35
数日後、
蛍斗に気づくと仁は顔を上げ、いつものように笑った。
「蛍、お帰り」
「…ただいま」
「荷物取りに来たんだ。持って行けない物は置いといても良いかな」
「…ここは、あんたの家でもあるだろ」
あまりにもいつも通りな仁に面食らい、蛍斗は戸惑いながらもぶっきらぼうに言う。普段の敵意剥き出しとは違う、仁にとってはどこか素直だと思える蛍斗の反応に、仁は穏やかに笑った。
「ありがと」
それに対し蛍斗は返事をしなかったが、それこそいつもの事と、仁は再び荷物の整理を再開した。その様子に、蛍斗は仁の背中にそっと視線を向けた。
大きな背中だ、例え背中を丸めていたって、仁の背中はいつもしゃんとして見える。まっすぐ真っ当に、迷いなんかなく、いつだって清々しいくらい前を向いている。蛍斗にとって仁は、いつもそんなイメージだ。
自分の掴めなかった物を掴んだ背中。蹴り飛ばしてやりたい時もあったけど、それはただの負け惜しみだ。悔しいけど、仁には敵わない。蛍斗にはどうしたって、乗り越えられない人だ。
「…ごめん、色々と」
そう思ったら、自然と口をついていた。突然の謝罪に、仁は驚いた様子で振り返った。
「全部、八つ当たり。
俯きながら言う蛍斗に、仁はそっと眉を下げた。「…どうして?」と聞く声は、穏やかで優しい。まるで泣く子供をあやすような声だと思いながらも、蛍斗はその声に包まれるまま、言葉を紡いだ。
「…俺のしたい事、全部出来るから。母さんだって、あんたの事凄いって。それは感謝してる、自慢の息子になってくれたから」
「何言ってんだよ、母さんの実の息子は蛍斗で、いつも一番に考えてるのも蛍斗だよ。俺は足手まといになりたくなかっただけだ。蛍斗も小さな頃から音楽の才能があったし、何もない俺じゃ、蛍斗と母さんの家族になれないと思ってさ。俺も、家族の一員になりたかったんだ」
「…何、それ」
蛍斗は驚いて顔を上げた。初めて聞く仁の思いに、困惑していた。
「俺は、父さんに置いていかれた子供だからさ。母さんからしたら、出て行った再婚相手の子供を面倒見る訳だから複雑だろうし、蛍斗だって嫌だろ?血の繋がりもないしさ。だから、居場所が無くなるのが怖くて必死だったんだ」
「…そんな素振り全然無かったじゃん」
「見せれる訳ないだろ、俺にとって、母さんと蛍斗は、格好良い親子だったんだ。しかも、こんな俺を受け入れてくれた。だから、弱い所なんか見せられないよ。…でも、それがお前を苦しめてたなら、悪かった」
頭を下げた仁の言葉に、蛍斗は狼狽えてしまった。蛍斗にとって仁は、いつも嫌なくらい正しくて頼もしい兄だった。仁が心の内で、自分達と家族になろうと懸命に戦っていたなんて、まさか思いもしなかった。
「…謝るなよ。俺が、謝ってんだし」
でも、知ったからと言って、すぐには上手く飲み込めないし、素直にはなれない。そんな蛍斗の気持ちも、きっと仁には分かっているのだろう。仁は眉を下げたまま、優しく笑った。
「…じゃあ、おあいこだな」
「…な、なんだよそれ。大体、俺に才能なんかないし」
「あるだろ、ピアノが。俺は蛍斗の優しいピアノが好きだよ」
「…言わなくて良いよ、そういうの」
やはりぶっきらぼうだが、蛍斗の表情を見て、仁はどこかほっとした様子だった。
蛍斗から感じる雰囲気には、刺々しさがない。仁の事を毛嫌いしてるのではなく、ただの照れ隠しだと思えたからだろう。
「母さん心配してるぞ、たまには顔見せてやれよ。あ、そうだ、おかずも少し作っておいたから」
言ってから仁は、はっとした様子を見せた。
「…悪い、迷惑だったか?」
「…別に」
「そっか…まったく、今まで何食べてたんだ?冷蔵庫空だったぞ」
安心した様子で笑いながら嬉しそうに世話を焼く仁に、蛍斗は久しぶりに兄の前で表情を緩めた。
胸を占めていたわだかまりが、少しずつほどけていくようだった。
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