第14話

この物語は、帝の娘御と吸血鬼の血を僅かにもつ一般人との悲恋だ。帝は吸血鬼を生み出す娘を手放そうとはしない。男はそれを悲しみ、憤り、姫君を救おうとする。孤独を抱える、ひとりの女性として姫君を愛する。

そしてふたりの関係が帝に気づかれたとき、ふたりは手を取り合って逃亡を企てる。

追手は執拗に迫る。そして、男は追手に襲われる──吸血鬼の血の弾丸によって。

「ああ……姫、私はもう駄目です……悪魔の毒が全身に回るのが分かる……」

「しっかりして、あなた……!」

「姫、私の血を吸い尽くしてください……そうすれば、姫だけでも……生き残ることができます」

魂の契りには寿命を共有する絆があるけれど、例外がある。吸血鬼が一般人の血を吸い尽くせば、魂の契りは解消され、吸血鬼は生き残る。また、吸血鬼が血の弾丸を受けた場合、吸血鬼のみが滅び、一般人は生き残る。どちらも、そうなれば2度と子孫は残せない。

美矢乃さまは輝く涙を散らしながら首を振った。

「嫌よ、嫌……! あなたを失って、あなたを犠牲にしたわたくしにどうしろというの? 死ぬなら共に……!」

「……姫、お願いです……私の命より、私の愛の方が尊いのです……私の愛は、あなたの命のなかで永遠に行き続けるでしょう……さあ、姫……哀れで幸福な私に、最期のくちづけをください……」

「……あなたは、その命をもってわたくしを救おうと言うのね……何てひどい優しさなの、あなたを失ったら、わたくしは生きる喜びもなくさすらうというのに……」

「いいえ、姫……あなたは愛をお知りになられた……魂に刻まれた愛は不滅なのです。……さあ、姫のなかで私を息づかせてください……」

絶望と悲嘆に歪んだ顔さえ艶やかな美矢乃さまは、──姫は、意を決して男の頬に手をかける。

「……あなたは……心から、わたくしが生きることを望んでいるの……?」

「はい、姫……あなたには、生きてほしいのです……くちづけでもって、私を苛む毒から救ってください……」

男は最期の涙をこめかみに伝わせる。姫と生き別れる悲しみ、姫に生きてほしいという願い、かなうなら姫に再び愛せる誰かと出逢ってほしいという祈り。でも、そこには自分はいないのだという切なさ。

「……最期に、あなたの名を教えて……」

「リンデンと申します……姫、あなたの御名をお教えください……最期に、あなたの名を呼ぶことをお許しください……」

「リンデン……菩提樹の名ね……ひりつくわたくしの心を、あなたは常に優しい木陰のように守ってくれたわ……。わたくしの名はヴェールよ……愛しているわ、リンデン……あなただけを、永劫に」

「ヴェール様……あなたこそ私の心を重い闇から、とばりのように包みお守りくださいました……まさにその御名にふさわしく……。ああ……ヴェールさま、その一言だけで……私の生涯は無駄でも無意味でもなかった……」

「……わたくし達は、共に心を救う運命の出逢いを得ていたのね……ああ、リンデン……そのことを知るのが最後の時だなんて……最後にしなければ、あなたを救えないだなんて……」

「私は幸せでした……ヴェール様に出逢えて、底なし沼のような憎しみは浄化されたのです……ヴェール様……どうか、くちづけを。私への真実の愛で、魔の手から私を解き放ってください……」

「リンデン……愛しているわ、永遠にあなたを愛するわ、リンデン……!」

私達を照らすスポットライトが眩しくて、灼き尽くされそうに熱くて目眩がする。目の前の美矢乃さまの唇が鮮明に赤い。綺麗。美しい。幼い頃に飲んだ美矢乃さまの血のように甘そうだ。

美矢乃さまの顔が近づく。

私は、美矢乃さまの頬を震える両手で包み──引き寄せて、くちづけていた。味わうように。

客席から聞こえる拍手は耳を塞ぐ。美矢乃さまが驚愕に目を見開き、それから角度を変えてくちづけてきた。吐息ごと、深いところにある心まで吸い上げるようなくちづけは酩酊するほど激しく優しい。それを否応なしに実感させる。あの男にキスされたときとは違う、圧倒的な快感。暗闇から光の世界へ、産声をあげる喜び。

そして、気づいた。気づかざるを得なかった。

私は、すきになって、どうなってしまうのか、怖かったんだ──。

でも今、唇から伝わってほしいと願う。

この色とりどりの世界で、求める心に求めるまま響いて、あなたに還るように。

この夢の世界で流す、役のなかでの涙に、神の救いがあらわれるように。

幕がゆっくりと降りてゆく。終わった──。


放心していると、美矢乃さまが力いっぱいに抱きついてきた。押し倒すようなかたちで。

「千香……千香、私……」

「美、矢乃、さま……」

お互いに言葉に詰まっていると、他の部員のひとたちが駆けつけてきて──あとはもう、怒涛のごとき騒ぎになってしまった。ファンクラブのひとたちも抱き合って跳ねている。途切れがちに聞こえてきたのは──。

「やりましたわ! ついに美矢乃さまの想いが通じましたわよ!」

「最後のキスシーンの熱量といったらもう、私のぼせてしまいそう!」

……聞きたくなかった……。

そうだ、私は美矢乃さまにくちづけをしてしまったのだと今さら実感がわいてきた。いたたまれない。美矢乃さまの顔が直視できない。といっても、当の美矢乃さまは私の胸元に顔をうずめているので見えないけれど。

「美、美矢乃さま、そろそろ離れてっ……」

「嫌よ、嫌。あと1時間はこのままでいなければ、私は収まりがつかないわ」

と言われても、このままでは衣装に美矢乃さまのメイクが着いてしまうし、何より私の胸が潰されてしまいそうだ。心拍数は演技中より遥かに上回っている。

けれど一般人の腕力では吸血鬼の美矢乃さまを押しのけられない。抱きしめられているというよりは、締め上げられている。それだけ美矢乃さまは喜んでいらっしゃるのだと分かって、……嫌な気なんて今となっては、するわけないけれど、抱き返す勇気もない。どうしたらいいのか戸惑いうろたえていると、顧問が救いの声を上げてくれた。

「宮牙さん! 衣装係とメイク係が困るでしょう! わがまま言わないで離れなさい!」

「先生……私は舞台を成功させた喜びを千香と分かち合いたいのよ……」

「分かち合うなら部の全員とでしょう! ほら、早く離れなさい! 千香が窒息してしまうでしょう!」

そこで初めて美矢乃さまは私を力加減なしに締め上げていることに気づいたらしい。「ごめんなさいね、千香。苦しくはない?」と、半ばのしかかったままだけれど、とりあえず腕を離してくださった。やっとまともに呼吸ができる。胸の動悸は治まらないけれど。

「死ぬかと思いました……」

今も死にそうなほど、どきどきと心臓が早鐘打っていますが。

「ごめんなさい千香! 私あまりに感極まってしまって……怒っている?」

「……怒ってはいませんよ。ほら、着替えてから部の皆さんと部室で軽い打ち上げをする予定でしょう? 早く着替えましょう。メイクも落として、口紅で唇に負担をかけていますから、リップクリームでお手入れしてくださいね」

打ち上げは直後と後日にする予定がある。後日のものは……さすがお嬢様学校だけあって豪華だ。ケータリングサービスを使って、高級レストランから料理が運ばれてくることになっている。

「千香……優しいわ。それと比べて先生は……」

「先生は現実的なだけですよ」

顧問はもう仁王立ちだ。これ以上美矢乃さまが粘るようなら首根っこを掴んででも引き剥がすだろう。私としても、せっかくの打ち上げで美矢乃さまがお説教を食らう姿は、あまり見たくない。3度目になるけれど、自業自得とはいうものの。

「千香、やっぱり怒っているのではなくて? 急に冷たくなったわ……それともツンデレのツンかしら……」

「いつまで引きずっているのですか、それ! 私はいたって普通の感性と常識の持ち主ですから!」

「……ふたりとも、いい加減に離れなさい」

顧問のドスの効いた声に、さすがに私は飛び上がりたくなった。美矢乃さまも渋々といったていで立ち上がる。

それから、衣装を脱いでメイクを落として、シャワーを浴びてから皆で部室に集まった。紙コップに満たしたジュースで乾杯して、用意されていたお菓子をつまみながらお喋りに花を咲かせる。私はファンクラブの方々に囲まれて、最後のシーンについて熱く語られて……辟易していた。舞台で疲れたあとなのに、更に疲れる。しかも昨夜はほとんど寝ていないのだ。疲労はピークに近い。

そんなとき、美矢乃さまが声をかけてきた。

「千香、ちょっとお手洗いに付き合ってくれないかしら?」

「あ、はい……構いませんけど」

「さ、行きましょう。皆さま、ごめんあそばせ」

美矢乃さまが私の腕に、当たり前のように腕を絡ませてくる。毎日の下校で慣れた自分が怖い。ファンクラブの方々の歓声はもっと怖い。悲鳴に近い歓喜の声が上がっているのを、美矢乃さまはお構いもせずに部室から出た。

「よくあの声に平気でいられますね……って、美矢乃さま? お手洗いは逆の方向ですよ?」

「あら、言ったでしょう? 千香の学ぶ教室が見たいと」

「おっしゃいましたけど……打ち上げはいいのですか?」

すると、美矢乃さまは艶やかな笑みを浮かべた。

「エスケープ、しましょう?」



* * *




「まあ、一般人用の教室は机がたくさん並んでいるのね! 何人……40人くらいかしら? 先生も教えるのが大変そうね。千香の机はどこかしら?」

どうやら、吸血鬼コースは一般人コースと比べて少人数制になっているらしい。私は窓際の後ろの方の席を案内した。

「ここです。席替えのときは人気のある席なんですよ。日当たりもいいですし」

「座ってみてもいいかしら?」

と、聞いてはいるものの既に椅子を引いて腰をおろしている。訊ねるというよりは事後承諾だ。いいけれど、普段使っている席に美矢乃さまが座っている姿は妙な感じがする。

「ああ、千香の香りがするわ……」

「するわけないでしょう」

「香りがする気がするのよ、ねえ千香、机に千香と私の相合い傘を書いてもいいかしら?」

「駄目に決まっているでしょう」

と、断っているのに美矢乃さまは一度立ち上がり、教卓からチョークを持ってきて再度席について、いそいそと書き始めた。止めても無駄らしい。

「……美矢乃さま、そのようにど真ん中に書かれたら勉強ができません……」

「あら千香、消すことは考えていないの? 嬉しいわ」

──そうだ、チョークだから消そうと思えば簡単に消せるのだ。もっとも、美矢乃さまは私の机を勝手に漁って油性ペンを出すようなひとではないけれど。

「え、わ、あのっ、キャンプファイヤー! キャンプファイヤー見ましょう!」

話題を強引に逸らす。舞台のあとからご機嫌な美矢乃さまは、言い返さずあっさりと私の席から離れ、窓際に立った。私も言い出した手前、隣に並ぶ。

既に空は暗くなっていて、炎が火の粉を舞い上げながら燃えていた。

「ふたりきりで眺める炎は幻想的ね。まるで世界に私達ふたりだけになったようだわ」

「……美矢乃さま、全て私に繋げて考えてらっしゃるのですか?

私にそんな価値があるとは自分では思えませんけど……」

これは自虐ではなく本心だ。

だけど、美矢乃さまは真剣な面持ちで私に向き直った。

「あのね、千香。私は何もかも大袈裟に言っているのではないのよ? 私の心を語るとき、それはすべて千香。誓えば愛になるし、求めれば恋になる。探れば自分の宝物になる。胸を張って言えば、未来の地図になるのよ」

「え、あの、私は……」

ああもう、美矢乃さまには心をかき乱されてばかりだ。──しかもそれが、今となっては面映ゆい嬉しさを感じるだなんて。

私は目の遣り場に困って空を見上げた。星のない空は何も答えてはくれない。

──空よ。

空よ。どうかどうか、これ以上私に問いかけないで。答えはもう自分のなかにあるのだから。踏み出さずにいられなくなるから。

ああ、でももう遅い。私はこんなにも美矢乃さまを欲している。舞台で思い知った。

応えたら、同じところに立って、同じ世界に生きて──私達は鼓動を重ね合えるの?

ああ、傍にいるだけで心臓が爆発しそうだ。狂いだす脈が頭をおぼろにさせる。

けれど、それで狂っても構わない自分がいる。あの舞台──美矢乃さまに導かれて幸福を知ったのだから。

そうだ、これが幸福だ。心を飾ることなく、ありのままで寄り添える。

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