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「またぼんやりしてる」

「え?あ、ごめん!…えっと、何だっけ」

「…別に大した事じゃないけど」


まるで出会った時と真逆だ。

遊園地でデートをした日から、蛍斗けいとは以前のように澄まして黙る事なく、澄香すみかに積極的だった。相手を分かろうと、楽しみを共有しようとしてくれているのが伝わってくる。そんな蛍斗が澄香の手を引く形で、二人は様々な場所に出掛けた。

だが、蛍斗の気持ちとは対照的に、澄香の心は上の空だった。


この日は、とあるショッピングモールに来ていた。何を買うでもなく、ただ何となく。何かめぼしい物を見つけたら購入しようといったスタンスだ。購入目的がなくても、二人で様々な店を覗いて、時間を共有する中で楽しさは生まれていく。

けれど澄香の反応は、すこぶる鈍い。蛍斗が話しかけても、ぼんやりしていて話を聞いているのかいないのか。蛍斗が再度話し掛けると、はっとして、焦った様子で蛍斗を見上げた。


最近の澄香は、いつもこんな感じだ。最初こそ、疲れてるのか、体調が悪いのかと心配になったが、最近は、それが体調云々のせいでない事に、蛍斗も何となく気づいていた。





ぶらぶらとショッピングモール内を見て回る中、ふと澄香が足を止めた。

建物の大きな柱部分には、大きな液晶画面が設置され、様々な広告がその画面に映し出されている。一定の時間を過ぎれば広告の内容が変化し、今切り替わった広告には、じんの姿があった。

それは、鈴蘭劇場で行われていたミュージカル公演のポスターだ。今は東京公演が終わったので、次の土地で公演を行っている筈だ。とても評判が良いとの事なので、地方公演が終われば再び東京に戻り、鈴蘭劇場にて追加公演が行われるという。この広告は、追加公演を宣伝する為の広告のようだ。


「………」


澄香は、自然と帽子の端に手をやり、ぎゅっと握った。

仁は今、地方公演に合わせ、その土地で寝泊まりしている。なので、仁が蛍斗のマンションに帰ってくる事はない。それでも、蛍斗はマンションに澄香を呼ぶのではなく、仁に見せつける意味もないのに、こうして外で会ってくれている。

蛍斗は、澄香との約束を守って、仮の恋人のままでいてくれている。それなのにと、澄香は騒つく胸を止める事が出来なかった。




そんな澄香の姿に蛍斗は苛立ちを覚え、目を逸らした。

澄香が仁の写る広告やポスターを見上げる事自体は、今までも間々ある事だった。最早、澄香にとって条件反射のようなものだ。そこで感じる蛍斗の苛立ちは、仁への対抗心からくるものだった。だけど、今はそれだけではない。

澄香を独り占めしたい、仁の元へ行かせたくないと、いつだってその胸には不安が渦巻いている。

澄香はまだ、仁へ思いを残している。

こんなに近くにいるのに、澄香は蛍斗ではなく、画面の中の動かない仁を見つめている。

きっと、自分には見せた事もない瞳で、仁を見上げている。


澄香の後ろ姿にその様子を想像して、蛍斗は舌打つと、帽子を掴む澄香の手を取り歩き出した。


「わ、何?」

「また、あいつの事考えてた」

「あ…えっと、ごめん。…なんか怒ってる?」

「…そりゃ、怒るだろ」


足を止め、じ、と蛍斗は澄香を見つめるが、澄香は分からない、というように困惑の表情を浮かべている。蛍斗は気持ちが通じてない事に気づき、やるせなく手を放した。


「…あんた、ここ最近ずっと上の空じゃん。何?あいつに何か言われたの?」


蛍斗は当てつけのように言ったが、澄香はその言葉にどきりとして、咄嗟に視線を逸らした。

別に、仁に何か言われた訳ではない、ただ少し互いの距離が近かっただけ。でもそれは偶然出来たものではなく、仁が意図的に距離を縮めたからだ。仁は澄香を抱きしめようとしたのかもしれない。あの時澄香は、囲われる腕の中で、仁に抱きしめられているような気がしていた。

だが、仁の取った行動の意味までは分からない。更にはその意味に、まだ心のどこかで期待している自分もいるなんて。

蛍斗の目が、見れなかった。


澄香の反応を見て、蛍斗は何か察したのか再び舌打ちし、苛立って髪をくしゃと掻いた。

だが澄香は、何故蛍斗の機嫌が悪くなるのか分からなかった。この関係は、蛍斗にとっては仁に対抗するもので、澄香にとっては仁を忘れる為のもの。蛍斗は澄香の中にある仁への気持ちを、そもそも知っている。

それで怒るというなら、いい加減この関係に嫌気が差したという事だろうか。


そう思えば再び胸が騒ついて、澄香は離れた蛍斗の手を掴んだ。


「…何もないよ!ごめん、行こう」


そう歩き出そうとするが、蛍斗は足を動かさなかった。


「誤魔化すなよ!」


その声が、払われた手が、悲しく空気を裂いた。

驚いて澄香は蛍斗を見上げたが、蛍斗は俯いたまま苦しそうに眉を寄せるだけ。澄香は掛ける言葉を失った。

思ったより声が響いてしまったのか、それともその前から注目されていたのか、蛍斗の怒声に周囲は少し騒ついた。それを敏感に察した蛍斗は、居心地悪そうに視線を足元に巡らせ、「行こう」と歩き出す。


固い声が、澄香の先を行く。もうその手が澄香に触れる事はない。

澄香は戸惑いつつその背中を追いかけ、ちらと周囲に目を向けた。先程の場所から離れても、こちらに向けられる人々の視線があった。それらは蛍斗に向けられたものだ、それを見て、そうだよな、と澄香は納得する。

蛍斗は、格好いい。それに、これから数多くの人の前に出て行く人間だ。


前を行く背中を見上げ、ふと思う。この関係は、蛍斗にとって本当に意味のあるものなのだろうか。





それからはお互い何だか気まずくて、二人の間には重い空気が流れていた。背中は見えているのに、その距離が一向に縮まらない。分厚い壁が立ち塞がっているみたいで、その背中すら、その内見るのも辛くなった。


帰り道でも、澄香は蛍斗の背中をただ追いかけるだけだった。蛍斗はどこか苛ついて、澄香は何か分からない不安がずっと胸に渦巻いて、知らず内に、また帽子をぎゅっと握っていた。

頭が腰元が、むずむずする。胸の奥がじくじくする。前を行く背中が、遠い。


「…ねぇ、もうやめにする?」


言葉が自然と口をついて出て、澄香は足を止めた。


「…何を」


振り返らない蛍斗の足元を見て、澄香は口を開いた。


「蛍斗の気持ちは分かってるし、仁だって、もう俺達が付き合ってるの知ってるし、もう良いんじゃない?」

「…あんたは仁を忘れてないだろ」

「…それは俺の問題だよ」


すると、蛍斗が振り返った気配がして、澄香の帽子を握る手が僅か震えた。


「やっぱり、あいつに何か言われた?より戻そうって、それで返事したの?」


蛍斗は問いただしながら澄香との距離を詰め、帽子を掴む澄香の手首を掴んだ。ようやく縮まった二人の距離も、掴まれた手首が痛い、澄香は狼狽えながら顔を上げた。


「ちょ、違うよ、そんなんじゃ、」

「答えろよ!だからやめようって言うんだろ!」

「違う!俺は、なんかこういうの、もう嫌だって思っただけだよ。お試しとか言って、意味があるのかなって、しんどいだろ、いい加減」


掴む手を振りほどき、澄香は「この関係を終わらせよう」と、背を向けた。


「時間が勿体ないよ、蛍斗にはやらなきゃいけない事もあるし、付き合うならちゃんと、…ちゃんとした人と付き合った方がいい」

「…誰とだよ」

「好きになった人とだよ、こんな事しても、蛍斗の為にならないよ」

「…それは、あんたの方なんじゃないの」


思わず、言葉に詰まった。


「…もういい、帰る」


蛍斗は溜め息を吐いて、歩き出した。はっとして蛍斗を振り返ったけれど、雑踏に紛れる背中は振り返らない。澄香はぎゅっと深く帽子を被った。


どくどく波打つ体の内側を必死に抑え込んで、自分が傷ついている事を知って、そんな自分の勝手さに心が急激に冷え込んでいく。


何やってるんだろう。


呆れた声が頭の中を巡って、足が地面に縫い付けられたかのように、暫くその場から動けなかった。




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