第1章 それは、あのこのほほえみから 3

 数日後、午前中の仕事を終えたエミリは、森の小屋へ向かった。目的は、アダムスさんとお近づきになることだ。

「アダムスさん、エミリです。いらっしゃいますか?」

 しばらくすると、扉が細く開いた。紫色の瞳がエミリを見据える。

「なんの用だ。」

 エミリはにっこりとして言った。

「ご機嫌いかがですか?アダムスさん。」

 アダムスはうんざりしたようにため息をつくと、扉を閉めようとした。エミリはすかさず足を扉の間に差し込んで閉められないようにする。アダムスはそのことにぎょっとしてエミリを凝視する。にっこりと笑顔を浮かべながらエミリは話しかけ続ける。

「いい天気ですね。今日はもうお散歩などはおすみですか?」

「おい、足をどけろ。」

「あら、ごめんなさい。じゃあ、ドアを開けてくれますか?」

「開けたら入ってくるだろう。」

「ご明察です。アダムスさん、ここで押し問答を続けるのか、中に入れていただいて、私とお茶をするか、どちらがよろしいですか?」

 アダムスが絶句している。村の誰一人として、アダムスにこんなに図々しく話しかけ続けて、あまつさえ家に乗り込んでお茶にあずかろうという人はいなかった。「帰れ」「帰りません」の問答をしばらく続けたのち、アダムスは根負けしてドアを開けた。

「入れ。」

「やった!おじゃまします。」

 エミリは満面の笑顔になって、嬉々として中に入った。

 ドアを入って左側には、水の入った甕と、煮炊きができる場所がある。奥には簡素な寝台があって、右側には、巻物や書物が乱雑に積まれている机がある。家の中心には、食事用と思われる丸テーブルがあった。そのほかの壁は全て本棚で、書物が詰め込まれていた。床には紙や本が散乱している。

 招かれたわけでもない客人が思っていいことではないけど…汚いな、とエミリはこっそり思った。

 対してアダムスは、勢いに負けたとはいえ、この少女を家の中に入れた自分の行動に驚いていた。エミリと名乗った少女は本当に嬉しそうで、興味深そうに家の中を見回している。亜麻色の髪はくるくるとよく跳ねていて、緑色の瞳はエメラルドのようにきらきらと輝いていた。ぼんやりと彼女を見ていたので、エメラルドの瞳が自分の方を突然向いて心臓が跳ねた。

「私、お茶菓子と茶葉を持ってきたんですよ。ポットやカップ、お皿をお借りしていいですか?」

「あ、ああ…。」

 幸いにもこの家にはポットとカップがあったので、ごちゃごちゃになった戸棚の中から引っ張り出す。取り出すときにばらばらと何かが落ちる様子を見て、エミリは言った。

「掃除と整理整頓が必要ですね…。」

「これを使ってくれ。何か言ったか?」

「いえ、何も。ありがとうございます。火もつけますね。」

 受け取ったポットは埃で汚れている。エミリは甕の水を布巾に含ませてポットとカップを念入りに吹く。その間に沸かしていたお湯で紅茶を淹れる。汗水流して働いたお金で買ったささやかな嗜好品。エミリは紅茶が好きだった。一人で静かに飲むのも好きだが、「ここに誰か話し相手がいればいいのに。」と常日頃思っていた。だから今回、断られるだろうと予想しつつ、お茶とお茶菓子を持ってきたのだ。するとどうしたことだろう。アダムスは根負けしてエミリを家に入れてくれた。誰かとお茶会をするのが人生の一つの目標だったエミリは、今日それがかなうことが嬉しかった。

 用意してくれた皿にお茶菓子を並べ、お茶といっしょにテーブルに置く。

「お待たせしました。」

「本当にお茶を用意していたとはな…。」

「このお茶菓子は、おいしいって評判のパティスリーで買ったんです。どんな味がするか楽しみです!」

 二人で丸テーブルに向かい合わせに座る。アダムスは、お茶とお茶菓子をテーブルに並べるために書物などをどけて、テーブルを拭いた自分がおかしかった。誰かとこのテーブルに一緒に座るのも、もうずっとなかったことだった。アダムスは、心がなぜかざわざわするのを感じた。

「いただきます。」

 エミリは、アダムスの気持ちなど知る由もなく、ゆっくりとお茶をすする。アダムスもつられてカップに口をつけた。

「うまいな…。」

「本当ですか?よかった!私のお気に入りの茶葉なんですよ。」

「お茶菓子もうまい。」

「お口に合ってよかったです。また持ってきますね。」

「また…?また来るのか⁉」

「当たり前ですよ!私はもっとアダムスさんと話がしたいんです。」

 ずずい、とエミリがアダムスに身を乗り出した。

「アダムスさんの上の名前は何ですか?アダムスがお名前?どちらのご出身ですか?年齢は?好きな食べ物、嫌いな食べ物、それと…。とにかく、聞きたいことがたくさんあるんです!」

「なぜそれに俺が答えなければならないんだ!」

「私が聞きたいからです!」

「答えたら帰ってくれるのか?」

「今日のところは帰ります。でも、また近いうちに来ますよ。また聞きたいことが増えると思うので。」

「二度と来るなと言っても来るのか?」

「当たり前です。」

「なぜそこまでするんだ?」

「アダムスさんのことを知りたいんです。」

「知ってどうする。」

「どうするもこうするもありませんよ。」

 エミリはアダムスににっこりと笑いかけた。

「人と関係を構築しようとするときには、まず相手のことを知ろうとするのは当然のことですよね。アダムスさんも、私に聞きたいことがあったらどんどん聞いてください。」

「聞きたいことなどない。」

「じゃあ聞きたくなったら聞いてください。」

 二人はしばらく無言で紅茶をすすった。

「本名と出身と年齢は言えない。食べ物に好き嫌いはない。」

「え!答えてくれるんですね!」

「お前が聞いたんだろう!」

「そうですけど、まさか答えてくれるなんて!アダムスさんって、律儀ですねえ。」

「もう知らん。二度と答えない。」

「ごめんなさい!撤回します!うれしいです。好き嫌いないのは素晴らしいですね。総菜屋の坊やのテディに見習ってほしいくらいですよ。」

 そのあとは、エミリが自分のことをぽつぽつと話し出した。別の町で孤児になって修道院に入ったこと。祈る日々ではなく、市井で働く日々を選んだこと。

アダムスの相槌が下手でもエミリは嫌な顔一つしなかった。村で一番の鍛冶屋が腰を壊してしまったこと。最近、街道を通る人が増えて、村の旅籠が規模を大きくする計画を立てていること。お世話になっている家族の坊や、テディの偏食について。話している間、エミリの表情はころころと変わる。その変化の多様さを、アダムスは珍しいものを見るように見つめた。いつも一人で暮らしているから、このように表情も声色も次々に変わっていく人が新鮮だった。つい先日初めて出会って、それほど仲良くなったわけでもないのに、エミリとの時間が心地よいものに感じてきていた。そんな自分に一番驚いているのは、アダムス自身だった。

 しばらくして、紅茶のポットが空になった。1時間ほど(主にエミリが)話しただろうか。エミリが腰を上げて、暇を告げる。

「今日は突然だったのに、ありがとうございました。また、来ますね。」

 ドアから出る時に、エミリは振り返って笑った。「来ていいですか?」と聞くような控えめな乙女ではないことを、アダムスは学んだ。

「できればもう来て欲しくないんだが。」

「会いたくなければドアを開けてくれなくていいですよ。アダムスさんの気配を感じたら家の外からずっと話しかけますから。」

「それも迷惑だな。」

「冗談ですよ。アダムスさんの迷惑なことはしません。私はただ…。」

 小柄なエミリは、エメラルドの瞳でアダムスの顔を覗き込んだ。

「アダムスさんと、仲良くなりたいだけなので。」

 それでは、と元気に挨拶をしてエミリは森の中に消えていった。

 なんとなくその後姿が消えるまで見送ったあと、アダムスはドアを閉めた。エミリは不思議な娘だと思った。なぜ、自分はあの娘と紅茶とお菓子を愉しんでしまったのだろう。わからない。わからないが、不快感はなかった。

 アダムスは、人間ではない。魔族だ。魔族の本拠地は地獄だが、アダムスの一族は人間界に生息する。

 彼の本名はルートンジュ・ラパグ。年齢はとうに百歳を超える。年齢を数えることは、魔族にとって意味のないことだから、正確な年齢は自分でもわからない。ラパグの血は非常に強力で、並みの魔族は足元にも及ばないくらいの魔力を持っている。魔族にも秩序は必要で、ラパグ家はその血の力で、代々魔族の上層部メンバーとして、地獄の秩序を守っていた。

 彼の出身は地獄で、成人したことで人間界に来て、今のこの家を構えた。当時は人間の住処はなかったが、いつの間にか人の集落ができて、世代を重ねて増えていった。  

 そんな中、森の中で長い間一人で過ごしてきた。それが当たり前になっていた。魔族なので、食料は自分に必要ない。本当に必要なのは、人間の生気。森のそばに集落ができたのは幸運だった。時々アダムス、いや、ルートンジュ・ラパグは、村に忍び込み、寝ている人間の生気を吸って生きていた。

 俺のことを知りたいと言っていたな、あの娘。私が百年以上生きている魔族で、食料はお前の生気だと言ったらどんな顔をするのだろう。まあ、そんな想像も必要ない。また来たとしても、今度こそ追い返そう…。

 そう思った彼の脳裏に、エミリの笑顔がよぎった。

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