
「じゃあ、うまくいかないことがあった時に泣く大人をどう思う?」
「みっともない人間だと思う」
「どうして?」
「大人になって泣くなんて、そんなの大人じゃないよ」
「じゃあ君は、大人は泣かないもんだと思っているということだね」
「そうだね」
「それは自分でそう思ったのかい?それとも誰かがそう教えてくれたのかい?」
「さあ・・・気がついたらそう思ってたかな。でも大人は泣かないなんて常識じゃないかな」
「なるほど、君はそう思っているんだね。わかったよ。ありがとう」
「なんだよ、この台本。これじゃあまた前回みたいにつまらない説法みたいな流れになっちまうだろ」
「しょうがねえだろ、どうしてもそうなっちまうんだから」
「お前の口調がそのままセリフに反映されてるんだよ、もう少しキャラを作れよ」
「そんなこと言われましても・・・」
2人しかいない視聴覚室、俺たちは毎日ここでとある活動をしている。
本当はもっと部員数もいるんだけど、今は準備期間ということもあって実際に稼働しているのは俺とこいつだけ。こいつというのはこの部活動の部長であり基本的には俺にやいのやいの小言や苦言を呈することにこの上ない悦楽を覚えているただの変態だ。名前は飯沼(いいぬま)。部長と言っても名ばかりで誰もこいつが部長だなんて思っていない。
俺はこの部活動のただの部員だ。台本なんて書けないのに飯沼に書けと言われてはや半年、一度たりとも飯沼が文句を言わずに納得したことはない。じゃあ書かせなければいいのに、と何度思ったことか・・・頼まれる度に書いてしまっているあたり、俺も人のことは言えないような気もするが今はそこに言及するのはやめておこう。
などとナレーションのようなことをしてしまっているのには理由がある。そう、ここが演劇部だからだ・・・ごめんなさい嘘をつきました。全てが嘘ではないですけど・・・
「さっきから窓の外を見ながら何を考えてるんだ」
「いや、なんでもない」
「どうするんだよ、今回の台本」
「どうでもいいだろ、どうせ使わないんだから」
「それはそうだけど、一応演劇部っていう体で学校に申請出してるんだからそれなりに形が残るものを作っておかないと体裁を保つことができないだろ」
「体裁や世間体を気にするような人間じゃないだろ」
「・・・」
「わかったよ、考えるから、もう一度今回の概要を教えてくれ」
教室の窓を冬の風がカタカタと揺らす。朱色の筆で一筆さらったような茜色の空はこれでもかというほど澄んでいて一切の澱みが無い綺麗な空気を醸している。空を撫でるようにうっすらと雲が伸びており、夜になれば瞬く星たちが雲なんてお構いなしで輝き出しそうな、そんな自分勝手な空に羨望の眼差しを向けた。
「自由だよな、空って」
「またその話かよ、もう千度ほど聞いたぞ」
「じゃああと九千回は言ってやる」
「万回だな、臨むところだ」
「それで、上の空だったけどちゃんとわかったんだろうな」
「あぁ、わかったよ。その時になったらちゃんとやるよ」
「頼むよ、高橋」
「え?だれ?」
「お前だよ」
「あぁ、そっかそっか」
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