第9話

「よかった、私転校してきたばかりで、校内の場所がまだよく分からなくて。お邪魔しては悪いかとも思ったんですけど……」

「そうね、分かっているじゃない」

美矢乃さまは無表情になって冷ややかな目で相手を見据えている。

「美矢乃さま、威嚇しないでください。校内を案内するだけなんですから」

「けれどね、千香。この子だけは駄目。私には千香を横取りされる気はないの」

「横取りって、面識もない相手ですよ? そもそも私は美矢乃さまのものではありません。ほら、彼女困ってるじゃないですか」

「すみません、本当に……でも、他の方に訊いても案内図を見ろとしか言ってもらえなくて……」

「ええ、そうでしょうね」

「美矢乃さま! 何でそんなに冷たく当たるんですか! 可哀想です。私は彼女を案内しますので、また明日!」

「やめて、千香。この子と行かないで。どうしてもと言うなら、私も一緒に行くわ」

「一般人コースの校舎ですよ?

美矢乃さまは立ち入れないでしょう」

どうして、こうも食い下がってくるのか理解できない。女生徒は赤味がかった金髪に血のような真紅の瞳の美少女で、一般人としては珍しい容姿だけれど、何より吸血鬼特有の牙がないところから、私には一般人にしか見えない。

大体、美矢乃さまは無理強いはしないと言ったばかりではないか。女生徒への冷たさ、私への強引さに腹立たしくなってしまう。明らかに美矢乃さまは見たこともない女生徒に敵意を示している。そのせいで彼女はすっかり萎縮していた。

「さ、案内しますから行きましょう。美矢乃さま、少し頭をお冷やしになってください。……私に嫌われたくないのであれば」

自分でも思った以上にきつい声が出て、美矢乃さまは悲しそうな表情になった。けれど譲る気はないらしい。

「千香、やめて……嫌われたくはないけれど、でも、千香のためなの」

「あの、私、彼女に何もいたしません。ただ図書室まで連れて行って頂きたいだけです。信じてください。お願いいたします!」

「私に信じろと? 愚かしいわ、話にならない」

女生徒は哀れなほど弱りきった顔をして美矢乃さまに頭を下げている。それでも美矢乃さまは態度を崩さない。理由が分からない。

「美矢乃さま、彼女もこう言っています。私は困っているひとを放っておく気はありません。なぜそんなに意固地になって反対されるのですか?」

「……何か、嫌な感じがするのよ、彼女からは」

つまり、明確な理由はないのか。美矢乃さまは、ひとを見かけで判断するような方ではないと思っていたのに。──それとも、私が誰かとふたりきりになることに対する嫉妬だろうか? どちらにせよ、気分のいいものではない。

「直感だけで突き放すのは、どうかと思いますよ? 私には普通のひとにしか見えません。大体、美矢乃さまだって一緒に帰るようになるまでは私にかなりしつこく迫ってらしたじゃないですか。それでも私は美矢乃さまを嫌いだと思ったことは一度もなかったんです。その私を信じてください」

私の口調は苛立ちから、かなり厳しいものへと変化していた。事実、美矢乃さまこそ、人の振り見て我が振り直せというものではないか。

「千香……そこまで言うのなら、せめて約束してちょうだい。困ったら私の名を呼んで。どんなに小さな声でも、遠くからでも、聞きつけて千香のもとへ行くわ」

切羽詰まった面持ちで懇願してくる美矢乃さまに謎はつのるけれど、その程度ならかろうじて許容範囲だろう。私は女生徒に冷たく当たる美矢乃さまへの怒りを抑えながら短く「分かりました、では」とだけ答えて女生徒を促した。あとは美矢乃さまに見向きもすることなく立ち去る。女生徒は安堵した様子で、私の隣に並んで歩き始めた。

「あの……お連れの吸血鬼さまは大丈夫でしょうか? 私を疎んでおいでのようでしたけれど……」

女生徒が心配そうに訊いてくる。おずおずとした口調が、美矢乃さまを恐れているのを如実に伝えてきて、私は強いて笑みを浮かべた。

「大丈夫、美矢乃さまは本当はお優しい方なのよ。きっと話し込んでいたところに水をさされてご機嫌が損なわれただけでしょう」

「私、申し訳ないです……おふたりは魂の契りを交わされたご関係なのでしょう? とても親しげにしていらしたもの」

「っ……いいえ、交わしてないわよ、本当に大丈夫ですから!」

やはり、はた目から見ればそういう特別な関係に見えてしまっていたのかと羞恥でいたたまれなくなる。吸血鬼と一般人が腕を組んでふたりで毎日下校していれば、そう受けとめるのが自然なのだろうけれど、でも……。

胸がもやもやしてきて、私は話題を切り替えることにした。

「──それで、図書室のどのあたりに用事があるんですか? 広いところなので案内しますよ」

図書室は4階すべてのフロアを使った広大なものだ。自習や読書に使うほか、パソコンも並べられている。特に書架がとにかく多くて幅広くて、おそらく初めて行くひとには、どこに何があるのか分からないだろう。

「ええと……特別閲覧室に……」

特別閲覧室は図書室の奥まったところにある、貸し出し禁止の学術書や古文書が所蔵されている部屋だ。本が傷まないように室温も湿度も厳重に管理されている。授業には関係のない書物なので、利用する生徒はあまりいない。何か特別な調べものでもあるのだろうか。

「それでしたら、図書室のなかでも分かりにくい場所にあるので、そこまで案内しますよ。閉館まであと1時間ほどなので急ぎましょう」

「……はい! ありがとうございます!」

女生徒の足取りが軽やかになった。

逆に、私の足取りはお世辞にも軽やかとは言えない。美矢乃さまがあんな態度をとるせいだと自答しつつも、それは正解ではない。

──美矢乃さまを、傷つけてしまったかもしれない。

あんなふうに訴えかけてくる美矢乃さまを、初めて見た。理由はともかく、よほど嫌だったのだ。あるいは──怖かった? まさか。

何だろう、この感じ。落ち着かなくなってくる。美矢乃さまの感覚が伝染したのか、隣の女生徒が気にかかってきた。ちらりと見やると、その表情は明るかった。

その明るさは本来の気質によるものなのか。美矢乃さまには相当怯えていたから、離れられてよかったと思っているのか。

「……じゃあ、エレベーターで行くと廊下をかなり歩くので階段で行きましょうか。その方が近道なんです」

「エレベーター使えないんですか……」

残念そうな声が沈む。でも、4階程度の階段なら、そんなに疲れたりはしない。面倒なのかな、と思うに留めておいたものの、心のどこかでエレベーターにふたりきりで乗ることを避けたいという感情があるのを自覚せざるを得なかった。理由は分からない。美矢乃さまへの操立て……の、はずはないのに。

「階段は女生徒でも昇りやすいように緩やかに設計されていますから、大丈夫ですよ。頑張りましょう」

歩き方を見るに、足が悪いということはないようだ。むしろ私より元気そうに歩いている。ともすれば彼女の方が先に出てしまう。急ぎましょうと言った私のせいかもしれないけれど。

「……私、この学院に転入することが楽しみだったんです。素晴らしい学院ですよね」

4階に着いたところで、不意に女生徒が話し出した。

「そうですね、広く学べますし、寮生活も充実していますし。部活動も盛んで、恵まれた環境ですよね」

「ええ、本当に……食事が、美味しそうなものの多さといったら浮き足立ってしまうほどで」

「え? ……そうですね、この学院の食事は美味しいですよね。私、それでだいぶ身長が伸びましたよ」

「そうですよね、本当に美味しいものばかり。鮮度も素晴らしいですもの」

「ええ……そうですよね……」

話が噛み合っていない気がする。彼女は何を目的に図書室へ行きたがっているのかさえ疑問になってきた。これが食堂なら腑に落ちるものの。

「……あ、ここから図書室ですよ。まだひとがいますから、静かに入りましょう」

「はい、図書室といえば私語厳禁ですものね」

──この刹那の違和感。彼女は当然のことを言っただけなのに、明るさに歪みを感じた。でも、もう目的地は間近だ。すぐに別れられる。

書架とテーブルを通りすぎて、特別閲覧室の扉の前に立つ。扉には『特別閲覧室』と表示されているので、もう案内は終わりだ。

私は小声で「では、ここですので」と囁いて会釈をしてみせて──踵を返そうとしたとき、凄まじい力で腕を掴まれた。

「痛っ……! 何、」

私を巻き込んで特別閲覧室の扉が開き、閉まる。自動的に点灯した照明を、女生徒が手動で消した。手慣れているさまに、暗転した世界に、本能が警鐘を鳴らしてやまなくなる。

女生徒の真紅の瞳が、暗がりのなかで胡乱に輝いている。

「何するんですか? 何で私まで……」

「あなた、私のこと知らないのよね」

鎖された扉にもたれて、女生徒が語調を変えて豹変した。

「でも、私はあなたのこと知ってるわ。和泉千香。母子家庭で小さい頃に母親から捨てられた可哀想な子。養護施設でみすぼらしく育って、宮牙の恩恵を受けて、この学院で花開き甘い果実を実らせた子」

「なっ……あなた一体何なんですか?!」

「図書室では静かにね、和泉千香さん。でないと絞め殺すわよ?」

女生徒は本気で言っている。大声を出そうとすれば、あの凄まじい力で簡単に私の首をひねると彼女の目が伝えてくる。

「あの女……男ができた途端にあなたを邪険にするようになったでしょ? 理由は分かるかしら? 男と消えた理由も分かる? まあ、私がこれから話すんだけど」

「母のことを知っているの……?

なぜ? あなた…… 」

「知ってる? 『味見』できるダンピールに吸血されると、最後の一滴を吸い上げられるまで虜になっちゃうの。あなたの母親は私の父親の餌食になったのよ」

「──!」

歪んだ笑みが憎悪の表情へと、毒々しくさらに歪んでゆく。背筋に冷たいものが流れた。

「あの男も馬鹿だわ、餌に対して『愛していたのに』だなんて笑っちゃう。挙げ句に狂って消えるんだもの。私と母は実家に帰って……まあ、実家は成金だから生活に困ることはなかったけどね。でも、いい恥さらしよ。あんな女に手を出すなんて、愚かとしか言いようがない。魂の契りを交わした相手のいる女を盗むんだもの。消されるのも当然だわ」

──母は、このひとの父親に殺された。顔さえ知らない父は、母を死なせない何らかの方法によって、あの男に殺されて──母は盗まれたのだ。それを悟り、私は愕然とした。

この沸き上がる感情を何と言えばいいのだろう? 憎しみ? 悲しさ? 怒り? 目の前の衝撃が強すぎて分からない。

「……それにしても、あなた本当にいい香り。最後の一滴まで美味しく頂いてあげるからね」

彼女が舌なめずりする。眼差しは狂気に満ちていた。

「……っ! あなた……!」

──ダンピールだ。『味見』のできる。

「図書室では静かに」

凄まれた瞬間、金縛りにあったように体が重く固く、身じろぎひとつとれなくなった。唇さえも動かせない。

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