六日目




長いと思っていた夏期補習は、あっという間に残り2日となった。英語は1限目。昨日知ったことだが、木下先生の都合で英語は1限目か3限目にしか組めないらしい。1教科のために来ている私にとってはとても好都合だった。


相馬くんは、今日こそは来ているだろうか。正しい言葉をかけられる自信は微塵もないけれど、ただ、顔を見て話がしたかった。連絡先は持っていないから、学校に来てくれることを願うしか術がない。




7時50分。ブラウスの襟元をぱたぱたと仰ぎながら教室の入口扉を開け、視界に入った人物と目が合う。ドクンと胸が鳴った。


窓際の後ろから2番目――の、隣。扇風機の風に揺られる金髪は、窓から差し込む太陽の光で相変わらず透き通っていた。



「えー…っと。おはよ、八月朔日」

「お……おは、よ」



ぎこちない挨拶。2日ぶりともなれば、仕方ないと言っても許されるだろうか。上履きの音を響かせ自分の席に向かい、カタン…と椅子を引いて座った。




「あのさ──」



ミ───────ン、ミンミンミン───……と、数秒の沈黙を破るはずだった相馬くんの声に被せ、まるで狙ったかのように蝉が騒ぎ出す。それもまあまあ長いのだ。扇風機の稼働音が、時々合いの手のように聴こえる。


あまりの大合唱ぶりに、私たちは目を合わせて思わず吹き出した。



「ククッ……蝉、やばじゃん」

「っふ、ふふ、すっごい煩かったね……」

「腹式呼吸だ。よくわかんねーけど」

「腹式呼吸なのかなぁ……?」




夏だ。すぐそこに、まだ終わりそうにない夏が居る。


ふたりきりの教室で互いに肩を揺らして笑った後、相馬くんが空気を切り替えるようにすー…と呼吸を整えた。




「ごめん、八月朔日。ありがとう」



今度は蝉に邪魔されなかった。ごめん、八月朔日。ありがとう。その音が私の元へとクリアに響く。何がごめんなのか。何が、ありがとうなのか。首を傾げると、困ったように笑われる。



「具体的には、涼しいとこって言ったのにチャリ40分漕いでみずがめざ連れてったことに対してと、サボり誘ったことへのごめん」

「…ありがとうは?」

「俺のこと否定しないで、素敵って言ってくれたこと。あと、似顔絵もらってくれたことも」




「ありがと」もう一回、目を見て言われる。うん と返せば、うん と頷かれた。



「素敵ってさ、救われたよ」

「私そんなこと言った…?」

「言った。無意識?それはもう人間として出来すぎじゃねえ?」

「いや……」



2日前、自分が相馬くんになんて言葉をかけたのか全く覚えていなかったから、内心とてもホッとした。


人として出来すぎているなんて思わない。寄り添おうとしてくれる家族との間に勝手に線を引くような私だ。むしろずっと不完全で、人との正しい距離感も分からないまま。それでも今だけは、相馬くんがそう言うのならそういうことにしてしまいたいな、と思う。




「俺ら、良い友達になれそう?」



金髪が揺れる。朝の爽やかな空気に落ちる相馬くんの声が心地よかった。私たち、良い友達になれそうかな、どうかな。私はまだ相馬くんを構成するうちの1割も知らないし、相馬くんもまた然りだろうけど、これから、もっとお互いを知っていけるだろうか。


人に言いたくないこと、悩み事。これから立ちはだかる壁や戦わなければならないジレンマを、私たち、共有していけるだろうか。



私たちは恋にならない。感情の向く方向がこれからも絶対に交わらないからだ。けれどその代わり、良い友達にはなれるのかもしれない。




「木下先生が…私たちは似てるって言ってた」

「あぁ、まあ、わかんなくないかも」

「例えばどこらへん?」

「えぇ、名前が夏っぽいとことか。八月朔日と、夏芽」

「そんなのはこじつけだよ」

「ふは、そうかも。キビシー」




8月6日。私と相馬くんが、正式に友達になった朝のこと。

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